旅立ち 2
レニーのイメージに導かれ、時空間転移すると、<アマテラス>、そして<リーベルタース>の目の前に、現在の太陽系の姿が浮かび上がってくる。
ウィルソンの脅威が去った両船のブリッジには、穏やかな空気が生まれていた。
「アラン! 現在位置、時間軸は?」
「冥王星軌道付近まで戻ってきた。時間軸、約八年前!」
八年前……ちょうど、レニーが、『この世』を去った、その時と重なる。ティムは、その意味をわかっていた。固く口を閉ざしたまま、地球への針路を維持するティムに、直人はかける言葉がない。
『マイケル……もうすぐゴールだ』
フォログラムのレニーは、通信モニター越しのマイケルを見つめて呼びかける。サラは、マイケルに代わって、表情一つ変えることなく、<リーベルタース>の舵をとり始めた。
マイケルとレニーは、無言のままだった。しばらくして、先に口を開いたのはマイケルだ。
『……あの日、お前が一着で飛び込むはずだった……あのゴール……』
『マイケル?』『あのコースアウトがなければ、優勝はお前にもっていかれていた』遠い日を懐かしむマイケルの笑顔は、穏やかだ。兄の、そんな笑顔を見せられるとは……ティムは、小さな苦笑を押し隠して俯く。
『マイケル……僕は、キミに勝ちたかった。それは確かだ……けど、本当はこうやって、ずっと一緒に走っていたかった……』
天王星……土星……木星……そして火星。
二つの船は瞬く間に、星の海を抜けてゆく。
『……キミと走っている時、僕は本当に生きていた。僕の人生の全てだったんだ……そう感じさせてくれたのは、マイケル、キミだよ……』
『マイケル……キミが好きだ。大好きだ』
「レニー……………」
いつの間にか、月はもう、目の前だ。
マイケルは、地球側を照り輝かせる月を優しく見つめ、深い呼吸を吐き出すと、観念したような眼差しで口を開く。
「オレもだ……」
マイケル、そしてレニーの二人以外、言葉を発する者はいない。
「……認められなかった。オマエを……こんなに想っている自分を……フロウラーの長男である俺が、男のオマエを……」
九年前——
「いいか、息子たち! お前らは母が違えど、皆、兄弟! この月で、助け合い、そして競い合え!」
地月輸送船の船長を務める、『親父』の声は、よく通る。親父が滞在する月面ホテルのスイートルームには、豪勢なパーティーメニューが並び、そこに集めた二十名近いの青年達に向かって、ウイスキーのボトル片手に饒舌に語っていた。
「皆、『良い漢』になれ!」
ここに集められた男ばかりの青年らは、皆、母違いの弟達というから驚きだ。月に居る連中が、一同に会するのは今日が初めてだが、まさか、こんなに居たとは。聞けば、地球にもまだ弟、妹がいるという。
親父の節操の無さには、呆れる他ない。正妻だったのは、俺の母一人。その実母は、早くに亡くなり、その後は奔放に未婚のまま、世界中のあっちこっちの港で、女を作りまくったらしい。今更、何を言う気も無いが。
「良い漢とは何だ? わかるか、マイケル?」
またかよ。いつもの話だ。酒臭い息で話振りやがって。
「さ、さぁな……」「あぁ? ったく……お前は……」
「ぷふぁ!」親父は、ウイスキーをボトルから直飲みして、その場の一同を見渡す。
「いいかぁ……それはなぁ〜〜『女』さ」
いやらしい顔だ。こんな男のどこに、ここにいるヤツらの母親共は惹かれたというのか……
「女ぁ⁉︎」「はははは!」「お、漢の話だろ?? い、意味わかんねぇよ! オヤジ」
耳タコの話も、ここに居る連中は、初めてのようだ。年頃の弟どもは、『女』ってワードだけでバカ盛り上がりだ。一人、浮いてる、今回、親父が連れてきた、あの新入りを除けば。ティムとかいったか。
「うるせぇ! バカども! いいか、よく聞けよ」
「良い漢には、必ず良い女が付いてるってもんだ。男はな、女を知る事でデカくなる」
「ハハハ! オヤジみてぇにかぁ?」
「ああ、そうさ」
「いいか、野郎ども! 沢山、恋をしろ! そして、良い女を抱け!」
「フロウラーの名に恥じない、強い漢になれ!」「お、おう!」
「ま、そういう事なら、言われるまでもないさ!」「だな! ……そういや、お前、あの娘とはどこまで?」「そりゃ、当然!」「おお! やるじゃね?」見知ったボート仲間の弟達はともかく、ガラの悪い連中も多い。親父だけとはいえ、本当に血を分けた兄弟なのだろうか……。
「新入りのティムくんは、どうだい?」大柄な連中が、端の方で大人しくしているティムに絡み出す。月面宇宙軍養成学校の連中らしい。
「いや、オレは、その……」「やめとけ、ティムくんは、地球のマァマが恋しいとさ」「な、何だとぉ!」「一丁前に、怒ってやんの。はははは」
可哀想に。さっそく笑い種にされてる。ここの連中とは違って、人の良さそうなヤツだ。だが、ここじゃ、それではやっていけない。
「……お前もだぞ、マイケル」不意に肩を叩かれ、振り向く。親父が、ウイスキーを勧めているが、おいおい、こっちはまだ、未成年だっての。
「っと、そりゃ酷だぜ、親父!」ウザいチームメイトらが絡んできやがる。コイツらは、酒も入ってるようだ。
「そそ。マ〜〜イケル兄さんは、スペースボート一筋」「ボぉトがぁ、恋人らもんなぁ! ふへ、はははは!」「違ぇねえ!」
「くっ……」好き勝手言いやがる。こいつらこそ、何浮かれてやがるんだ。次の校内対抗も近いってのに。
確かに、ボートは愛して止まないさ。だが恋を諦めているわけでも、女が嫌いなわけでもない。それに、俺は、親父や、こいつらのような節操無しじゃない。
そういう出会いが無いだけだ。俺だって、いつか……
「焦る事ぁねぇ。マイケル。お前は、俺から見ても男前だ。なぁに、オマエを見てる女は必ずいる」
「いい女を見つけろ、マイケル!」つくづく腹の立つ親父だ。舐めやがって。
まぁいい。いずれ、見返してやるさ——
マイケルは苦笑して、不意に胸に蘇る、しょうもない思い出を吹き消し、もう一度、モニター向こうのレニーをしっかりと見つめた。
「……今ならはっきりと言える。レニー! オレは、お前を!」
『言うなあぁ‼︎』マイケルを遮って、ヒビ割れた叫びが、<リーベルタース>、<アマテラスのブリッジに響く。
「まだ来るか‼︎ ウィルソン‼︎」ティムは、操縦桿を握り締め、ウィルソンの襲来に備える。
『言うな、言うな、言うな、言うな‼︎ 穢らわしい‼︎ 繁殖こそ生命の本懐‼︎ 自然の摂理に反する、そんな感情は、この私が清めてくれるわ‼︎』
<アマテラス>の直上に警報と同時に、不意に現れる泥の塊。もはやウィルソンと感じさせる形は何もない。
「ナオ! 弾幕‼︎ 取り付かせるな!」「はい‼︎」
PSIブラスターの弾幕にウィルソンが怯んだ隙に、ティムは船を加速させ、その襲撃をかわす。
「サラ! <アマテラス>後方、距離五百! ピッタリつけろ! ホセ、重力子爆弾にシールド展開!」
<リーベルタース>は、ウィルソンのアメーバーのような塊を挟み、<アマテラス>と一直線に並ぶ。
『そもそも……お前たちは……優劣を競い合う、ただのボートレーサーじゃあないのかい⁉︎ いわば敵同士‼︎ 憎み合いこそすれ、よりにもよって愛など‼︎ さぁ、レニー‼︎ 世迷言はここまでよ‼︎ 私と一緒に!』
「こいつ! ブヨブヨと‼︎」「撃ち続けろ! 引き離せればそれでいい!」直人の放つガトリングガンさながらのPSIブラスターも、ウィルソンの身体に吸収されるばかりで、足止めが精一杯だ。
「ヘカテイアンハイブリッド! 後方、六〇〇‼︎ 取り付かれる‼︎」サニは、レーダー盤に食い入り、声を上げる。
「くっ!」後ろモニターを振り向いたカミラの眼前に、怨念めいたウィルソンの顔のようなものを浮かばせるアメーバーが迫る。
その後方で、<リーベルタース>の重力子爆弾がシールドを纏い始めている。カミラはハッと、マイケルの狙いに気づく。
「ティム! 重力子爆弾よ!」
「兄貴⁉︎ そうか!」
「よし! やるぞ、レニー」『ああ、キミ達に任せる』
ティムは咄嗟に面舵へと舵を切る。
「コースターン‼︎ 反転一八〇‼︎」
左舷前方、右舷後方のスラスターが勢いよく<アマテラス>を右方向に回転させる。スラスターが生み出す力場を両舷のウィングで掴みながら、ティムは豪快に船をドリフトさせながら、反転、ウィルソンのアメーバー体から離脱していく。
『何ぃ‼︎』ウィルソンは<アマテラス>の急激な転進に追いつかず、進行方向そのままに、アメーバー体を伸ばして<アマテラス>を絡め取ろうとするが、もう遅い。
アメーバー体に浮き出たウィルソンの原型を留めない顔が、<アマテラス>を追いかけようと後方を向いた。その正面に<リーベルタース>が待ち構えている。
「安全装置解除! 照準、正面‼︎」マイケルの命令を淡々とこなすホセ。準備が整ったことを示すサインが、キャプテンシートのコンソールパネルに灯る。パネルはタッチパネルの機能を有する。その中に、ホセが即席で拵えた、重力子爆弾の発射スイッチのボタンが表示された。
「冥土の見上げに教えてやる!」
マイケルは、正面に捉えた執着の権化の、その顔に向かって、声を張る。
「お前の言うとおり! レニーはオレの最強の敵! だがな!」
マイケルの言葉に、ウィルソンは威嚇めいた表情を作るばかりだ。
「強敵ってのは! 『最高の友』なんだよ‼︎」
マイケルは、叫びと共に、爆弾の発射スイッチを押す。爆弾は、異空間では役に立たない、推進剤の代わりに、表面に薄く張ったシールドの運動(この空間での爆弾の保護も兼ねる)によって僅かな推力を得て、真っ直ぐにウィルソンのアメーバー体へと向かう。
『ぅグァあああ⁉︎』重力子爆弾を抱え込むウィルソンを確認し、<リーベルタース>も急速離脱する。
「今よ、ナオ‼︎」「てぇええええ‼︎」
直人は、ブラスターを重力子爆弾に叩き込み、ウィルソンのアメーバー体へ重力子爆弾を押し込む。
重力子爆弾が起動すると、ウィルソンのアメーバー体の中で、グラビトンが解放され小ブラックホールが形成され始めた。
『レニー……レニー……レ……ニ……あ……い……し……………………』
ウィルソンのヘカテイアン・ハイブリッドの身体は、まるで爆縮するかのように、急速にその重力場へと圧縮されていった。一抹の哀しさを響かせた断末魔を残して……
ウィルソンが消えた重力場は、渦巻きながら月の周りを周回し始めていた。
ここは、レニーの魂の見る心象世界、インナースペース。現象界から、その重力場を見つける事はできない。ただ、レニーの魂の中に、彼の魂の情報場の一部として、残り続けるのだろう……
『博士……』
レニーは、そのウィルソンの重力場をしばらくの間、じっと見つめ、そして目を閉じた。
モニターが映しだす情景が、ぼんやりと変容していく。