精霊王の帰還 7
『チ……チーフ……どういう事だ⁉︎』マイケルが、通信モニターの向こうから責め立てる。ナターリアは、腕組みをしてシートに深く身を預けて瞑目した。NUSA支部IMCも俄かにざわつき始める。
「ナ……ナターリア……」マークは、狼狽してマイケルとナターリアの顔を見比べるだけだ。
『説明してください! 所長! なんなんです、これは! このミッションは一体⁉︎』マイケルの追求に、マークは、ナターリアに縋り付くような視線を送っている。口を噤んだままのナターリア、狼狽するだけのマークに、マイケルの苛立ちが、弾けそうになったその時。
「ヘカテイアンよ……」ナターリアは瞑目したまま、言葉を漏らす。
サッと目を見開き、通信モニター向こうのマイケルをじっと見つめ、話を続けた。
「全ては、ヘカテイアン共を『この世』に引き摺り出す為……」
「ヘカテイアンと、ルナ・フィリア……いえ、ウィルソン!」
声を張り上げたナターリアは、立ち上がり、IMC正面、大パネルの通信モニターに映るウィルソンを睨め付ける。
「私は、お前を許さない!」
冷徹な声の中に、微かな震えがある。直人は、ナターリアのその声に、激しい怒りと憎しみを感じずにはいられなかった。
「許す? ……ふふ、私には貴女に許しを乞うようなことは、何もないわ。むしろ感謝されても良いくらい」ウィルソンは平然と、いや、それどこか浮ついた声で答える。
ウィルソンらは、ルナ・フィリアの管理センターから、既にレニーの棟のある第六居住番地まで進んでいる。ウィルソンの側近の一人は、黒人と、彼と肩を寄せ合う、アジア人の二人を銃で脅しながら、無理矢理付き従わせ、もう一方の側近は、近くの部屋から抜け出し、何かに駆り立てられるように襲いくる入居患者らを巧みな体術で淡々と排除しながら、進路を確保していた。
ウィルソンの左手に展開された光形成ディスプレイの中で、ナターリアが、眉を吊り上げ、奥歯を噛み、睨んでいる。
「ナターリアさん。それは執着。人の傲慢というものよ」
『何⁉︎』
「人は……人という生き物はね、この宇宙で生きるには、あまりに小さく、あまりにも脆い器。あの子は、その脆い器から解き放たれたのよ。ヘカテイアンと、この私によってねぇ」
ウィルソンの高らかな笑いが、通信を通して、各拠点に木霊する。
「……悪魔め……」ナターリアの固く握りしめられた、両拳が小刻みに震えていた。
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<アマテラス>の周辺空間、そこに『生息』する不完全な人の形を作るヘカテイアンは、波動と物質の間で揺らぎ始める。液体、個体、気体、そしてプラズマ……ちょうど水が様々な様相をとるかのように姿を変化させるヘカテイアンは、本能的にこの時空から逃げ出そうとしている事は、<アマテラス>のクルーらも感じ取っていた。しかし、<アマテラス>の波動収束フィールドに干渉した彼らは、まるで型に流し込まれた液体のようになって、身動きを絡め取られていく。
「どうなっている⁉︎ アラン⁉︎」「わからん! 次元コミュニケーターが、PSIバリアと波動収束フィールドをコントロールしているみたいだ!」
「解除できないの!」「ダメだ! 今そんなことをしてみろ! <リーベルタース>とのリンクが狂う! そうなれば、オレ達は、この余剰次元に閉じ込められかねん。解除はおろか、このデータ転送が終わるまで、無闇に動くのは命取りになるぞ!」
「仕方ない、ティム。操船を一時ロック! アンカーを下ろして様子を見る!」「くっ……了解!」
「ちっ、こんなん仕込んで、どうする気なんだよ、ウィルソン!」ティムは、封じられた操縦桿で拳を捻る。
『……どうやら……』言いながら腰を落としたレニーは、形を保てず、崩れた人の形の残骸を愛おしげに、両手で掬い上げる。だがそれは、レニーの腕からドロドロと流れ落ち、その流れは、<アマテラス>の波動収束フィールドに取り込まれていく。
『このルナ・フィリア一体を、僕たちの世界とキミたちの世界が重なり合う場にするつもりらしい』
一人、空間変動の影響を受けず、人の形を保つレニーは、平静としたまま言った。
「なんだって⁉︎」ティムは目を丸めた。<アマテラス>のクルーも皆、ティムと同じ表情で身を硬くしている。
『……ルナ・フィリアは、実験施設だった』
「実験施設……いったい何の⁉︎ 政府関係者とか、宇宙開発関係者の療養施設じゃなかったのか⁉︎」
『表向きはね。実際、そういう入居者も少しはいた。上の『ホテル』……みたろ?』
「ホテル? ……ステーションタワーか⁉︎」ティムは、月へ旅立つ直前、<リーベルタース>からの映像で見た、月面に突き出た廃墟となって打ち捨てられタワーを思い出す。
『僕らはホテルって呼んでた。お偉いさんが来るところはあっちさ。僕らのような、『感応者』とされた者は、この一昔前の植民施設を改修した地下施設、セントラル・ブロックへ押し込まれた。こここそ、真のルナ・フィリア……』
「感応者……真のルナ・フィリア……ウィルソンは一体、何を! お前たちに何をした⁉︎ レニー‼︎」
レニーは、両手から溢れ、流れ去ったモノを見送ると、徐に腰を上げた。再び<アマテラス>の方へと向き直り、ゆっくりと口を開く。
『あの人の本当の目的……それは、ヘカテイアンと人間のハイブリッドを生み出す事』
「ヘカテイアンとの……ハイ……ブリッド?」
ティムは、背筋が凍りついていくのを感じながら、モニター向こうのレニーを凝視する。この時空変動の中で平然と一人、佇むレニー。それこそ、まさに……
『そうさ。この僕のような……ね』
通信を通して、そのレニーの姿を見守る誰しも、一言も発することができない。
『……ここの時間も君たちの次元と同期し始めているようだね。けど、この情報量を転送し切るには、まだまだかかる。その間に……』
『君たちには伝えたい……僕たちのこと……ここであったことを……皆の僅かに残った記憶を……』
レニーは、美しい顔に僅かな笑みを浮かべている。どこか悲しげな微笑みだと、直人は思った。