Full Moon Cup, Again 3
「何……」女司祭は立ち上がり、呆然と呟く。カタカタと映写機の音が、空虚な劇場の中で、淡々と聞こえてくる。
「なんだ……なんなのだ、これは? ムサーイド?」
ヴァーチャルスペースの、アバター姿であっても、『彼女』の戸惑いは、あからさまだ。
「……こ……このようなことは……シナリオにない……」
ムサーイドは、無言のまま『彼女』を見守る。
「ありえない……あってはならない……」女司祭は、ふらふらと腰を落とし、劇場のシートへと深く身を沈ませた。
なぜ、そこまで狼狽するのであろう。
確かに筋書きとは違う展開になってしまった。だが、その事よりむしろ、この登場人物らの予測の範疇を超えた行動に混乱している。『彼女』は全く理解できていないのではなかろうか……彼らの心情というものを。ムサーイドは、ふとそう思う。
怒り、憎しみ、恐怖。そういった負の感情と、それによる人の行動は、『彼女』にも理解できるようだ。いや、むしろそれに漬け込み、人心を操作する事には、『彼女』達は非常に長けている。
だが、今、この目の前の『登場人物』らを突き動かすような強い『想い』には、まるで無知なようである。そう、彼女が口にしたように、「ありえない」ものなのだろう。
疑念が頭をもたげてくるのを掻き消しながら、ムサーイドは、銀幕の演者達に、いつしか感情移入していた自分に、ふと気づくのだった。
そして、NUSA支部IMCにも、動揺を隠しきれない女がまた一人。ナターリアは、必死になって、<リーベルタース>への緊急コードを送信する。しかし、時空間転移に入った<リーベルタース>に、そのコードが届くことはなく、エラーが返ってくるばかりだ。
「とんだ番狂せだな……」マークの緩んだ口調の言葉に、ハッとなり、ナターリアは、一瞬、顔を上げた。
「くっ……!」だが、身体の裡に渦巻く余熱が、彼女の身体を突き動かす。
「もうよせ、ナターリア」マークは、乱れた呼吸に上下する彼女の両肩を、優しく包み込む。
「……君だって、わかっているはずだ……」
ナターリアの手が止まり、両肩から力が抜け落ちていくのをマークは感じ取っていた。
「しょ、所長! 見てください! 監視衛星の映像です!」オペレーターの張り上げた声に、マークは顔を上げる。
月面上に、ヘカテイアン流体の作り出した『海』の拡がりが納まり、その縁は、居住地区のギリギリ手前で、まるで何かに堰き止められたかのように止まっている。NUSA支部IMCは、どよめきに包まれる。
『我々に……時間を与えてくれているのか……』同じ映像を共有している、通信モニターの向こうの藤川が、呟いている。マークは、その言葉に小さく頷き、ナターリアをシート越しに、背後からそっと抱きしめた。
「任せてみよう……マイケル達に……」
ナターリアは力なく項垂れ、マークの腕に顔を俯ける。
「コーゾーも、それでいいな?」『うむ』
通信モニター向こうの長年の友は、力強く頷いていた。
****
「時空間転移、明ける!」「各部点検! <アマテラス>は⁉︎」
「波動収束フィールド、同期した。左舷よ!」
<リーベルタース>ブリッジの全モニターが回復してくると、左舷側のモニターに並んでくる、純白の機影がゆっくりと映り込む。<アマテラス>だ。
<アマテラス>は、<リーベルタース>と舳先をピッタリと並べて停船した。
「見て、マイケル! 重力子爆弾が⁉︎」サラがモニターを指さして声を張る。
「あぁレレ⁉︎ カウンターが止まってやがるじゃんヨゥ!」
「ターゲット、ロスト……発射不能?」自席の情報パネルを点検するサラは、戸惑いをみせる。
「マイケル、まさか、あんた?」ケイトは、横目でマイケルを見やり、訝しむ。
「ふん……アイツの狙いにノってやっただけさ。これでイイか、ティム?」
マイケルがそう問いかけるのと、各拠点、そして<アマテラス>との通信が回復するのは、ほぼ同時だ。
『さっすが、兄貴。やっぱりお見通しだったってワケね』
自席に着席して、操縦桿を握るティムの不敵な笑みが、幾分癇に障るが、もう怒鳴り散らす気も起きない。
「重力子爆弾は、通常空間での運用を前提とした設計だ。こんな異空間では目標の特定もできない。当然こうなることは、想定済みだ」鼻で笑いながら、マイケルは言う。
『ま、そういう事にしておくさ。で、ここまで来たからには……』
「茶番もいいところだ。が、挑まれた勝負。受けて立たねばなるまい」
マイケルは、通信モニター向こうのレニーのフォログラムをジッと見つめた。
『嬉しいよ、マイケル。キミとこうして、また走れるなんて』
「レニー。お前に付き合ってやる。だから、月面に現れたヘカテイアン共を何とかしろ! それが、走る条件だ」マイケルは、手早くキャプテンシートを操船モードに切り替える。床下に格納されていた操縦桿とフットペダルがゆっくりと立ち上がってきた。
『もとより……そのつもりだよ』レニーは、ここ一番の笑顔を見せていた。
「もとより……?」
マイケルは少し眉を顰めるが、何かに気づいて苦笑し、操縦桿に手を置く。
「隊長! レニーは嘘をつくようなヤツじゃない! 頼む、オレたちに船を預けてくれ!」ティムは、カミラの方を向き、訴える。
「ティム……」
「いいんじゃない? PSIクラフト同士のレースなんて、今回限りよ! やろうよ!」サニは、ワクワクと言わんばかりの笑みをカミラに向けた。
「オレもノるよ、ティム」「ああ、お前ならそう来るよな、ナオ!」「当然……だろ」直人もティムと一緒になって、カミラをじっと見つめ、判断を待つ。
「……わかった……どの道、他に、あのヘカテイアンをなんとかする解決策も見当たらない。貴方達に任せるわ」
チラッとアランを見やれば、微笑を浮かべて小さく頷き、さっそくPSI-Linkシステムに入り込んだレニーのイメージから、サーキットのマップを起こし始めた。カミラは苦笑せずにはいられない。通信モニターに映る各拠点の責任者らも皆、一様に頷いて、カミラ、マイケル両隊長の判断を承認していた。
「サンキュー! さっすが、話がわかるぜ、隊長!」
「減らず口は聞かないわよ。皆、気を緩めないで。サニは全方位監視、ナオは、装備系、何があっても対応できるように!」「はい!」
『ふふ……ティムはいい仲間を持ったね』「ああ」
レニーともう一度アイコンタクトを交わすと、ティムは正面へと向き直る。
『いいかい、僕が操縦のイメージを伝える。ティム、キミは僕の手足となって、船を走らせるんだ』「あのときみたいに、か。いいぜ、それで行こう。兄貴、いいか?」
『構わんさ。こっちはオレ一人で……』『いいえ。こっちも二人よ』
「サラ⁉︎」自席から立ち上がったサラは、ダミアンの座る操縦席へと、足早に進む。
「私がアシストする。ダミアン、席を譲って」「お、オイ、オイオイ! アシストならオレっちの方が!」「いいから!」
上官の気迫か、女の強い意志か、圧倒されてダミアンは腰を浮かせて後ずさる。空いた操縦席へ、サラはすっと、細身の身体を滑り込ませた。
「貴方の足回りのクセ。私が一番、わかってる」呆気にとられるマイケルに、操縦系統をチェック、シートのポジションを調整しながらサラは言った。
「……頼む」背後からかけられた、マイケルの短い返答に、サラは小さく微笑む。
「クゥウウウ! 念願のサーキット……走ってみたかったのにヨゥ!」「ごめんね」
「壊さんでくださぃヨゥ、副長」ダミアンは渋々引き下がり、空いた副長席に腰を下ろす。
『……向こうも、準備ができたみたいだ。さあ、あの日に戻ろう』
レニーが瞑目し、集中を深めていくと<アマテラス>、<リーベルタース>両船が、同調して作り出す波動収束フィールドに、忽ち建造物、大型スクリーン、サイン灯などが浮かび上がってくる。後方に浮かび上がる、観覧メイン会場となっているスペースボートターミナルからは、観客の割れんばかりの熱気が伝わってくるようだ。
マイケルには、八年前、レニーと最終ラップを競い合った、あのレースの光景だとすぐにわかる。見渡せば、上空にはスタートを待ち侘びる中継衛星のカメラ、両サイドには、レニーの他、ライバルチームのボートが並んでいる。全身に湧き立つ血が、八年間閉じ込めてきたスペースボート乗りの魂を揺さぶり始めていた。
レニーによって、両船間の通信が切られると、変わりに、当時のままの実況の声が、音声変換されて両船のブリッジにけたたましく響き渡る。
『……フルムーンカップ! いよいよバトンが最終グループに引き継がれます! 現在、先頭はフロンティア学園、チーム、フロウラー! それに迫るのは、ルナ・フィリア、チーム、シルバーアロー! 一進一退の競り合いだ!』
後ろから、鬩ぎ合う二艘のスペースボートが迫る。
『先にバトンが渡るのは、どっちだ! ……おお、フロウラーチーム、前に出た! 今、バトンが……‼︎』
フロウラーチームの機体のバトンサインが発光すると、シグナルランプの点灯がグリーンへと変わる。
『渡った‼︎』
「行くぞ、サラ‼︎」「ええ!」
引絞られた弓から放たれる矢の如く飛び出した<リーベルタース>は、瞬く間ににしてトップスピードまで加速する。
『フロウラーチーム最終、マイケル・フロウラーがスタート‼︎ 続いて‼︎』
『僕たちも!』「おう!」ティムは、スロットルを一気に開放。<リーベルタース>を追って、<アマテラス>が飛翔する。