LUNACY 4
<アマテラス>からもたらされる、ルナ・フィリアの状況、同時に、<リーベルタース>、及びNUSA支部から月面に広がるヘカテイアンの状況と避難状況の情報が、日本本部IMCの通信モニターの中で、目まぐるしく変化している。
藤川らは、現状、見守るしかない。
「避難率は、まだ四十パーセント。リーベルタースのPSIブラスターの時空歪曲効果がヘカテイアンの侵入を食い止めてはいますが……」東は、集まる情報を整理して、藤川に告げる。
「保って、二、三〇分か」
「はい。おまけに、現象界では<リーベルタース>主機の、PSIパルス反応炉のエネルギー効率も低い……現象界側での活動を考慮された<リーベルタース>。その活動を支えるPSI精製水増槽キャパシティは、カタログスペックでは、<アマテラス>の約三倍ですが、あの消耗では……」
月面監視衛星からの解像度の低い映像は、間断なくブラスターを撃ち続ける<リーベルタース>を映し出している。
「うむ……帰りのワープには、再度インナースペースへ突入しなければならない。その為のエネルギー源も保持しながらだ。ブラスターの使用もそろそろ限度だろう。<アマテラス>と協働できれば良いが……どうだ、カミラ?」
『次元コミュニケーター、思った以上に厄介です! PSI-Linkシステムの一部、制御部にまで達していて……船の足を止められています!』
通信映像のカミラは、唇を噛む。
『ったく! おやっさんが、余計なもの取り付けてくれっから!』『なんだとぉ、ティム! こっちはやれと言われたことをやったまでだ! だが、無事帰りたければ、外すことはできんぞ。<リーベルタース>の座標演算ともリンクしているんでな!』<アマテラス>のティムと、<イワクラ>のアルベルトが、通信ウィンドウに並んで言い合いをしている。
「クッソォ、足元見やがって! おい、レニー、なんとかお前の仲間を止めてくれ! このままでは、月の住民はひとたまりもない!」
<アマテラス>の目の前で、平静を保ったままのレニーに向かって、ティムは叫ぶ。
『……ティム……キミもわかってないね。ここは元々、僕らの世界さ。そこに身勝手に入り込んできたのは、どっちかな?』
「そ、そりゃ……そうかもしれないけど……お前だって、半分はまだ人じゃねえのか⁉︎」
『ふふ……キミのそう言うところ。僕の半分はまだ好きみたいだ……けど、人の本質は……』
レニーの言葉に反応するように、ブリッジの各モニターは、ウィルソンの猟奇的なまでに残忍な、実験の記憶の断片を幾つも積み重ね、音声変換が、被害者らの苦痛と悲鳴、切々と親を呼ぶ声がブリッジに響かせる。
サニは耳を塞ぎ、直人は伏せた視線を上げることができない。
「もう……ダメ……た、隊長……いい?」「ええ……いいわ……」
サニは、カミラの了承をとりつけると、フィルター機能をオンにする。ビジュアル構成された記憶映像、そして変質していくウィルソンを映す次元カメラの映像には、ぼかし処理が入り、苦痛、悲鳴などの音声には自動ミュートがかかる。あまりにも心的ストレスのかかる心象風景には、クルーの心を守る為、任意でフィルターを設定できるようになっていた。
『僕に対しても、散々な仕打ちだったよね』
レニーの記憶も映し出しているのか、身体の自由を奪ったレニーと、欲情のままに交わるウィルソンの醜態が、ボカされた映像の中に、見てとれた。
『がはっ……仕打ち……だなんて……うぐっ……貴方は……特別……私は……貴方を愛して……いるわ……私達は……愛し合い……がふっ……はぁ……はぁ……貴方は、ここに……彼らと交わった遺伝子を……はぁ……ああ……』
『……愛……あれが? 愛だと言うの……ヘカテイアンは、生命の繁殖に関心があっただけ……サンプルだったのさ。貴女もね』
「くくくっ……サンプルか。そうだろうねぇ。だが、それはむしろ……好都合……ぎゎゃあああ! ぐぅあ……………」
もはや、自立できないウィルソンは、その場に崩れ落ちる。
ウィルソンの肉体とヘカテイアンの融合は、彼女の身体の表面にも浮かび上がっている。ボロ布と化した衣服の隙間から覗く彼女の身体は、水のような液体状のモノの中に変質した臓物のようなモノが見えている。かろうじて原型を留めた頭部が、ウィルソンと呼ばれていた肉体なのだと物語っている。
『ウィルソン博士⁉︎ 博士‼︎』ウィルソンの原型を失った左手の中で、通信映像のカミラの呼びかける声が虚しく響く。
『望みは叶えた……博士』
レニーは、ウィルソンの惨状にも、表情一つ変えることはない。
「こ……殺し……たのか? レニー?」ティムは、強張る唇を何とか動かして、問いかける。
『さぁ……どうかな』「復讐……か?」
ティムは、睨む。正面で薄い笑みを湛えたままのレニーを。
『ふふ……違うよ……』
じっと瞳の奥底を貫くレニーの視線から、ティムは目を離せない。
『愛……さ』
「愛……だと? ……」
ティムは、愛という言葉に、今ほど嫌悪と薄ら寒いものを感じたことはなかった。
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「……マーク。そろそろ話してはくれないか? ヘカテイアンとは……このミッションは一体……」
通信の向こうで、動揺を隠せないマークに、問いかける。
『そ……それは……』
マークは、ナターリアの様子を伺う。それに気づいたナターリアは、一瞥して目を背けた。
『マーク!』藤川の気概に満ちた声が、NUSA支部IMCに鳴り響く。マークは、詫びるように俯いている。
「すまん……コーゾー。最初から……お前に相談すべきだった……私は、かけがえのない友人であるお前を欺いていた……」
俯いたまま、マークは、ポツポツと語り始めた。
「私の知っていることは全て話そう……全ては二百年近く前のアポロ計画が発端だ……」