フル・アースの日に 5
「発射カウント、残り七分! あと二分で演算処理が停止する。動けるよ!」サラが声を張る。
サラと視線を合わせないようにして、マイケルは、相槌を打つ。
「マイケル……本当にこのまま……」
表情を固めたまま自席のパネルモニターに向かうマイケルが、サラに返事を返す事はない。
『……合理を超えた感情……』
レニーの言葉が、マイケル、サラに、同じ時を思い起こさせていた——
「あーぁあー。スラスターの放熱板、全部交換よ、これじゃ。酷使し過ぎ。エンジンは……こっちもマルっと取っ替えたほうが早そうね。いい、マイケル?」
エンジンルームから顔を上げ、コックピットのマイケルに聞こえるように、サラは声を大にして言った。その時、駐機場の奥の方から、一台のスペースボートが走り出してくる。
「あぁ⁉︎」半開きのキャノピーの中に、乗っている二人の少年に気付いて、サラは目を丸めた。
「ティム! レニー! もう、勝手にぃ‼︎」
閉まりゆくキャノピーの下から、レニーの流し目が覗く。その瞳は、じっとマイケルを捉えていた。
マイケルがそれに気付いた時、黒塗りのキャノピーは完全に閉まり切り、スペースボートはサーキットへ続くエアロックへと消えてゆく。
マイケルは、小さく舌打ちして、自機のチェックに戻る。
「マイケル……」サラは、その後ろ姿に口を閉ざし、俯いた。
二人は、そのまま黙々と作業に戻っていた——
「次元コミュニケーターの演算が終了した。全制御システム回復!」アランの緊迫した声に、カミラは小さく頷くと、通信モニター向こうの藤川、東の指示を仰ぐ。
『……止むを得まい。直ちに帰還準備を』東は、すぐに返答した。
「了解です。現象境界まで浮上、時空間転移に備える。ティム!」
「……くっ……レニー……」ティムは操縦桿を固く握ったまま、カミラの命令を実行しない。
「どうした、ティム⁉︎ 急ぎなさい。グズグズしていたら、私たちも巻き込まれるわ!」カミラは、厳しく命じるもティムは、肩を震わせて、応じない。
『時間が来たみたいだね、ティム』正面モニターのレニーは、どこか淋しげな表情を浮かべ、そう呟いた。間も無く、この次元に居るレニーも、現象化して、物質の世界へと浮かび上がるのを悟っているのであろう。
「レニー⁉︎ 諦めるな! オレが、助けてやる! だから!」ティムは、レニーに向かって叫ぶ。
『……ふふ……あの時も……キミはそうだった……どうして、そこまで……僕のことを……』
「そ……それは……」
——
「そう……いい感じ」
ティムとレニーを乗せた、教習用の二人乗りスペースボートは、サーキットを静かに疾走していた。
スペースボートは、元々、月面低空探索用の小型宇宙船がベースになっているため、ボートと呼ばれるが、実際はタイヤで地面を蹴って、月の低重力下で浮かせ、半ホバー状態で滑走、接地したらまたタイヤで地面を蹴る……その繰り返しで走行する、宇宙船と月面ローバーとの合の子のようなものである。接地と跳躍、浮揚中の機体制御は、コンピューターのサポートはあるものの、特に競技用機体の場合、そのタイミングは、パイロットの技量に任せられる。
接地の間のグリップを生かしながら、その時間を短くして、ホバー距離をいかに稼ぐかが、スピードの伸びを分ける。マイケルはその感覚を身体に覚え込ませているが、まだ日の浅いティムは、接地の時間が長くなりがちだった。
レニーは、その癖を見抜き、操作のタイミングを、ティムに教える。自分の走りと全く違う、そのタイミングの取り方にティムは舌を巻く。
「次……ヘアピン、来るよ」
ティムは、そのカーブをホバーではこなし切れず、接地したままドラフトする事でいつも乗り切っていた。マイケルら上級者は、わずかな減速で接地を最小限に抑えつつ、コーナーを回っていくが、ティムにはどうしても、それができない。
レニーは、ティムの操縦桿を握る手に自分の手を重ね、深呼吸してみせる。つられてティムも一つ深呼吸すると、ヘアピンはもう目の前に迫っていた。
「ここは……こう……」
レニーの誘導に抗わず、ティムは操縦桿を切る。
「……」「固くならないで。力まず……そのまま、流れに任せる」
レニーの動きは、全くの無駄がない。その動きに身を任せるままに舵を切っていくと、ボートは、波間をゆくサーフィンのようにコーナーを滑っていく。
「大丈夫……怖くない……よし! 抜けた‼︎」
気がつけば、このサーキット最大の難所をいとも簡単にすり抜けている。
「な、何だ……今のは……」「ティム、ボートは舟だよ。この荒涼とした月面にも、目に見えない力の流れがある。それに乗るんだ」
「……ははっ……敵わねーなぁ、お前には。そんな境地、オレにはさっぱりだぜ」「そのうち、わかるよ。マイケルは、それを体得している。本人は無意識だろうけど」
「マイケルは凄いよ……それに……優しい」
レニーの長いまつ毛が下がり、頬が緩んでいるのが、ヘルメットの色の濃いバイザー越しにもはっきりと見てとれた。
「レニー……まさかお前、兄貴のこと……」
レニーは何も応えない。すると、二人のボートの行手の山間から、青い輝きがそっと浮かび上がってくるのが見えた。
「…………今日はフル・アース……か……」
真丸に満ちた地球を見上げ、レニーは小さくため息をつく。
「こんな日は、気持ちがざわつく……」
するとレニーは、突然、横から操縦桿を奪い、ボートをコースからはみ出させた。
「わっっと! 何する、レニー!」「いいから!」