浜辺の狂詩曲 7
「来たぁ‼︎」ここ一番の大きな波が、白い泡を立てながら、ようやく形になり始めた砂の楼閣と襲いくる。
「ダメェエエ‼︎」亜夢は、身を屈め、覆い被さる守護神となって、頼りない城壁の守りを固めた。
「あ、亜夢‼︎」直人が声をあげる間に、波は、亜夢の背中を彼女の城ごと易々と飲み込む。
波が引いていくと、亜夢の丸めた背中が見えてくる。全身、ずぶ濡れのまま身を起こした亜夢は、ぶるぶると身体と頭を振り、長い髪から飛沫を撒き散らす。
「えへへぇ〜〜! 大丈夫‼︎ えっ、あれ、あれええぇぇ??」
楼閣も壁も、元からそこに何もなかったかのように溶けた泥の塊と化し、あえなく落城していた。
「だから、もうちょっと、上の方じゃないと……」直人は呆れて言った。
「ヤダァ‼︎ 亜夢は勝つ‼︎ 海に勝つ‼︎」亜夢は、直人に聞く耳を持たず、再び築城を開始する。
「はぁ〜〜、無理だよ。こんな、波、モロ被りするところじゃ」「いいの! 亜夢はね、もっと、もぉーと、大きいお城作ったんだよ」せっせと穴を掘り返しながら、亜夢は嬉しそうに言う。仕方なく、直人もその作業を手伝い始めた。
「えっ……いつの話?」「うーん、わかんない! ずっーと前!」
「ずっと……亜夢⁉︎ もしかして……」直人は、思わず手を止め、亜夢を見つめた。
「お友達のお城は、海に負けたけど、亜夢のは勝ったの‼︎ だから! 亜夢は!」
「亜夢は……」亜夢は、次第に目をとろんとさせ、呆然となってゆっくりと動きを止めた。
「亜夢? え、どうしたの……うわ‼︎」亜夢の様子に直人が気づいたのと同時に、再び波が襲いかかる。
再び全身水浸しの亜夢。しかし、今度は水を祓おうともしない。
「……うぅんん……ちがう……よ……はる……み……じゃない……ぁ……む……あむ……ねぃ……だよ」
亜夢は、何かを呟きながら、身体の芯を抜かれたようにその場に倒れかける。咄嗟に直人は、亜夢の身体を支えた。亜夢の意識は朦朧としているようだ。
「亜夢? 亜夢⁉︎」直人は、亜夢の身体を揺さぶり呼びかける。その亜夢の瞳の色が、薄らいでゆくように見えた。
「……な……お……と」細く、落ち着きのある声色が答えてくる。
「アムネリア?」亜夢、否、アムネリアは、静かに頷いた。
「だ、大丈夫?」声をかけながら、直人はゆっくりと彼女を起こした。何事もなかったかのように、アムネリアはすくっと立ち上がり、呆然となっている直人に静かに微笑んでみせた。
「……あなた方のお手伝いの時だけ……のつもりでしたが……眠ってしまったようです……このコ」「えっ?」
「……なおと。少し……お話ししませんか?」
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「へぇ〜、アンタらの事だから、肉しかないかと思ったけど……」
肉の焼ける香ばしい香りの間を縫って、多種多様な料理が、テーブルに並べられていく。鶏ハムサラダ、海鮮マリネ、野菜のグリル焼き、ほうれん草ともやしのナムル……意外とヘルシーなラインナップだとサニは思った。
「肉は勿論食いますが、それだけでは、身体壊しますからね! それに、女性の皆さんは野菜も欲しがるので‼︎」持ち込んだ料理を盛り付けながら、菩提が得意気に言う。
「デザートも用意してますよ! さ、どうぞ!」部員らも手際良く食卓の準備を進めていた。
「すごい! え、これとか、ホントにアンタ達が作ったの?」見た目も綺麗に盛り付けられた食卓に、サニは目を輝かせる。
「はい! 食事は体作りの基本! うちらは初心者のうちから、栄養管理士さんに料理の指導してもらってます‼︎」「ヘェ〜。アンタ達、いい嫁になれるよ」
「はい! 是非ともサニさんの嫁に‼︎」「それは……ない」「えぇ〜〜‼︎」
「わ〜、いい匂い」「お腹すいたぁ〜〜」バーベキューの匂いに釣られたのか、カオリとヒトミが戻ってきていた。
「皆さんもどうぞ!」
「ティム」借りたボートを保管小屋に返し終えた時、不意に声をかけられ、ティムは振り向いた。
「あれ、真世? 来たんか?」
ユニフォーム姿に、サンダルを突っ掛けただけの、およそビーチには場違いな格好の真世が、バツの悪そうにして立っていた。
「うん……ちょっと、ママとやりあっちゃって……居心地悪いから来ちゃった……皆は?」
「あっちで、ほら。ばーべ……⁉︎」ティムが、サニらの方を見やるや否や、黒光りする雄牛の群れのような塊が、爆走してくる。
「うぉおおおおおおお! 真世さぁあああああん‼︎」忽ち、十体ほどの黒光の塊が、真世を取り囲む。
「ひっ⁉︎ な、何⁉︎」真世は、ボート小屋の壁面に張り付き、顔を引き攣らせる。
「なんと可憐! なんと清楚!」「弁天様じゃ……弁天様が降臨された……」「真世さん! 真世さん! 真世さん! 真世さん‼︎」
雄牛らは鼻息荒く捲し立てた。真世は、全身を硬直させて身構えている。
黒き一団の中なら大柄な二人、そして、やや細身の男が進み出る。
「我らの鍛え上げしこの肉! 今こそ奉納の舞を‼︎」「ゆくぞ、安藤! 三村!」「おぅ! 兄貴ィ‼︎」
三人の男たちの全身全霊の舞が、今、ここに始まった。
「ひっ……‼︎ な、な、何なの⁉︎」真世は、ティムに助けを求めるが、取り巻きの男衆が既に二人を隔てている。
「あー美味しい。サラダ貰うねって……アレ? ……」いつの間にか、サニの周りから筋肉集団が、忽然と姿を消している。辺りを見回すと、聞き覚えのある女性の、助けを求める声が聞こえてきた。
「えっ⁉︎ 真世さん⁉︎ あ、アイツら‼︎」
ボート小屋の方を見やれば、黒き肉壁、野獣らの舞い踊る姿……嗚呼、哀れ、汗と肉の犠牲者がまた、一人……
「ま、真世ぉおお‼︎」ティムは、肉の壁に阻まれ、真世に近づくことさえできない。
「フン! ……フン! ……フン! フン! フン!」
三人がポーズを決めるたび、舞い散る汗、煌めく歯列と肉の閃光。男衆の囲いに満ちてゆく、彼らの熱気に、真世の意識が次第に薄れてゆく。
「……に、にく……肉が……舞って……踊る肉が……汗が……あぁ〜……」
……な、なんなんじゃ⁉︎ この……魂の底にまで滲みてくる……酸いた臭いはぁ〜〜……うぇぷ……た、たまらん……
真世は、遠のく意識の中で、心の中の悪鬼の呻きを聞いたような気がした。
……し、し、死ぬのか? ……こ、この妾が……こ、こんな結末ぅ〜〜……認められるかぁ! ……うぇぷ……
悪鬼の呻きにほくそ笑みながら、真世はとうとう力尽きようとしたその時、男衆の熱気が、急激に消えてゆく。壁が開き、人影が一つ、進み出てくるのが見えた。
「フン、フン、フン!」最後まで舞い続ける三人。その背後に立つと、人影は大きく息を吸い込む。
「ゴラァ‼︎ お前達ぃいいい‼︎」割れんばかりの声に、三人は、ニカリと決めたモストマスキュラーのポーズのまま、彫像と化していた。