Full Moon Cup, Again 8
『……やり方は間違っていた。多くの子供達も犠牲になった……けれど、博士は信じていた、ヘカテイアンハイブリッドこそ、PSIシンドロームに打ち勝ち、宇宙時代を切り拓く新たなる人類となると。それこそが、人類の救済だと……』
フォログラムのレニーの首もとに、さらに流体状のものが巻きつき始めている。モニターに映るウィルソンの記憶に見入る<アマテラス>の一同は、気づかない。
流体状のものは、次第に腕の形を作り始めた。モニターの中で、レニーを抱きしめている、ウィルソンの両腕そのままに。その腕に手を添え、レニーは語りかけるように呟く。
『純粋過ぎたんだ……博士は……』
突然、<アマテラス>の推力が落ち始め、船は後方へと引き戻され始める。
「時間パラメーター、反転⁉︎ 戻り始めた⁉︎」「博士だ! 博士の思念が、時間の引き戻しをかけている!」アランに続いて、直人が声を上げる。
「……あっ‼︎ テイアが‼︎」サニが後方パネルを指差して叫んだ。テイアもまた、後方へと逆進し始め、原始太陽系めがけて加速し始めた。
それを追って、空間自体が縮んでいくように、一気に太陽系近傍まで、<アマテラス>、そして<リーベルタース>は戻ってくる。
テイアはそのまま突き進み、原始太陽系へと突入した。
いくつかの原始惑星と衝突し、破片を撒き散らしながら、やがて灼熱のマグマオーシャンが覆う地球の軌道へと迫っていく。
<アマテラス>の一同は、船に取り憑いたウィルソンの事も暫し忘れ、テイアの行方を見守る。
テイアは、吸い込まれるように、地球へと激突した。
「ジャイアントインパクト……」「月が……産まれる……」マイケル、サラをはじめ、<リーベルタース>の一同も、その瞬間から目が離せない。
地球のマグマオーシャンを宇宙へと飛び散らせながら、崩れて半分ほどの塊となった燃え盛るテイアの一方が、地球から再び姿を現す。飛散した地球の残骸を纏いながら、次第に新たな一つの球体を形造り、地球の周りを回り始める。
『ヘカテイアンは……あのテイアと共に……うっ……太陽系に飛来した……あれは大量の氷を含んだ氷惑星。ヘカテイアンは、その膨大な水を溶媒とした……一種の情報生命体なんだ。その半分は原始の地球と一つに……』
レニーのイメージを再現しているのか、テイアの半壊して地球に残った側が、マントルの中へ、融合しながら溶け込んでゆく様が描き出されている。
地球がテイアを取り込んでゆくように、流体状のものから伸びだす触手が、次から次へとレニーに絡みつく。モニターに映る壮大な天体ショーに釘付けになったクルーらは、まだ、それに気づかない。
船外の時間パラメーターは急速に進む。月は冷えて岩石の塊に、そして地球は、分厚い雲を形成し、次第に青い海が広がってくる。
「待って! そうだとすると……地球の水は……もしや……」
『ああ……』レニーは、カミラの気付きに小さな声で答えた。
『……そして……生命の源は、水……その意味がわかるよね?』
「……ヘカテイアンは……我々の始祖だ、とでも……」
『……そういう事さ……』次にカミラに答えたのは、低い女の声だった。
『うっ……くっ……うぅ!』
苦し気な呻きに皆の視線が、レニーのフォログラムに集まる。同時に、フォログラムの中で、レニーに巻き付いた腕から、人の形をした身体が浮き上がってきた。
「ウィルソン!」ティムが、叫ぶ。
半透明のヘカテイアン流体が形作る、一糸纏わぬ若きウィルソンの身体が、フォログラムの中で甦る。ウィルソンは、レニーに腕と身体中から伸びる触手を絡ませ、彼の正面からピタリとくっついていた。
『ヘカテイアンは意思……彼らは、我々の宇宙を知りたいと願った……その意志が……やがて現象化し、意志の入れ物……身体を創り出した……それが生命……』
レニーの頬を愛おしげに撫でながら、ウィルソンは、自分の知り得た知識をさも自慢するかのような、尊大な口ぶりで語る。
「じゃ、じゃあ、月のヘカテイアンは、何なのさ⁉︎」サニが眉を吊り上げて、喰ってかかった。
『月となったテイアの片割れにも、ヘカテイアンは残っていた……だが、宇宙に野晒しの過酷な月では、地球のように生命を生み出す事は、彼らの意思でもできなかったのだろう……彼らは、月の余剰次元に、原初の姿のまま、ひっそりと身を潜めていたのさ』自説を披露する彼女は、教鞭を振るう教師のように生き生きとしている。
『……テイアの一部は、地球の地下深くに眠っている。地球と融合しながら……そこに取り残されたヘカテイアンは、今、地球の余剰次元の一部……』
「ガイアソウル⁉︎」直人は思わず声を上げる。
『ご名答』とでも言わんばかりの満面の笑みをウィルソンは浮かべて見せた。
『そう……そして、月と地球が誕生して以来、月のヘカテイアンと、そのガイアソウルは、常に感応しあっている。インナースペースの次元でね』
ハッとして、サニは顔を上げる。
「……虹蛇と……ワンジナ……」
『ほう、少しは学んでいるようねぇ。そう、ヘカテイアンと、地球に生まれ落ちた生命は、もともと一つ……人の集合無意識は、それを覚えているのさ』
レニーに絡みつくウィルソンは、まさにその、蛇そのものに、直人には見えた。
『……けど……地球の生命の進化には、様々な意志が関わっている……一概にヘカテイアンだけ、とは言いきれないようだけどねぇ』ウィルソンは、レニーの肩に頭をもたれかけ、誰にともなく、ウィルソンは小さく呟く。その小さな一言をカミラははっきりと聞いた。
『<アマテラス>! ティム‼︎』マイケルが呼びかけている。
『ちっ、邪魔者が! おしゃべりはここまでよ。私はレニーさえ居ればそれでいい。さぁ、参りましょう。私と共に』
ウィルソンのフォログラムは、足元からヘカテイアン流体へと戻りながら、レニーを絡め取ったまま、下方へ沈み込んでゆく。
『だめだ。まだ、まだまだ足りない……僕には……僕たちには……』
必死に抵抗するレニー。その意志が眩い光となって、フォログラムの全身を発光させる。
『レニーィイ! うっくっ……ああ、熱い! がぁ‼︎』
ウィルソンの触手、腕から蒸気が立ち上がり、たまらずレニーの拘束を解き、ドロドロとその身体を溶かしながら、底の方へと流れ堕ちる。
『この……身体は……やはり不完全なまま……か……やむを得ない……この船を破壊してでも!』
<アマテラス>船外を覆う泥がもごもごと、再び蠢き始めていた。