月へ! 7
…………ィム……
…………ティムだろ? ………
ティムの胸の底に、再び呼びかけてくる声が湧き上がる。
……やっぱり……
「また⁉︎」
「三……二……一……転移、明ける!」
ブリッジのモニターは、時空歪曲の残滓をゆらゆらと描いている。
「サニ、周辺危険率は?」
レーダー盤は、<アマテラス>周辺に何らかの接触可能性のある反応を、広範囲にプロットしている。
「良いとは言えないわね。五十四パーセント。何かいるのは確かです!」
「そう……けど同調しないことには、何も明らかにできないわ。同調率二〇からスタート。サニ!」「了解。波動収束フィールドセット! 同調率二〇!」
再び揺めきの中に、前方の目指すべき建物の外観が浮き上がる。背景と同化した絵のようになって揺らめく建物は、妖気を纏った、物の怪の様相を顕に<アマテラス>を待ち受ける。
「扉の結界効力は?」「影響微弱。通過に支障なし」
「ナオ、トランサーデコイ、及びPSIブラスター準備!」「はい!」
「よし、室内に侵入する。総員、第一種警戒体制! ティム、両舷微速前進!」
カミラの発令に、ティムは身体をビクリとさせ、操縦桿を握り直した。
「び……微速前進!」
風にた靡く布のような、揺れ動く扉を<アマテラス>はすり抜け、室内へと侵入する。
二十畳ほどのLDKのようだ。玄関からリビングに直結しており、だだっ広い部屋に、ベッド、ソファ、マルチモニターといった基本的な設えのようなものが、モニターが映し出す空間に浮かび上がっている。
「サニ、室内をオートスキャン。反応の強い座標を収束フォーカス。モニターにビジュアル構成!」「はい!」
部屋の一角に強い反応を認めたサニは、その一点にフォーカスを絞り込む。シンプルなオープンシェルフに幾つかのヘルメット。そこに吊るされた、つなぎ状のフィットスーツ、何かのトロフィー、そして、一つのフォトフレームが浮かび上がる。
「こ……この部屋……」
背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じながら、ティムはモニターに浮かび上がった、それらの『遺留品』に目を見張る。
電源が落とされて幾年も経ったであろう、古いフォトフレームが、突如起動して、映像を写し始めた。現象界側を同時モニターしている映像には、何も変化がない。この次元でのみフォトフレームは息を吹き返したようである。
「サニ⁉︎」「ええ……」
レーダー盤は、正面のシェルフの位置に強い『UNKOWN』PSIパルスの反応を警告していた。
「居るわよ、何かが。確かに」
<アマテラス>、そしてモニターを通して見守る各拠点の皆は、固唾を飲んでフォトフレームの映像に注視する。
「えっ……この写真は? ……」直人が声を上げた。
「……まさか……」マイケルは唇を戦慄かせていた。
浮かび上がった静止画の写真は、幾つもの小型宇宙船、そしてその搭乗員や、メカニックらしき人物らが忙しなく動き回っている様子が見える。それら宇宙船の駐機場のような場所だ。その中央に三人の青年が映っている。
そのうちの二人が誰なのか、モニターを見守る全員がすぐに気づく。
「うそ、ティム⁉︎ それにあのお兄さん⁉︎ 若っ!」サニは、目を丸めて叫ぶ。
ティーンエイジャー真っ只中といった感じのあどけなさの残る、恥ずかしげな笑みを浮かべるティム。そしてカメラから顔を背け、しかめ面のマイケル。二人は、黒に赤のポイントの入った、お揃いのレーシングユニフォームを着ている。
二人の間の青年は、ティムと同じくらいの年だろうか? シルバーのレーシングユニフォームだ。ティムとマイケルの間に立ち、二人の腕に、自分の腕を絡めて笑みを浮かべている。
プラチナの肩ほどまでに伸ばした、長く緩やかなカールを描く美しい髪、細面の顔の中で、写真でもはっきりわかる長いまつ毛の両眼から、薄いブラウンの瞳が覗いている。
やや童顔で、中世的な顔立ちだが……
「で、ダァれよ、その真ん中の女の子?」サニは冷やかし半分の口調で、いち早くティムに問いただす。
「……女じゃねぇ……男だ」そう答えるティムの唇が、小さく震えている。
「えっ、ウソ? マジで‼︎ いゃぁん、かっわいぃ〜〜」男と聞いた瞬間、サニの脳内イメージの『イケメン』が、その目の前の美少年とリンクする。そう、こういうのよ! こういう『イケメン』なのよ! と、サニの頭の声が一斉に歓喜の歌を唄いだす。
……来てくれたんだね……ティム……
「‼︎」さっきまで、何度も呼びかけてきた声が、ティムには今、はっきりと聞こえていた。
「おい! ウィルソンさんよ! 答えてくれ。この部屋は、この部屋にいたのは……」ティムは、モニター向こうで、瞬き少なくじっと見つめ続けるウィルソンに向かって叫んだ。
『……ふふふ。ようやく気付いたわね。ティム。そしてマイケル』
「何⁉︎ オレ達の事を⁉︎」マイケルも動揺を隠せない。
『えぇ、ボートレーサーだった貴方達は、月ではちょっとした有名人。IN-PSIDでインナーノーツになっている事も、調べはついていた』
「まさか……このミッションは、オレ達をここへ連れ込む為……アンタが仕組んだのか!」
ティムの操縦桿を握る両手に力が籠る。
『さぁて……それはどうかしら?』
「音声変換反応⁉︎ 自動チューニングします!」サニは、すぐに音声出力のチャンネルを切り替え、その音をブリッジへと流す。
『……ティム……ティムなんだろ……』
「この……声……この部屋は……やはり……」ティムの全身に悪寒が走り抜ける。
『そう……その部屋の主は、八年前に亡くなっているわ……そう、貴方達もよく知る者』
ウィルソンはモニター向こうで立ち上がり、モニターにグッと顔を寄せ、ティム、そしてマイケルをじっと見つめて続ける。
『レオナルド・マーティン・ヨシダ。レニーと呼んだ方が良いかしら? ふふふ 』
「くっ……どういうつもりだ……」
『うふふふ。ようこそ、そしてお帰りなさい。この……狂気の月へ!』
ウィルソンの口元が、薄い三日月を形作っていた。