ディスティニー・ナビゲーター 6
「ようこそ、EU支部へ。支部長のハンナよ」
IN-PSID EU支部長ハンナ・フランクは、歳の頃は、七十手前。小綺麗にまとめた、年の割に豊富な白髪、色艶のある白い肌に濃緑の瞳が生える貴婦人だ。IN-PSID本部所長、藤川とは旧知の中である。<アマテラス>チームの皆と握手を交わしながら挨拶を終えると、柔らかな物腰で、数ヶ月前、日本で立ち会ったミッションの感想や、今回、EU支部のミッションサポートへの謝意を述べた。
話をひととおり区切ったところで、ハンナは、迎えに出たはずのソフィアの姿が見えないことに気づく。
「それが……」アランは、先程の顛末を説明する。
「ふぅ……いつもあんな感じなの。ごめんなさいね」そう言いながらハンナは、皆をIMCに隣接する休憩ブースに案内した。
ハンナは、ドリンクサーバーを勧め、自分はハーブティーを淹れてテーブルにつき、皆を待つ。一同が、飲み物を手に着席すると、ハンナは飲み物に口をつけ、話始めた。
「……あのコのポテンシャルを引き出すのには、ああやって、気ままにさせておくのが一番良くてねぇ。彼女は天才よ。<ノルン>の『ディスティニー・ナビゲーター』は彼女にしか、務まらない」
「『ディスティニー・ナビゲーター』?」聞き慣れない言葉にサニが問い返す。
『あらゆる事象のもつれ。その重なり合う事象分岐を見定め、最適解を手繰り寄せる能力……それがディスティニー・ナビゲーターの資質ですわ』
背後からかけられた声に皆が振り向くと、インナーノーツのユニフォーム(<アマテラス>チームと同形)に身を包んだ三人の女性達がそこにいた。
「あぁ、この子達は、<ノルン>のクルーよ」
ハンナは立ち上がって、彼女達の方へ寄る。
「こちらから、ベルザンディ、ウルズ、そしてスクルド」
『<アマテラス>の皆さん。お会いできて、光栄ですわ』ベルザンディが一歩進み出て挨拶をする。先程、声をかけてきた女性だと、皆すぐ気づく。
「えっ、確か<ノルン>のクルーって」「あぁ、ガイノイド(女性型アンドロイド)って聞いたけど……」サニとティムは、美しい三体のガイノイドにすっかり見惚れている。三体の頭部に装着されたヘッドギア状の機材以外は、外見上、機械らしさはまるで無い。
「ああ、<ノルン>と共に開発された。名前も、ノルンの三女神に因んでいる。オレのいた大学の研究室が開発に加わっていてな」そう言いながら、アランも、三体のガイノイドの方へ寄る。
ノルンとは、北欧神話において世界樹、ユグドラシルの根元にある泉、ウルザブルンのほとりに住むという、運命を司る女神達の総称である。一説にはウルズが過去を、ベルザンディが現在を、そしてスクルドが未来を司る女神とも考えられていると、アランは、ここEU支部が開発したPSIクラフト<ノルン>と、彼女らの名前の由来を説明した。
<アマテラス>の面々は、アランの説明を横に、目の前のガイノイドに驚嘆の声をあげる。
「……どう見ても、人間……よね」「う、うん……」サニも直人も、アンドロイドは見慣れている。しかしその多くは、人の形をしていながら、顔は映像で表現したものや、カメラやスピーカーを顔のように配置しただけのもの、稼働部は機械そのまま剥き出しのものなど、人間には程遠い姿形だ。また、感情表現も必要最低限に限られている。アンドロイドとの不要なトラブルを避けるため、人間と彼らの『境界』をあえて残しているのだという話を、直人はどこかで聞いたのを思い出す。
『驚いた? 私たちほど精巧なガイノイドは、おそらく世界トップクラスよ』得意気にスクルドが言った。続いてノルンも口を開く。
『インナースペースの精密観測において、人間の感情は大きな揺らぎをもたらす。人を真似た擬似感情しか持たぬ我らは、<ノルン>が収集した情報の的確な予測演算を可能とするのだ』ウルズは、スクルドに比べ非常に平坦な物言いだ。その性格の違いも『疑似感情』というプログラムで制御されているのだと思うと、直人は、妙な心地を感じずにはいられない。
「そ、そいつぁ、大層なこって……けど、まあ、なんでまた、人型なんだ? しかも、揃いも揃って、美人三姉妹って」ティムが、浮ついた笑みを溢す。彼にとってはガイノイドでも、女性には変わりないようだ。
『ふふ、開発主任の、ノイマンチーフの趣味ですわ』穏やかな口調で微笑むベルザンディ。彼女のセミロングの銀髪が、軽やかに揺れる。彼女の髪型は、前髪とサイドが横に切り揃えられた、日本の平安時代の女性の髪型が源流と言われる、いわゆる姫カットだ。開発者の趣味をありありと感じさせる。
「あ、なんか納得」「あのおやっさんにして、その息子ってか」深く頷くサニとティム。
「冗談よ。ベルはジョーク好きなの」そう言うと、ハンナは、ハーブティーを一口含む。
『ふふ』悪戯なベルザンディの微笑みは、確かに、あのソフィアによく似ている。
「そんなふうには作ったつもりないのだが……」アランは首を傾げ、眉を顰める。
「えっ? ……それじゃ、アランが、このコの?」カミラに小さく頷くと、アランはベルザンディの肩に手を乗せ、口を開く。
「大学在学時に基本人格プログラムを。EU支部との共同開発だったが、俺としては、ソフィアの良き理解者で、パートナーとなるプログラムを組んだつもりだった。それでソフィアの意思を<ノルン>に伝達する役割を担う、ベルザンディに正式採用されたってわけさ」皆が頷いている間、アランはコーヒーを一口啜る。
「プログラムは学習する。まぁ、ソフィアがあんな感じだからな。感化されたんだろう」
クスッと笑みを溢すアラン。滅多に笑うことのないアランの自然な笑みを、これまで見たことがあっただろうか——カミラのボブにまとめたブロンドが、静かに彼女の瞳を覆い隠していた。