フロウラー兄弟 1
南中の日の光に照らされて、アムネリアの大きく見開いた瞳が、輝きを増している。その色は、眼前に広がる海と同じ色——深い青緑を湛えているかのように、直人には見えていた。
「……咲磨……娃……」「えっ……」
「あの者らは……人間……ですか……」
直人を正面から見つめ、瞬きなく問う。
「どういう……意味……」
「我は、あの者らと同じ……人と天地をつなぐ存在……この子も、亜夢も……」
魔法にかけられたかのように、直人はその瞳の奥へと引き摺り込まれていく。
「……人に宿り、人を知り……天地へと還る……それだけの存在……」「アムネリア……」
岸壁に打ちつける波の音が重なり合い、アムネリアの瞳に映る空と海を隔てる水平線が霞み、両者が混じり合う。直人の意識は、まるで足元の海に投げ出されたかのように、揺蕩い始めた。
「娃があの記憶の石を手にした時……数多の我らと同じ存在の記憶が、入り込んできました。……人は、我らを神の子……『神子』と呼び、天地との絆を保とうとしていました」
「神子……」
娃……先のインナーミッションで出会った、古代中国の女王の記憶。いつの間にか、直人の意識は、アムネリアを通して、彼女と一体となっているかのようだった。
「天地は、絶えず変化する。時に、数多の生命の犠牲を伴いながら……」
娃の手に重ねて、直人は、あの記憶の玉琮に触れる。膨大な情報が一気に直人に雪崩れ込んでくる。
いつの時代かわからない、人、動物、いや、さらに原始的な生命……この地球に息づくあらゆる生命の記憶なのか……
瞬時に、輪廻転生するように、その、あらゆる命の生を次々と垣間見る。それに重なって、大自然の脅威が走馬灯のように駆け巡る。
けたたましい火山の噴火、一面を覆い尽くす雪原の吹雪、天から轟音と共に落下する巨大彗星……膨大な水に覆われ、沈みゆく世界……
その度に、生命は生き絶え、再び生まれ変わる。
「神子は、種を見極める……その種が……生まれ変わる新たな大地に必要な存在なのか……」
「見極める……」
「されど……我ら……人に宿し神子は……過ちを……幾度も…………」
アムネリアの声が震え始める。
石造りの神殿らしき場所が、直人の意識に浮かび上がってくる。壁面を伝い、滔々と流れ落ちる水流。その流れ落ちる先を見下ろすと、祭壇のような場所に、一つの水槽が見えてきた。
その水槽の中央には、半身まで水に浸かる人影が一つ——茜色の頭髪、水と一体となったような清らかな衣。人とはかけ離れた気配を発するその人物は、姿こそ違えど、アムネリアだと直人は確信していた。
いつしか見た光景に、直人の心は激しく慟哭しているかのようだ。
……共に生きよう‼︎ ……
懸命に、そう叫んでいるかのような感覚に包まれた時、そのアムネリアと思しき人影が、こちらを見上げた——
一瞬にして、意識が引き戻されていく。目の前に、亜夢の身体を纏ったアムネリアが、再構成される。
「アムネリア……」
目の前の、アムネリアの憂いた瞳が揺れている。静かに微笑んだように見えたその時、先程の亜夢と同じように、アムネリアはふと脱力し、直人の肩へと身を預けるようにして倒れ込む。
「アムネリア‼︎」直人は、その身体を受け止めると、声を張り上げて呼びかけた。
「……我らは……願う……我らは……人と……」
彼女を受け止めた手が熱い。彼女の額に手を当ててみる。
「熱⁉︎ どうしたってんだ?? アムネリア‼︎」
「アムネリア‼︎」
****
午後2時を過ぎる頃。療養棟医療区画——
「お祖母ちゃん……亜夢ちゃんは?」
検査室から、待合フロアに出てきた貴美子の姿を認め、真世が声を上げる。
ビーチからそのままの格好で、待合フロアの長椅子に腰掛けた直人とティム、私服に着替えて駆けつけたサニとアイリーンの四人は、真世の声の先に、一度に視線を向ける。
「熱はまだあるけど……落ち着いて眠ったわ。私の診た感じでは、夏風邪みたいなものよ」
貴美子の穏やかな口調に、一同はほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、風邪かよ。脅かしやがって」
直人、真世と一緒に、熱に倒れた亜夢をビーチから搬送してきたティムは、顔を綻ばせて悪態をつく。
「でも、ミッションには出突っ張りだった。やはり無理させていたんだ……」直人は俯いて言った。
「そうね。ちょっと頼りすぎだったかも……アタシ達」サニが伏せ目がちに言うと、アイリーンも小さく頷いていた。
貴美子の出てきた部屋から、神取が追って姿を見せた。
「医院長、検査結果です」
「ありがとう……」
貴美子は、神取から受け取ったタブレットにサッと目を通して頷くと、タブレットを返しながら口を開く。
「……神取先生、亜夢のこれからの治療方針に関しては、後日、話し合いましょう。今日はひとまず……」
「はい、では私はこれで……」神取は、貴美子と一同に軽く会釈すると、医局の方へと戻って言った。
「先生、検査結果はどう……」アイリーンが、眉を顰めて訊ねた。
「……皆が心配するほどではないわ。けど、ミッションの疲れも確かにありそうね。体調次第だけど、今度のミッションは、休ませてあげた方がいいかも。所長には、私から話しておきます」
「マジかよ……」ティムは、肩をすくめた。
「先生、アムネ……亜夢を、よろしくお願いします」直人は、貴美子の瞳をまっすぐ見つめると、頭を下げる。
「ええ」貴美子は、亜夢の様子を見に、再び検査室へと戻っていった。
緊張の解けた待合フロアには、じわじわと夏の午後の気怠さが戻ってくる。
「はぁ、なんか急に疲れちゃったなぁ。亜夢もとりあえず、大丈夫そうだし、アタシ、帰るわ」
「あれ、サニ。お前、アイツらに二次会だか、誘われてなかった?」
亜夢に付き添って、慌ただしくビーチパーティーを抜けようとするサニとアイリーンに、名残惜しげに、夕方からの二次会を案内していたマッチョ軍団の顔が浮かぶ。
「パスよ、パス。スパでも行ってゆっくりしたい気分」「あら、いいわね。私も行こうかしら」「えぇ! 行きましょ!」サニは、大きく頷いて、アイリーンに答える。
「ティム、あんたは?」サニはティムに目配せして訊ねた。
「オレも、今日は予定あるんでな」
ティムは、長椅子から立ち上がると、直人の肩をトンと叩き、ニヤリと笑みを浮かべる。
「んじゃ、お先〜〜」
示し合わせたように、三人は、揃って待合フロアを後にした。正面に向き直った直人は、対面に座っていた真世と視線が重なる。
残っているのは、自分と真世だけだと気づいて、直人は顔を俯けた。
「……あ、ありがとう。貴美子先生、呼んでくれたり……色々手伝ってくれて……」
「うぅんん……でも、よかった。大したことなさそうで」真世は、検査室の方を向きながら静かに答えた。
「そ、そうだね……」
外から聞こえてくる蝉の鳴き声が、一層、高らかに鳴り響く。
「あ、あのさ……」俯き加減のまま、真世が口を開く。
「えっ……」
「風間くんは……」
すると、検査室のドアが再び開き、貴美子が顔を出す。
「あ、真世。ちょっといい?」貴美子は、言いながら真世に手招きしていた。
「あ、はい……ご、ごめんね、それじゃ」「う、うん……」
真世は、振り返ることもなくパタパタと貴美子の方へ向かい、二人はそのまま検査室へと入っていく。
蝉の鳴き声に押し出されるように、直人は、長椅子から腰を上げた。