精霊王の帰還 2
<アマテラス>と、レニーの機体は、走り続ける。二台が通り抜けるコースとその周辺は、追従して、空間から現象界と同等、いや、それ以上の質感を持った光景が生み出されていく。
それはティムの記憶に残る、ありし日のスペースボート・サーキットと完全にリンクしていた。とてもここが、多次元の情報入り混じるインナースペース深層とは思えない。
「は、波動収束フィールドが……」
「どうしたの、サニ⁉︎」
「全く機能してない? ……うぅんん、フィールドはあるのに、あの機体も、ここの風景の収束反応も、全く感知していない⁉︎」
「どういう事⁉︎ アラン⁉︎」
「……信じられん……が、あの機体も、この情景も、この船の波動収束フィールドが構成した世界ではない……いや、正確に言えば、波動収束フィールドは、次元の繋ぎの役目をしているだけだ。ここに見えているものは、あの機体も、このコースも皆、波動収束フィールドの収束効果を必要としない、確かな『物性』を持っている……」
「えっ、それじゃ、ここは現象界のどこかに出ちゃったとか⁉︎」サニがカミラとアランの会話に割り込む。直人も彼らの方を向いて、話に聞き入っていた。
「いや、そうではない。次元深度は、LV4のままだ……」
「まさか……」「ああ。ここは我々の現象界とは別の次元に存在する、確かな物象を伴う世界……」
「それって……もしかして……『私たちの仮説』⁉︎」
「仮説?」直人は、カミラの口にしたその言葉が気にかかる。
「ああ、可能性は高まった。だが、結論を急ぐな。俺たちには、あまりに情報が少ない」
「……え、ええ、そうね。貴方の言うとおりよ、アラン。構成分析、PSIパルスレコーディング。何でもいい、とにかく情報をかき集めて」「了解だ!」
「ティム、いいわ、あなたに任せる! 分析の間、あの機体に、食らいついて」「言われなくても!」
****
<リーベルタース>の光学カメラが、月面のサーキットを捉え始めた頃、次元コミュニケーターもまた、<アマテラス>からの信号を取り戻し始めていた。
その信号を元に、ホセは、サーキット周辺のインナースペース情報を映像として再構築、モニターへ展開する。
サーキットを疾走する<アマテラス>、そして紫のウィングを輝かせる白銀の機体。マイケルは息を呑む。
「レニー……あれは、レニーなのか……」
八年前——
『Dブロック、最終ラップ‼︎ トップは、フロンティア学園マイケル・フロウラー‼︎ これはもう優勝間違いなしか⁉︎』
スペースボート発着ターミナルに鳴り響く、興奮を隠しきれない実況の声。詰めかけた多くの観客は、ドーム型ターミナル内壁いっぱいに設置された巨大モニターに映る、スペースボートの競り合いに沸く。
『後続組は、一進一退のデッドヒート! おおっとぉ⁉︎ 二番手に迫り上がってきたのは、ルナ・フィリア、新人、レオナルド・マーティン・ヨシダ‼︎ 激しく追い上げる! ワァオォ‼︎ アメイジング‼︎ 何と言う走りだ!』
バックカメラのモニターを一瞥したマイケルは、後続に追いやったスペースボートの群れの中から、コース照明に照らされ、満月のように淡く銀白色に照り輝く一艘が、軽々と躍り出るのを見て、舌打ちした。
「やる‼︎」その銀白色の機体の動きを読み、急激に舵を切り、進路を阻む。だが、相手はそれを見越していたかのように、マイケルのブロックをかわし、側方に付けてくる。
『トップ並んだ! ゴールまであと5キロ‼︎ まだわからない! わからないぞ‼︎』
最終コーナーが迫る。ゴール手前のきついカーブは、サーキットの中でも難所の一つだ。スピードを殺さず曲がり切るのは難しい。だが、マイケルはカーブの傾斜の頂点に向けて一気に加速した。頂点で急速ターン、その勢いのまま、カーブを抜け切る。銀白色の機体は、マイケルの動きに一瞬、出遅れる。が、すぐにスピードを上げてきた。マイケルの後ろにピタリとつける。
発着ターミナルのエアロックが開いていく。その入り口こそが目指すゴールラインだ。ゴールに向けた直線を両者並び、ひた走る。
『さぁ! ベテラン、マイケルか⁉︎ 新人レニーか⁉︎ 両者、今、並んでゴォオオオオル‼︎』
ゴールの瞬間のスロー映像が、大型モニターに流れ始める。ざわめく客席、間も無く判定が出る。
『トップは……マイケル‼︎ 僅差でベテラン校選抜、フロウラーチームの優勝だぁ‼︎ やはり強豪チーム、堅実なチームプレイは健在だ。今年もフルムーンカップ優勝をもぎ取ってくれるだろう‼︎』
ボートから降りたマイケルは、表彰台のトップに立つと、ヘルメットを脱ぎ、観客席へ向かって高らかに掲げた。割れんばかりの歓声がドームを包む。
その間に、銀白色の機体から、機体とほぼ同色のレーシングスーツを纏った人物が降りてくる。ピタリと体に張り付くスーツは、細くしなやかなボディーラインを如実に描き出していた。その人物は、無言のままマイケルの隣に並び立つ。その反対側に登ってきた、マイケルもよく知る三着チームの男は、とんだ番狂せだと言わんばかりに、悔しさを顔に滲ませている。
『そしてぇ〜〜! 準優勝は、ルナ・フィリアチーム! 表彰台に立つのは、彗星の如く現れた新人レニー! この歓喜の声が聞こえるかぁ‼︎ みんなのハートを鷲掴みだぞ! おぉお?? そのレニー選手、いよいよヘルメットをとる! さあ、素顔を見せてくれ‼︎』
幾度のレースを経験してきたマイケルも、このレニーと呼ばれる選手とは、今日が初めてだった。走り、テクニック、判断力……あれで新人なら、どれもずば抜けた才能だ。そう思いながら、マイケルは、隣を窺い見る。
レニーが、ヘルメットを静かに持ち上げると、豊かなプラチナの長い髪が、ヘルメットから流れ落ちる。レニーは、ヘルメットを脇に抱えると、その反対の手で、流れ落ちた前髪を掻き上げ、観客席の方を見上げた。
マイケルは、思わず息を呑む。
『な、ななな、なんと⁉︎』
観客席には、戸惑いとも歓喜ともつかない、歓声が一斉にに溢れた。
『まさか⁉︎ レニーは女性⁉︎ ……いや、待て待て! 諸君‼︎』実況の声も戸惑いを隠せない。
『レニーは、男性! た、確かに男性、男性でのエントリーだ!』客席は、沸き立ち、今度は、あちこちで黄色い悲鳴が起こり始める。
『聞いてくれ、この観衆のどよめきを! おお、なんという美しさ、麗しさ‼︎ Oh, My God! 美と才能を兼ね備えた、神に愛されし少年、レニー‼︎』
拍手に指笛、レニーと呼ぶコール。新しいスター誕生の瞬間だ。
マイケルは、思わずその美しいレニーの横顔に見惚れていた自分に気づくと、眉を顰めて、舌打ちし、正面に向き直る。
記者らによる表彰台の撮影が始まった。
憮然としたまま、無理矢理、口元に笑みを作り、受け取ったトロフィーを掲げて撮影に応じるマイケルに、レニーはグッと身を寄せる。手入れの行き届いたプラチナの髪に残る、シャンプーの香りなのか……仄かな甘い匂いが、マイケルの鼻腔をくすぐる。
レニーは小声で話しかけてきた。
「最終コーナー……あそこで減速せず、逆に僅かな勾配を利用して加速。あれが勝敗を分けたね」「なっ……」
マイケルは、動揺が顔に出ないように努めるのが精一杯だ。
「そうくるのは、わかってた。でも僕の身体は僅かに遅れちゃった……ふふ、肉体にはモロに出ちゃうね、『経験』の差が」
「さすがだよ、マイケル・フロウラー」
レニーは、均整のとれた、人形のような顔に小さな笑みを浮かべながら、肩でマイケルの腕に触れてきた。
「お前……」「ふふ。思ったとおりの人。ずっと、憧れだったんだ」「えっ⁉︎」
マイケルは、自分の鼓動が、速くなっているのを感じていた。それは、レースの躍動に速まる鼓動とは、全く違うリズム。初めて感じるリズムを刻んでいる。
「一緒に走れて光栄だよ、マイケル」——




