仙界の水 1
「サニ、<天仙娘娘>の波動収束フィールド反応は?」
カミラの指示より先に、サニは既に<天仙娘娘>の反応確認作業に入っていた。だが、レーダー盤に、求める反応は、一向に現れてはこない。
「……うーん……空間座標も、時間軸もそれぞれ揺らいでて……確率的にしか……」
垂れ下がったブルネットのウェーブヘアをかき上げながらサニは答える。
「アムネリア、どう?」
カミラは、正面に位置するフォログラム投影機によって映し出された、アムネリアの光の像へと問いかける。
『……やってみます』
アムネリアは、静かに瞳を閉じ、空間に広がる細波に意識を向けていく。ブリッジの一同は、瞑想するアムネリアを静かに見守る。
『嵐の波間に漂う小船……』
わずかに、アムネリアの指先が震えている。
『……感じとるほか、たどり着くこと叶わぬ……我が導きましょう』
「おお、さっすが!」サニのレーダー盤に、揺らぎとなって確率的に表示されていたいくつもの確率分布が、いくつかの点となってプロットされる。
<アマテラス>に"宿る"アムネリアが、PSI-Linkシステムに認知情報を共有することによって、レーダーの確度が、飛躍的に向上する。それでも、<天仙娘娘>の時空間座標点は、レーダー盤の中で明滅しながら絶えず飛び回っている。アムネリアの深次元感知能力を持ってしても、これが精一杯のようだ。
「だが、<天仙娘娘>の波動収束フィールドとの同期が失われている。同期回復できなければ、たとえ近づけたとしても……」「"ロープはかけられない"……か」アランの示した懸念に、カミラは腕を組んで答えた。
『チーフ、<天仙娘娘>の追跡は、何とかできそうです。しかし、データリンクが切断されたままでは、<天仙娘娘>の時空間系にアクセスできない。どうすれば……』
「その事だが……東くん、集合ミッションの模式マップを」
東は、すぐに求められた図をIMC中央に位置する卓状モニターに表示した。藤川と真世、ミッション立ち合いに、IMC入りしていたアルベルト、そして、もう一人のオペレーター、田中は自席を立ち、卓状モニターを覗き込む。
十ニにグループ分けされた集合図と、それらが重ね合わされた場からなる、ベン図状の模式図が表示される。各グループが重なり合う部位には、立体で山脈のような波形分布が聳り立つ。
重なり領域が大きいグループほど、意識集合化において最も影響を及ぼすグループ、あるいは影響されているグループであり、集合化率を示す波形の山並みも切り立っている。
「<天仙娘娘>による無意識集合化、つまり固有無意識のPSIパルスの波長重ね合わせによって、仮想集合無意識場を構築するわけだが……ここを見たまえ」
藤川が指すFと表示された集合図は、中央の山岳地帯からやや離れ、なだらかな丘陵地帯となっていた。
「このグループは集合化が、あまり進んでいませんね」
「うむ……ミッション開始当初から、集合率が低かったグループだ」
卓状モニターに表示された通信ウィンドウ越しの容が、説明する。
『多民族国家の中国では、地域、民族、遺伝的に思想、習慣などの心理要素も多岐にわたります。集合場の構築を簡易化する為、予め近しいグループで分けているのですが……。Fグループは、ウチの附属病院の入院患者グループの一つで、……その中でも中国南方各地の少数部族の遺伝的要素の多いグループですね。しかし、そのグループが何か?』
「このグループのうちから、現在の意識変容度の高い患者を一人選び、<アマテラス>に再突入させる」藤川は卓状モニターのFグループを見据えたまま、言った。
「なるほど。集合率が低いグループの患者一人なら、こちらの対人インナーミッションに持ち込める! <アマテラス>の受け入れ窓口になってもらうという事ですね」東はすぐに藤川の考えを理解する。
「うむ。おそらくその患者の固有無意識域は、<天仙娘娘>の集合無意識場に繋がったままのはず。対象者の無意識を遡っていけば、自ずと<天仙娘娘>の時空間系にアクセスできよう」
藤川は顔を上げると、通信ウィンドウの中の容の方へと向き直った。
「容支部長。グループFの中から、適任対象者を選べるか?」『ええ。お待ちください。えぇと……適格者が一人います。こちらは……あっ……』
患者のデータをあたっていた容の表情が、途端に曇っていく。
「どうした? 容?」
『……い……いえ……その……』
————
『発、<イワクラ>より、関係各所へ』
通信で繋がれたIN-PSID日本本部、China支部それぞれのIMC、そして<アマテラス>ブリッジにIMS如月のアナウンスが響く。
『これよりのインナーミッションコントロールは、China支部より本部IMC、管制センターを
<イワクラ>に移行、<アマテラス>による単独ミッションに切り替える。<天仙娘娘>の捜索、及び救出がミッションの最優先課題だ!』
如月の濁声には、不思議と人を動かす力がある。日本と中国のスタッフ全員は皆、いつのまにか彼の統率に従う。
『China支部スタッフは、集団ミッションシステムの稼働維持、及び対象者への医療対応に専念!』
アナウンスをバックに、両IMCから各関連部署に矢継早に詳細指示が伝達され、スタッフらは慌だしく動き出す。
『China支部、了解した。<アマテラス>のミッション対象者のカルテ、及び時空間座標を送る。確認されたし』
「データ、来ました!」齋藤のコンソールモニターに受信したデータが展開される。
「よし、<イワクラ>をベース座標にして、再突入座標を調整してくれ。<アマテラス>!」
『ミッション対象者のカルテだ』如月の呼びかけと同時に、メインモニターにカルテ情報が表示された。
ややふっくらした面持ちの髪の長い女性の写真が添付されている。瞼の上まで伸びた髪の毛のせいで、表情が読み取りにくいが、明るい女性ではなさそうだ。
『患者の氏名は……』『賈雨桐』
如月の説明に、容が割って入る。彼女は俯いたまま、カルテのデータを見遣ることもなく、説明を続けた。
『年齢三十二、女性。我がChina支部の……仙水技術課、品質研究室の主任研究員です』
呟くような容の説明に、藤川は、はっとなって顔を上げた。