宿命の船出 3
閉ざされたドーム状構造体・エントリーポートの中で、あの世とこの世の時空を繋ぐ光球に、<ノルン>は白銀の船体を煌めかせ、カタパルトから、そのままの勢いで飛び込んでいく。
<ノルン>を包み込んだ光球は、激しい雷光を散らし、その光景を映し出すモニターをホワイトアウトさせていた。
『……始まったか。こちらでもよく見えているわ』
脳内に響く通信音声に、ムサーイドは、ふと顔を上げた。少女のような甘みのある声音を無理矢理、低めに抑え込み、落ち着き払ったそのアンバランスな女の声のトーンは、奇妙な色艶を生み、聞くものの心を魅了する。
声は、続けてムサーイドに語りかけてくる。
『それにしても、今回はずいぶんと真っ当な方法で入り込んだわね』
「これでも、私はIN-PSID、バビロニア支部 長ですよ」ムサーイドは、口元に微かな笑みを作って答えた。
ムサーイド側は、EU支部との通信は全て、受信のみとしている。会話も表情も、先方へは伝わらない。自室のデスクでくつろぎながら、まるでテレビ鑑賞をするかのように、イラキチャイ(イラクの紅茶)片手に、モニターが映し出すミッションの様子を眺めている。
「EU支部は、NUSAと違い、彼等のテリトリー……警戒されず、秘匿回線を設けるのは至難でした。ならばいっそ……」『……ふふ……なるほど……』
「彼等は、この<ノルン>の計画に、深く関与している。しかし、その全容は、とうとう『審判』殿にも掴めなかった」
ムサーイドは、モニター内の、EU支部との通信ウインドウを一瞥し、ティーカップに口をつける。
『だが、我々が月を制した以上、この<ノルン>の最初のミッションで行動を起こしてくる可能性は高いわね』「ええ、そのとおりです」
「失礼……」ムサーイドは、ティーカップを置くと、テーブルの上に置かれた、レザー仕立ての小箱を手に取り蓋を開ける。箱の中央に置かれた球体の、精巧に造形された青灰色の瞳がムサーイドをじっと見つめている。
「あっちの方からも要請がありましてね」
手慣れた手つきで、左の眼孔に指を突き立て、義眼を取り出すと、箱に収められていた義眼に装着し直す。
『では、神子とやらが』「ええ、今回は同行しているようです。繋いでも?」何度か瞬きをし、義眼の収まりを確認しながら、ムサーイドは問う。
『貴方も大変ね。よろしくてよ。しっかり、媚を売っておきなさい。こちらは静かにしているから』「ありがとうございます」
ムサーイドは、数秒ほど軽く瞑目する。再び両の瞳を開くと、左の瞳は潤い、右の生身の目と比べても遜色ないほどの生気を帯びていた。
『『運命の輪』が……回り始める』女の声はそう言い残すと、ムサーイドの脳内からその気配を消していった。
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「後方に時空変動力場! PSIパルス信号照合。<アマテラス>のエントリーを確認。モニターに投影する」
自席に取り付けられたパネルを確認しながら、アランが報告をあげる。アランの席のパネルは、いくつかの業務用タブレット端末を組み合わせたものだが、<ノルン>の船体情報と、収集した周辺情報、ガイノイド、特にベルザンディの各種モニタリング情報をリアルタイムで提供する。アランは、<アマテラス>の副長席をモデルに、最低限必要な機能をこの席に集約した。
純白に所々赤のマーキングが特徴的な船体が、後方から進み出てくるのを、右舷側のブリッジモニターパネルが映し出す。
「<アマテラス>……あれが貴方の船……素敵な船ね、アラン」「ああ……」
ソフィアとアランがしばし眺めている間に、<アマテラス>は、<ノルン>の横に並んで停船した。
「やっぱり、あっちの方が良かったでしょ?」
<アマテラス>の方を向き、頭の後ろを見せたままのアランに、イタズラっぽくソフィアは訊ねる。
「今日は、お前に付き合うと決めている」アランは振り向くことなく答えた。
「そう?? ぁありがと」ソフィアは、頬を緩ませ、はにかんでキャプテンシートの上でもじもじと体を揺すっている。それに気づく素振りもなく、アランは淡々と、予定されている作業に取り掛かっていた。
「……ベルザンディ、ここから、お前の人工心理回路をモニターしながら、随時調整していく。いいな?」『はい』
「早速、仕事だ。<アマテラス>、各拠点との通信を回復してくれ」アランは、ベルザンディの感性レーダーチャートをモニターに出しながら指示する。
『了解致しました』ベルザンディは、<ノルン>のシステムにアクセスして、超時空通信機能を稼働させ、各拠点への通信コールを送った。
「<ノルン>より通信。繋ぎます」アムネリアは、コールを直ぐに感知し、<ノルン>との通信をメインモニターに表示する。今回は、ベルザンディの通信制御AIのテストも兼ね、<ノルン>が通信hubとなって各拠点を繋ぐ。
<ノルン>のブリッジに続き、EU支部IMC、<イワクラ>ブリッジ、日本本部IMCが順に、通信ウインドウに現れてくる。
『突入は問題なくいったようだな、ソフィア? 船の方は?』EU支部のウインドウから、覗き込んでくるようなケンが問いかけてくる。ソフィアを乗せての初のインナースペース・エントリーだ。ケンと同じようにハンナやスタッフらの表情も、緊張に張り詰めたままだった。
「|Nessun problema《問題無し》!」軽やかなイタリア語で返答するソフィアに、EU支部は沸き立つ。
『うむ。ソフィア、<ノルン>のコントロール・コアで集めた情報をもとに、まずはLV3まで時空間転移。そこからは連続シフト航行で宙域観測を行いながら、LV5を目指す』予め、ミッション計画は、<アマテラス>と<ノルン>各チームに伝えているが、ケンは確認の意味でもう一度、伝達する。
「一気にLV5へは跳べないのか?」ティムは、モニターに映るあたりを見回しながら言った。ここは、地中海海底の余剰次元領域。視界は良いとは言えないが、静寂に包まれた、穏やかな海底の様相を見ていると、特に危険があるとも思えない。
『現象界からの事前観測によると、この地中海余剰次元のLV3以上に、不活性な高密PSI情報力場らしき領域が広がっているようだ。実態は掴み切れてはいないが、暗礁海域のようなところだ。時空間転移で飛び越える際に、力場に巻き込まれるものなら、帰還の保証はない。できるだけ安全な航路を探知しながら進む他ない』『ほい、来たぁ。いつもどおり〜〜』ケンの説明に、ティムは肩をすくめ、両手を上向けにしてボヤく。
「いつも??」ソフィアは、首を傾げる。
「ああ。オレ達のミッションは、いつも可能性の探究……手探りの連続さ」
アランは振り返ってソフィアに小さく微笑んだ。
「……た……大変なのね。ミッション本番は」ソフィアの顔が不意に強張る。「ふふ、すぐに慣れるさ」アランは、ソフィアをそのままに、前方へ向き直った。
「カミラ、跳躍先のLV3座標は、事前観測で割り出している。こちらが先行する。<ノルン>に続いてくれ」
『了解よ、アラン。二人とも、慎重に』
カミラは小さくサムズアップで、<ノルン>の二人にエールを送ってくる。
「は、はい! ……はぁ、なんだか緊張してきたぁ……」「大丈夫。船の操作は、この三人がやってくれる。お前はこの船のキャプテンだ。信頼して、任せるだけでいい」
「アラン……うん!」
アランに勇気づけられ、ソフィアは、自分を奮い立たせるように声を張る。
「スクルド! 時空間転移、座標確認! データを航行制御へリンク!」
『座標、修正2-1-1-0……セット完了。ウルズ姉さん。データを渡します』
『……確認した。PSI-Link……コンタクト……機関出力安定……PSIバリア偏向開始。時空間転移、準備完了』
「ベルちゃん、<アマテラス>とのデータリンクは?」『問題ありませんわ』
アランの見守る、ベルザンディの感性モニターが大きく波打っている。が、今のところ問題はない。むしろ、ベルザンディは、ソフィアと良いパートナーシップを育んできたことを示していると、アランは思う。
ソフィアは大きく深呼吸をして、気持ちを定め、口を開く。
「じゃ、いくよ! 時空間転移、開始‼︎」