Full Moon Cup, Again 1
八年前、フルムーンカップ、レース開始直前——
スペースボート発着ステーションに、間も無くレース開始のアナウンスが響き渡る。その時になっても、ティムはまだ姿を見せない。レースはリレー形式、ティムは五人中、三番手。一時間もすれば、出番だった。
「チッ……ティムのヤツ! どこ行きやがった?」痺れを切らせたマイケルは一人、ティムを探しに出ていた。駐機場は、隈なく探した。残るは、選手の待機場の方だけだ。
開会式の後、はしゃいでマイケル、ティムと記念撮影していたレニーだったが、待機場に戻る間に、みるみる顔を青ざめさせ、ふらつく身体をルナ・フィリアのチームメイトらに支えられながら戻っていくのを、ティムは目撃した。心配になって様子を見に来たが、案の定、控え室でぐったりと座り込んでいた。
レニー以外は誰もいない。チームメイトらを先に行かせたようだ。彼らは、ルナ・フィリアが金で雇った、フリーのボートレーサー達らしい。レースの時にだけ集まる彼らは、腕は確かなのだろうが、冷たいものだ、とティムは思う。
「無理するな、レニー。そんな体調じゃ……」立ちあがろうとするレニーを制しながら、ティムは声をかける。
「レースは出る。マイケルとの勝負、外せるわけ、ないじゃないか……」「けど!」「大丈夫……」
「行かなきゃ……」レニーはティムを押し除けて、ゆっくりと立ち上がるが、ふらついてティムに倒れ込む。咄嗟に、ティムはレニーを支えた。
「会場まで……一緒に行ってくれるかい?」「レニー‼︎」ティムは、椅子に戻そうとするが、レニーは頑なに拒む。レニーは、苦悶を押し隠し笑顔を作ってティムを見上げる。
「…………頼むよ……」
柔らかな笑顔のレニーの瞳に、淋しさと覚悟を感じ取り、ティムはハッとして、息を呑む。
レニーに肩を貸しながら、二人は駐機場の方へと向かう。
「……もし、僕が優勝したら……マイケルに……」「あ、ああ……そうしろよ」
「ふふ……レースより……ドキドキする……」「バァカ……」
「ふふふ……ううぅ」全身を襲う疼きに、レニーは苦しみ出す。
「レニー⁉︎」
レニーはティムの左腕に身体を密着させ、しがみ付く。
「お願い……ちょっとだけ……身体がざわめいて……」
アナウンスが、リレー先発組のスタートを告げていた。
聞き覚えのある声が、通路の奥から聞こえてくる。声が、ティムとレニーであることにすぐに気付き、マイケルは、声をかけようとするが、喉元まで出かかった声を押し殺し、陰に身を隠す。
そっと様子を窺う。二人は抱き合っているように、マイケルには見えた。
「……ティム……キミは……いいな」レニーは少しずつ、落ち着きを取り戻し始めた。ティムは沈黙を保ったまま、レニーの好きにさせる。
「……キミといられる時だけ……僕は……本当の僕でいられる……このレースが終わったら……僕は……」
レニーの声は、咽び泣いているように聞こえる。やるせない想いが、胸の高鳴りとなって、口から溢れそうになるのを、マイケルは手を口に当てて必死に堪えた。
「……僕は……もう……」「えっ……何?」ティムの動揺した声が聞こえる。
「……うぅんん……なんでもない……お願い……もう、少しだけ……」
ティムの肩に、レニーが頭をもたれ掛けた時、マイケルはもう、その場にいることができなかった——
「俺は、見た! レース前のお前たち二人を! お前たちの関係も! 全部、知っているんだ!」
マイケルの口から、情念に塗れた言葉が溢れ出す。あの時の想いと共に。<リーベルタース>の彼の部下達は、これまで決して見ることのなかった、マイケルの感情の発露に怯みながら、目を見開いて彼を凝視する。その中で一人、サラは俯いてた。
<アマテラス>、そして、ミッションに関わる各拠点もマイケルの叫びに静まり返り、動静を見守る。
『あ、兄貴……』ティムは、恐る恐る声をかけた。
「あの日、アイツの走りは、らしくなかった! まるで勝負を焦っているかのような……そうさせたのは、ティム、お前だ!」
マイケルから吐き出される言葉の洪水は止まらない。
「アイツは、お前に心を寄せていたんだ! それが、アイツをおかしくした! そして、あの事故につながったんだ‼︎」
「お前が……アイツを……アイツを殺したんだ‼︎」
そうだ、あの日からだ。あの日から、兄の自分への態度があからさまに変わったのは……
「兄貴……まさか……」
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「ああ、レニー……」マイケル、ティムの対峙に、皆が気を取られている間、それは、ブヨブヨの身体を畝らせながら、606号棟の激しく歪んだ床に這いつくばり、その中心に立つ、レニーの幻影に絡みついて、何度も接触を試みていた。
その身体は、時空の畝りに身体を引き延ばされ、縮まされ、引きちぎられては、再融合する。苦悶と快楽の混ざり合う表情を浮かべながら、ウィルソンは、レニーへと腕を伸ばす。
「レニィイ……か、身体が……ぁぁあ……ダウンロードストリームだとぉ……私は……辿り着く……レニー……あなたの時空へ……あと……もう少し……」
ウィルソンの伸ばした腕は、ようやくレニーの身体に触れられるようになっていた。彼と、自身の時空が同化しつつある事に、ウィルソンは歓喜し、身体の至る所から伸びた触手を、レニーの元へと送り込んでゆく。
『…………』ウィルソンの触手をレニーは、無言のまま受け入れている。彼の手足に、首に、触手は、無遠慮に這ってくる。
その事に、睨み合うティム、マイケル共に気づかない。
「兄貴……まさか……兄貴も……レニーを……」
目を伏せたマイケルの、小さな舌打ちをティムは、はっきりと聞き取っていた。