LUNACY 6
ペイロード・ベイ内に積み込まれたモノ。エネルギー供給状況がモニターに表示され、その各部の表記から、おおよその構造を掴んだホセは、口を戦慄かせて、声を出す。
「これは、まさか……じゅ、じゅ……重力子爆弾⁉︎」
『ご明察……』ナターリアは、鋭い視線を保ったまま、小さく口角を持ち上げる。
「チーフ……あんた、いつの間にこんなもんを⁉︎」
「環境への影響が計り知れないため、凍結された兵器のはず……」ホセが震えた声で言う。
「そんなもの、NUSA政府にはどうとでもできる……つまりこれは」
『……そうだ……政府からの極秘命令だ……』
マイケルの推察をマークは、項垂れて認めた。
ホセは淡々と解説する。
「重力子弾頭は、インナースペースにまで影響を及ぼすPSI兵器です。いわばピンポイントのブラックホールを作り出すような代物。その時空歪曲効果は、インナースペースレベル3相当にまで達すると言われています」
「それで、<アマテラス>と<リーベルタース>で、効果レベルまで、ヘカテイアンの炙り出しをさせたわけか! だが、こんなもの月面でも!」
『ええ、そのとおり。中心ターゲットはルナ・フィリア。効果範囲はその約一千キロメートル四方……月南極の広範囲は、グラビテトン粒子が、この時空から発散するまで、少なくとも百年は、重力異常場と化す』『……逆に言えば、ヘカテイアンを駆逐し、さらにその時空との結節点をも封じ込められる……それが狙いだ』
「そんな! ルナ・フィリアには患者達がまだ! それに、その範囲だと居留地の半分は巻き込まれる! 尋常じゃない! 今すぐ止めるんだ!」 マイケルは、腹の底から湧き上がるモノを押し込みながら、抗議した。
『ふふ、それこそ住人は、シェルターに避難してるじゃない。シェルターには電磁結界もある。運が良ければ助かるわ』
マイケルは、ナターリアを睨め付ける。
「ホセ! 解除は⁉︎」「できるわけ……ないっですよ……」「だろうな……」
「あ、ああ!」マイケルが考えをまとめる間も無く、ホセが奇声を発する。
「発射カ、カ、カウンターセットされました。あと三〇分! 次元コミュニケーターと連動しているようです……こいつの演算が全て終わった時が……」「発射のタイミングってわけね」
<リーベルタース>からの通信に、藤川は眉を顰める。
『そこまでして、ヘカテイアンを? どういう事なんだ、マーク?』藤川の追求に、マークはゆっくりと顔を上げた。
「……月への本格的な移住が開始されて、半世紀余り……人はまだ、長期に渡って月への滞在が困難だ。滞在者に発症するPSIシンドロームとされた原因不明の心身障害……それはヘカテイアンとの感応による精神干渉だった。ヘカテイアンこそが、長期移民の障害となっていたのだ。その一方で、それは、過酷な宇宙環境に適合出来る、新たな人類を生み出す可能性もあった……ヘカテイアンハイブリッド……そのレニーこそがまさに……」
<アマテラス>から送られてくるレニーの映像は、じっとこちらを見つめている。マークは、その澄んだ瞳を直視できない。
「だが……ここへきて、NUSAは人類にとって、ヘカテイアンと、そのハイブリッドが脅威となり得ると判断したのだ。ヘカテイアンとハイブリッド、ヘカテイアン感応者ら、皆、ルナ・フィリアに封じ込め、滅ぼす! それが、NUSA政府が我々に与えた真のミッションだったのだ!」
『バカな! それで良いのか、マーク! おそらくヘカテイアンは、我々が認知した、初めての地球外知的生命体だ! それにルナ・フィリアの患者達の命をなんだと思っているんだ!』
「わかっている! コーゾー、だからこそ! <アマテラス>に賭けた! <アマテラス>が、ルナ・フィリアの患者らに取り憑く、ヘカテイアンを追い出すことができれば! と……だが、もう遅い! プログラムは動き出してしまった! どうしようもない!」
切々と訴るマークを押し退け、通信モニターの前にナターリアは進み出る。ナターリアは声を大にして叫んだ。
「滅んで当然よ‼︎ ヘカテイアンも! ルナ・フィリアも‼︎」
『マイケル、それから<アマテラス>。次元コミュニケーターの稼働が止まれば、船の制御は戻る。その時点で、発射までは五分の猶予があるわ。巻き込まれたくなければ、その間に戻ってらっしゃい』ナターリアは突き放した口ぶりで言う。
「なんだと!」ティムは腰を浮かせて、いきり立つ。
「ティム‼︎」カミラの制止は届かない。
「聞いてりゃ勝手な言い分だぜ! ヘカテイアンに飲まれかけてるとは言え、ここには生きた患者達がまだいる! それに、このレニーは……レニーは‼︎」
『生きている、とでも?』嘲笑して、ナターリアは言う。
「ああ! オレはコイツを……ダチを見捨てるなんて、できやしねぇ!」
『ふふ……はははは! 何が、ハイブリッドよ! 見かけは上手く誤魔化せても、もうそいつは、死人よ! そこにいる、私の娘と同じようにねぇ‼︎』
ナターリアは、ぼかしの入った通信映像を指差し、動かなくなったウィルソンの身体を蹂躙し続けるヘカテイアンの群れを睨め付ける。
『アンナのママか……』レニーの瞳は、そのヘカテイアンの群れの中に、ナターリアの娘の記憶の残滓を読み取っていた。
「十一年前……私も、月にいた……ユーラシア連邦とNUSAが中心となって進めていた『深宇宙有人探査船計画』のプロジェクトの一員として……軍の夫と、娘アンナ……家族で、月から太陽系深淵へと向かう日を夢見ながら……」
「けれど……月に渡ってから、そんな夢に満ちた時間は、あっという間に奪い去られた。ヘカテイアン……あんた達にね!」
ナターリアの痛切な叫びにも、レニーは表情ひとつ変えない。
「月へ渡って間も無く、アンナは体調を崩して、PSIシンドロームの可能性が濃厚と診断されたわ……月では、PSIシンドロームの発症は極めて低いといわれていたのに……月で、PSI医療を扱う機関はルナ・フィリアしかない。一縷の希望に賭けて……私達は娘をルナ・フィリアに預けた……それが……地獄の始まりだった……」
「治療のためだと……会うことも月に数回程度……でも、アンナは会う度に痩せ細り……記憶も次第に失っているようだった。得体の知れない言葉を話し始めた……私に、発狂して襲いかかってきたり、分別もなくなって……あろうことか、面会中、夫に迫ったことも……」
「どんどん変わっていくあの子を救い出そうと、何度もルナ・フィリアに掛け合ったわ。けど、ウィルソンは! その女は‼︎」
九年前、ルナ・フィリア——
「アンナが……救世主……? どういう……意味ですか……博士……」
「どういう意味も何も。言葉通りよ」
背を向けた椅子を回転させ、ウィルソンは、ナターリアに向き合い、彼女の机上に、一つのフォログラム映像の資料を立ち上げる。
ナターリアの視線がその資料の方へ向くと、ウィルソンは、ニヤリとさせた口を動かし始めた。
「……この星で発見された、亜物質ヘカティア……ここの患者の症状はね、そのヘカティアとの精神感応が引き起こすものだと、段々とわかってきているわ。けれど、その肉体的負荷に耐えられる者は少ない。その中でアンナは、もう時期二年と持ち堪えている。いえ、彼女の身体の中で、ヘカティアが組成を変えて、彼女の一部となり始めている……」
アメーバーのような何かが、細胞を取り囲み瞬く間にその構造を変えていく。フォログラムの中に、そうした映像がいくつも投影されていた。『捕食』を思わせるその光景は、本能的にナターリアの背筋を凍らせた。
「な、何を言っているの……博士……あの子に、一体、何を……」
まさか……その細胞は……嫌な予感が、ナターリアの全身を震えさせる。
「ふふ。アンナはね。今、より強靭な肉体と精神を持つ人間へと変化している……いや、成長と言った方がいいわね。大丈夫、ここを出る頃には、見違えるわ」
そう言うと、ウィルソンは立ち上がり、その面会室の出入り口へと足を進める。
「ま、待って! 娘に、アンナに会わせて!」
ウィルソンの後を追おうとするナターリアの行手を、ウィルソンと良く似た顔の二人の女側近が遮る。
「お帰りよ。お見送りして差し上げて」
ナターリアの抵抗を女側近の二人は、平然としたまま、全く動じない。そうしている間に、ウィルソンが出ていったドアが静かに閉まりきる。
「い、いや! アンナ! アンナァアアアア‼︎」
——
「……とうとう、アンナには一目として会うこともできないまま……アンナの死亡通知が届いたのは、それから半年ほど経った頃だった。遺体は還らず、わずかな慰留品だけが戻ってきただけ……」
ナターリアは、首から下げた小さなロケットを手にとり、蓋を開ける。ナターリア、彼女の夫、そしてアンナ。仲睦まじい三人の家族写真が収められている。それは、アンナが、ルナ・フィリアに入る折、ナターリアが寂しがる彼女に、プレゼントしたものだった。
しばらく俯いて、それを眺めるナターリア。彼女の両眼には、もはや涙も無い。誰一人として、ナターリアにかける言葉を持たなかった。
重い沈黙に包まれる各所に不敵な、そして不快な笑い声が覆い被さってくる。
『……くっくくっくく……良い……サンプルだったねぇ……あの子……は』
「ウィルソン博士⁉︎」カミラは、彼女を映す次元カメラの映像を覗き込む。ウィルソンは身体を畝らせ、およそ人間とは思えない動きで身体をゆっくりと持ち上げる。
「まだ……生きてやがるのか……」唖然としてティムは見守る。
「ぐぶっ……ふぐぅ……はぁ……はぁ……滾る……滾るわ……私の身体を……ヘカテイアンが……喰らい……溶け合い…………嗚呼、もうすぐ……私は選ばれし人間……」
触手のように変化したウィルソンの左手が、通信端末を拾い上げ、彼女の頭部の目の前へと運ぶ。
『……サンプル……サンプルだと……』
端末の映像の中で、ナターリアが般若のような形相で睨んでいる。一方、通信が繋がっている各拠点のIN-PSIDのスタッフらには、驚嘆と恐怖のような表情が見てとれた。その反応に、辛うじて残っているウィルソンの顔は、満足気な笑みを浮かべていた。
「ふふ、そうさ。……ヘカテイアン・ハイブリッド……あの子は、アンナは、人の形を保つことができた最初の個体だった。だが……アンナは、心が脆かったのさ。人であることを捨てきれずに……ああ、今でも残っている。ママ……ママと……泣き叫ぶ、あの娘の声が……」
ウィルソンの額にブクブクと泡のようなモノが湧き立ち、小さな顔のようなモノを形作る。その顔が、目を開き、ギョロリとした眼球でナターリアを覗き込む。
「ア……アンナ‼︎」
NUSA支部IMCは俄かに騒然となった。
「ウィルソン……きさまぁ……」
『親を恋しがる……子供の本能に……ヘカテイアンは強い関心と執着を持っていた……奴らは、それを欲して貪欲に喰らった……あの子を内側からね……ドロドロになった身体で……ヘカテイアンはいつまでもアンナの声色を真似ていたもんさ……』
その小さい顔の口がゆっくりと蠢いている。ナターリアは、口を抑えて目を見開いていた。ウィルソンはその小さい顔の声に重ねて口を動かす。
『マァマ……マァマ……マ〜ァマ……くっくくっ』
「ウィルソン‼︎」
睨み付けるしかないナターリアを嘲笑う、ウィルソンの変質した声が、NUSA支部IMCに高らかに響き渡っていた。