精霊王の帰還 5
写真に写っているのは、紛れもないティム、そしてレニーの二人——初めて出会った、地区選抜大会の後。握手を交わす二人……練習試合で、レニーの機体を必死に追いかけるティム……交流イベントで、同じ食卓を囲み、お互い嫌いな料理を交換し合った事もあった——
どれも、撮影した記憶はない。しかし、ティムの記憶にしっかりと焼き付いている思い出ばかりだ。
『ここでは、記憶を形に変えることなんて造作もないよ』
レニーは、イタズラな笑みを浮かべ、一回り大きな写真立てを作り出す。
「お、おい……それは!」
『あのレース』の直前だ。ティムの左腕をしっかりと抱えこみ、俯いてティムの肩にもたれ掛かるレニー。ティムの右腕が、レニーの華奢な肩を、ティムがぎこちない腕で抱き寄せているように見える。
「うわぉ〜」サニが冷やかしめいた、変な声をあげている。それもそのはずだ。パッと見、恋人同士の逢引きにしか見えない。
『……恥ずかしがることないだろ。大事な思い出さ。僕にとってはね』
「うっわっ、ティムのヤツ……」ダミアンが身を乗り出してニヤケ顔を浮かべ、反応している。ケイトも唖然として、写真に目を奪われていた。
サラはそっと、マイケルの様子を窺う。彼は身を固くしたまま、無言でその写真を見つめ続けている。
「んっ……あれ、レニーは男よね? ははぁん、ティム。やっぱ、アンタ、そっちの気も、あったんじゃぁん〜」サニが面白半分に突っ込む。「ご、誤解だ! サニ! オレは……」
「そういえば、センパイ見る目も時々妖しかったわぁ」サニはここぞとばり、囃し立てる。
「え……ええ、そ、そうなの??」引き気味にティムに問い正す直人。
「ナ、ナオ! いや、違う! 断じて違う! 誓って、オレは、オレは‼︎ 正真正銘、女好き‼︎」腰を浮かせ、ティムは声を大にして叫ぶ。
日本本部IMC、<イワクラ>、NUSA支部IMC、ルナ・フィリア管理センター、そして<リーベルタース>。通信で繋がれた各拠点に、ティムの高らかな宣言が響き渡る。
「……あ……」ティムは、各拠点からの北風の如き冷ややかな無言の返答に背筋を凍らせまま、シートに腰を落とした。
『ぷっ……はは……はははははは‼︎』レニーが、そんな空気を打ち消すような、軽快な笑いを立て始めた。
『ティムは根っからのストレート。わかってるよ。そんなこと。はははは。ふふふ……』
「な〜んだ、つまーんない」サニは小さく口を尖らせ、レーダー盤に向き直る。レーダー盤は、この部屋の見取り図を描きだしている。
「波動収束反応は?」サニのレーダー盤を覗き見ながら、カミラが問う。
「レベル3以下の次元域では、電磁結界の消失による影響がで始めてるようだけど……ここは、あまり影響ないみたい」サニは、次元観測帯のチャンネルを何回か切り替えながら、反応のパターンを確認しながら報告する。
「本船と、この宙域のギャップによるPSIパルス放射が殆どありません。って事は……ええっとぉ……」
「この部屋も、あの写真も、やはり俺たちの現象界と極めて近い物性を持っているようだ」
困惑するサニに、アランが見解を示す。
「だが、その時間成分と波動特性の振る舞いは、レベル4相当の高次元でありながら、我々の世界と隣接する、非常によく似たもう一つの世界……つまりここは」
「パラレルワールド……」カミラは、アランが押し留めた結論を口に出す。
『そんなところだよ』レニーは、美しい顔に、少女のような微笑みを浮かべている。
「実在していたというの……」カミラは、胸元に忍ばせたモノを握りしめながら呟く。
『尤もこの世界の起源は、君たちの世界と同じ……いや、むしろ君たちの世界の方が、ここから離れていったのさ。そう、こんな感じに……』
目の前のレニーは、ひとつ微笑むと、そのまま時を止めたかのように固まる。すると、やや離れたところに床から励起した、液体の塊、スライム状のモノが、固まったレニーと全く同じ姿を作り出す。
新しいレニーが動き出し、固まったレニーに触れると、固まっていた方は、ドロドロと溶けて消え、新しいレニーもそのまま時を止める。
凍結と融解、再凍結……水の循環のようなサイクルをレニーは何度も繰り返す。
『君たちの世界は、この凍った僕。そして、僕らの世界は、この変幻自在に流転する世界……ただ、その『在り方』が違うだけなのさ』
インナーノーツと、彼らを見守る各拠点の皆は、目の前に繰り広げられるレニーのショウを唖然として見つめている。
レニーは、再び<アマテラス>の正面で元の姿を取り戻し、得意げな少年の笑みを浮かべた。
『……ふふ……わかったよ。起こしちゃったみたいだね。……いいよ、皆、出ておいで』
床面、空間中、家具、壁面……レニーを囲むようにして、周辺空間が盛り上がり、形を変え始める。それぞれ、歪な形ではあるが、かろうじて人の姿形を作っているかのようだ。
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「ああ、レニー……それでいい、それでいいの。ようやく……私を……私の元へ……」
ウィルソンは、<アマテラス>から送られてくるレニーの映像に、まるで、神を讃える信仰者のような眼差しを投げかけていた。
「ああ、あれは……」「あ、ああ……」一方で、アジア人と黒人のカップルは、互いを抱きしめ合いながら、顔を蒼くしている。
モゾモゾと蠢くスライム状のモノが、レニーの周りで、不完全で、互いに混じり合い、判別は難しいが、幾人かの子供のようである。
「な、何なの?」「まさか……」サニは、顔を引き攣らせ、直人は眉をひそませて、身を硬くする。
作りかけの人が混ぜ合わさった、奇怪な姿形に、否応なく生理的な拒絶反応が、見守る者達の身体に込み上げてくる。
「ん、なんだ? ……」通信モニターに新たな、何かの信号を認め、アランは自動解析にかけた。文字に変換され、アランのコンソールモニターに浮き上がってくる。アランは、それをメインモニターと各拠点に共有した。
「……トーマス……クローディア……フリッツ……もしや……この子達の……名前…… ?」
名前の羅列は、ゆうに二十名を越す。ティムは 名前を読み上げながら、子供達の変わり果てた姿形が何を意味するのか、嫌な予感が湧き上がってきた。
『そうさ……皆、もう君たちの世界から去った、かつてルナ・フィリアに居た子供達。……博士の実験で、肉体を失ったもの達……』
「実験……」ティムは、唇を戦慄かせている。
<アマテラス>、<リーベルタース>、そして各拠点の皆が凍りついている。
『皆の、その形と、僅かな生前記憶を再現しているだけ……残念だけど、この子達の魂は、もうここには居ない』
名前の羅列が四十名を過ぎるころ、じっと息を殺して見つめていたナターリアが、身体をビクつかせ、目を見開いていた。
『ウィルソン博士……どういう事だ……実験とは、一体……この子達をどうしたというんだ‼︎』モニターの向こうで、IN-PSID本部IMCの東が、コンソールを叩き、眉を吊り上げて説明を求めている。ウィルソンは、二、三首を横に振るのみで何も語らない。
『博士‼︎』モニターに食いつきそうな東が、もう一度、叫ぶ。
一方で、<アマテラス>の周辺には、不完全な人の形をとったモノ達が、集まってくる。
『この子達……興味津々なんだ……地球から来た君たちに。僕らの本能が、あの星に、惹かれ続けているのさ』
『こんな地球明かりの眩しい日は。特に……疼くんだ……この身体が……』
レニーの言葉に呼応して、子供達を形作る、そのモノと、部屋全体が、鼓動するかのように波打つ。
「僕ら……だと……」ティムは、訝しんで、目の前のモニターに映るレニーを睨む。
「レニー……いや、お前は……お前達は、一体……」
『僕らに特別な名前は無いよ。遥か太古から月の異空間に居た存在……』
レニーを形作るソレは、静かに答える。皆、固唾を飲んでそのモノの言葉に耳を傾けていた。
『博士は僕らをこう呼んでいた……『ヘカテイアン』……と』