精霊王の帰還 4
朝日の差し込む、大座敷の中央に一人、平伏したままの風辰翁は、御簾の向こうの気配が落ち着くのを待つ。
衣摺れの音が納まったのを感じ取り、老翁は一礼して口を開く。
「御太子様方におかれましては、益々ご壮健のご様子、お喜び申し上げます」
「風辰よ。参上、大義である」御簾の向こうの『太子』の一人が、気勢の良い声をかける。
「ははぁ」老翁は、恭しくさらに首を垂れた。
太子はもう一人。その、もう一人の太子は、柔らかな落ち着いた口調で語りかけてくる。
「御所様は、このところお加減が優れず……繰り返すは、神子の事ばかり」
「申し訳……ございませぬ。手のものが掴んだ、神子の状況を鑑み、安全に御所へと連れてくる方法を模索しております。神子の身に何かあれば、連れてきたところで、意味を成しませぬ故……」老翁は眉を顰め、苦々しく申し開きをした。
気勢の良い声の太子は、苛立ちを顕に立ち上がる。
「それは、何度も聞いた! だが最初の『遷宮の儀』の失敗から六十と余年! もう時期、御所様は百二十ぞ! これ以上は、お身体が!」
「昨今、この現世に蔓延る気の乱れ……それが『遷宮の儀』の妨げとなっている。その邪気を祓い、『遷宮の儀』を成し遂げるには、神子の御霊が必要……そう申しておったが……よもや、我らと御所様を謀る方便ではあるまいな?」柔らかい物腰の太子の言葉の中にも、冷ややかなものがある。
「滅相もございませぬ!」翁は、上体をやや起こして、声を張る。
「出雲の国譲り、南北朝時代の混乱期、世界大戦……世が乱れし折、御所は、その時代、時代に顕れるという神子を用いて『裏遷宮の儀』を執り行って参ったので御座います。それは奥義中の奥義……この風辰めが、古の先達から脈々と受け継いだものにございます。それに、神子と思しき存在は、今世、確かに顕れておる。何を疑うことがありましょうや」
「な、なれば、良い。だが、御所様のお身体は、そう長くは保たない。時がないのだ」「左様。ここで無事、儀式を済ませられねば、これまで、『遷宮の儀』を試み、命を落としていった、我らの同胞にも顔向けできぬ」立ち上がっていた方の太子が、脱力したように座り込む。
「ご心中……この爺めの胸にも痛く突き刺さっておりまする……なれど、焦ってはなりませぬ。事は慎重を要します故」
「わかった。御所様の御身は何としても我らで守る。出来うる限り、早急に。頼むぞ、風辰」
「ははぁ」老翁が、深々と御簾の向こうに礼の姿勢をとっている間に、太子らの気配は、その場から消えていた。
老翁は、一人、廊下へ出ると、腰を落として静かに座敷の障子戸を閉める。
「……ふん、人形どもが」
「二千有余年……この御所にしがみ付きおって。とうにカビが生えきっておるわ」歳の衰えを一切感じさせない足腰で、すくっと立ち上がると、一人呟きながら、老翁は長く続く廊下の先へと去っていった。
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「座標パラメーター、偏向⁉︎」
PSIバリア監視モニターの中で、位相パラメーターが、次々と書き換えられていく。アランは、緊迫した声をあげ、報告する。
「まさか‼︎」「ああ、強制転移するぞ‼︎」
歪み、伸び縮みしながら、モニターが描き出す像が次第に形を帯びてくる。
直人は当たりを見回す。
「ここは……」「座標確認! ええ、さっきのところよ」サニは手早くレーダーの探知結果を確認し、直人の推測が正しいことを後押しする。
再び静まり返る、暗闇に包まれた広いLDKのワンルームが、周囲に広がっていた。
『ルナ・フィリア、606号棟。僕の部屋さ』モニターの中で、音声が発せられた位置が自動フォーカスされる。いつの間にか、ベッドの上に人の形をしたシルエットが腰掛けていた。
「レニー……」恐る恐る、問いかけるティムの言葉に応じるように、シルエットは立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。
インナーノーツの一同は、息を潜めてそのシルエットの動きを警戒した。
『こうやって、キミを招きたかった。ようやく叶ったんだ』
足元、胴回り、胸元……一歩、一歩近づくたびに、シルエットに光が宿り、あの写真に写っていた青年の姿を徐々に現してくる。
「通信は?」「マーカーの信号は掴めそうだ。再調整すれば……」小声でやり取りするカミラとアラン。アランは、強制転移の影響で、混濁した通信の再設定に取り掛かる。
その間にも、シルエットは、人の形を鮮明に描き出し、あの写真のレニーと全く同じ姿となって、<アマテラス>の正面に立っていた。
『写真、懐かしかったろ? あのレースの開会式で撮ったヤツ』
レニーは、先程<アマテラス>を異空間へと誘ったフォトフレームを手に取り、微笑む。その間に、ちょうど通信が回復し、各拠点、そして<リーベルタース>との通信映像が戻ってくる。
同時に、<リーベルタース>の通信モニターにも、<アマテラス>が正面に捉えている、レニーの姿が映し出されていた。マイケルとサラは、目を見張って、モニターに食い入った。
「ああ……けど、あれは」ティムは、胸の裡から、『あのレース』の記憶が鮮明に甦ってくるのを感じていた。……『あのレース』は……レニー、お前が……
『うん……あの時、僕のボートと一緒にカメラもデータも消し飛んだ。だからこうやって……』レニーは言いながら、棚段の上に手をかざし、そっと撫でるようにして、手を祓う。
すると、そこにはあっという間に、横長の物体が出現する。古めかしい、アンティーク調の写真立てのようだ。その中に一枚の写真が浮き上がる。レニーは、同じようにして、二つ、三つと写真立てを並べていく。
「‼︎」ティムは、目を見開いて、息を呑む。