フル・アースの日に 6
二人を乗せた機体は、『KEEP OUT』と表示されたバリケードを飛び越え、コースから分岐した通路へと侵入する。サーキットのメンテナンス車両の侵入通路のようだ。通路は、次第に下っていき、地下へと潜ってゆく。
「なんだ? ここは……」「今のコースに拡張される前の、サーキット。五年前くらい前まで使われていた……」
「へぇ……トンネルの中を走ってたのか」「溶岩チューブを利用しているのさ」
「放射線や、寒暖差からボートと乗り手を守るため……今じゃ、ボートも改良されて、ほぼ露天型コースになっているけど……」「ふぅん……」
照明も落ちた暗いコースをゆっくり走る。機体のヘッドライトだけが、加工された溶岩チューブの岩肌と、路面だけを闇の中に浮かび上がらせていた。
「……で、どこまで行くんだ」
無言の二人を乗せたボートは、十分ほど静かに直走っていた。
「ここだよ」そう言うと、レニーはボートを止め、ヘッドライトも、機内照明も全て落とす。
「うわっ? ……な、何も見えねぇ……」「上だよ、上」
「あ……」ティムは息を呑む。
天井にポッカリと空いた穴から、星々の瞬きが注ぎ込む。
「すげぇな……コレ」
「どうだい、天然プラネタリウムさ」
二人は、シートを倒し、天空を見上げる。吸い込まれそうな宇宙の深淵に、ティムは言葉も出ない。
「このコースにはね、こういう穴は何箇所かあるけど、ここは、地球灯りも太陽の光も届かない。もちろん、月面の街の灯りも…………僕のお気に入りのスポットさ。時々、練習抜け出して、一人で来てたんだけど……キミと一緒に来てみたかったんだ」
レニーの片手が、ティムの左手に触れる。焦ってティムは、左手をそっと自分の方へと引く。
「……そ……そうか……で、でも……あ、兄貴……の方が良かったんじゃねぇ?」
レニーの気持ちには、薄々、勘付いていた。レニーは暫く口を閉ざし、それからティムを一目見る。
「……マイケルは、あのフル・アースのような人……華やかな舞台が似合う人だから……僕は……」
レニーの微笑みは、淋しそうに見え、ティムは胸の奥が微かに揺れる。
レニーは、天空へ向き直り、指差しながら言う。
「ほら、見て……ここからだと、あんなに暗い星もはっきり見えるよ。見える? あそこ。ほら……こっちも」「え、あ……うん……」
「暗くても、遠くにあるだけ。人に見えてなくても、そこで立派に輝いているんだよ。僕はそんな星が好き。そういう星、もっと見つけたいんだ」
レニーとティムの視線が重なる。
「知ってるよ……キミは、人が見えないところで、努力している……キミはまるで、遥か何万光年彼方の星のよう…………僕は、そんな星が好きだよ……」
「……レニー……」
胸が熱くなる。男と知らなければ、もしや、このまま……ティムはそう思う。
男? ……女? ……
なぜだろう。なぜ、そこに囚われてしまうのか……肉体の本能、欲求でしか、自分は人を愛せないのだろうか? そんな思いが沸々と心の奥底に湧き上がってくる。
そのティムの心のモヤを見透かすような、レニーの瞳、微笑み。空を見上げれば、何もかも包み込む果てしない宇宙。魂が、肉体を離れていくような感覚を覚えながら、ティムは、自分からレニーの手に自分の左手を重ねていた。
その瞬間。
「……うっ!」レニーは、シートから跳ね起き、胸を押さえて苦悶の声を漏らす。
「ど、どうした! レニー⁉︎」
「い……痛い……身体が……」
レニーは、身体を丸めて全身を両腕で抱え込み、悶え苦しむ。
「レニー!」「……ふふ……そうか……僕の心が……揺れるから…………でも……帰り……たくは……」
「レニー! しっかりしろ! ルナ・フィリアだな⁉︎ すぐに送り届けてやる!」ティムは、ボートをすぐに起動し直す。
「……嫌だ……か、帰りたく……」
レニーの呼吸が荒くなっていく。
「…………ティ……ティム……キミと……一緒なら……僕は……今、ここで……死んでも……死な……せて……」レニーの声はどんどんと細くなり、息も絶え絶えだ。レニーに触れていた手に、奇妙な脈動を覚え、ティムは驚いて、手を離す。
何が起こっているのか、わからないが、レニーの身体が明らかに異常であることは明白だ。とにかく一刻も早く、ルナ・フィリアに送り届けるしかない。
「バカ! 何を言ってるんだ! 俺が必ず!」
ナビゲートシステムでルナ・フィリアを検索する。この古い溶岩チューブの地下通路がルナ・フィリアにも連結しているようだ。幸い、ここからなら近い。
「……ティム……」
「死なせない! 絶対に! 飛ばすぞ!」ティムは、アクセルを目一杯に踏み込んだ——
『ふふ……あの後のキミの走り……最高だったよ……身体は苦しかったけど、僕は全身で感じてた……』
正面モニターに映るレニーの身体は、段々と四方に引き伸ばされ、歪みを見せていた。この次元もいよいよ、現象界へと『引き摺り出』されるのだろう。
「当たり前だろ! 目の前で、あんなに苦しまれたら……お前は、大事なダチだ。ダチを見捨てられるヤツがあるか‼︎」
ティムは、立ち上がり、レニーの隣に映る<リーベルタース>ブリッジのマイケルに向かって声を張り上げる。
「兄貴! 本当に……本当に、コレでいいのか⁉︎ コイツは、ここにいるコイツは、間違いなくレニーだ!」
『……』マイケルは、瞳を閉じ、奥歯を噛み締め、肩を震わせている。ティムは、追い討ちをかけるように叫ぶ。
「兄貴! 今すぐ!」
マイケルは、苛立ちを拳に乗せて、自席のコンソールに叩きつけ、ティムの言葉を断ち切った。
『うるさい! ティム‼︎ そんなこと、お前が言えた義理か⁉︎』立ち上がって、マイケルも叫んだ。マイケルのいつにない激昂に<リーベルタース>の一同は、唖然となる。
「なっ……?」言い返す言葉がない、いや、兄が何を言いたいのか、ティムには、まるでわからない。
『オレは知っている! あの時……あの事故の直前……』
ティムは、そのマイケルの言葉に息を呑んだ。