表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

モンスターおばあちゃん

作者: 旗 元彦

 僕の祖母は親族のなかで祖母ひとりだけが奇跡の突然変異を起こしたように醜かった。まだ四十半ばだというのに、まるっきり老女にしかみえない。いや祖母の顔には老女以上のものがある。とにかく祖母は醜い。僕は彼女の醜さを科学的視点を用いてあえて連ねるつもりはない。それをやるといかにリアルさを表現できても差別的だという他人からの謗りを免れないからだ……。だが僕が祖母の醜さを話すのは彼女が嫌いだからではない。たしかに僕は、いつかの夏の日、田舎に居を構えた祖母の家に家族に遊びに行った日、玄関の奥からカラフルな彩の鍋つかみを両手にはめたまま嬉しそうに出てきた祖母を、妖怪図鑑に載ってない新種の化け物だと思い込んでしまい、石のように自分の体を固まらせたことはある。それに比べれば、僕の横に居た妹が叫んだ「モンスター!」という言葉が、子どもの正直な感想とはいえどれだけ彼女にとって残酷なものだったか。祖母はまったく笑顔を途切れさせずにニコニコして言った。「モンスターお祖母ちゃんだぞ! 二人ともよくきたね!」そして祖母は僕の頭を撫でると妹を捕まえて抱き上げた。「きゃっ、おばけえ!」と、妹が笑い声をあげた。祖母は「お化けお祖母ちゃんは二人の好きなご飯つくってまってたわよ」と目を丸く開いて言った。

 僕らはその夏すぐに祖母のことが大好きでたまらなくなってしまい、妹は帰るときに大泣きして彼女との別れを散々嫌がったし、僕も内心泣いてしまいたいほどの寂しさを感じて、祖母のスカートを右手で掴んで力いっぱい握って離さなかった。


 祖母ほど外見上の醜さに負けずに多くのひとに愛された女性もいないだろうと僕は思う。祖母の家に僕らが遊びに行くたびにみんなには内緒で僕に、彼女は自分の昔話を語ってくれたものだった。

 赤子の頃の赤ちゃんは大抵こんなものだと考えていた祖母の両親は、彼女が年をひとつひとつ重ねるたびに、それぞれの実家の親や親戚に過去にこれほどの醜い顔を持った人間が身内にいたかどうか問い合わせたという。

 ある段階で祖母の親は娘を天然記念物と同じようなものだと考えるようにいたった。つまり、それなら醜くたってしょうがないだろ? ということだ。

 それはともかく祖母には魔法のような力が備わっていた。非常に残念だけど本当の魔法ではない。祖母はおしゃべりの名人のうえにひとを褒める名人でもあって、それに欠かせない明るさとユーモアを兼ね備えていた。

 そういったものがぐるぐると複雑に絡み合って祖母にしかかけられない魔法がうまれた。 素敵、いいわね、最高、凄い、羨ましい。といった白々しい共有のための陳腐な褒め言葉を祖母が使うと、まるで新しく命が吹き込まれたみたいに言葉自体が別のなにかに感じられた。

 僕も祖母の魔法に励まされたくちで、大学を中退して、就職した会社を辞めてふらついていたなか、なんとか書き上げた中篇の恋愛小説を祖母に読んでもらったところ「素敵じゃない!」といった返事が彼女独自の曲がった笑顔とともに僕に飛んできた。それでその小説の実際の出来の良し悪しに関係なく僕はとても嬉しい気持ちに支えられた。

 彼女に褒められてしまうと誰もが悪い気を起こさない。彼女があるだれかの洋服を褒めただけでみんなたしかにこれはそのひとにお似合いだと納得する。少なくとも羨ましそうに褒めている祖母なんかに比べて、といったように。明らかに彼女は誰かの比較対象となり「こいつよりはマシだ」という感想を人々のうちにもたらし、それでいて祖母のほうは新たに周囲から「最悪」という烙印を押されるのだった。


 人に愛された……。


 こう話すと嫌味や皮肉のようにも聞こえる。でもそれは正真正銘の真実だった。彼女の愛はいつも本物であり、それでいて辛すぎるほどささいなやり口で彼女は試された。僕はときたまこういう言葉も思い出す。


 助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。


 祖母が高校生になったばかりの頃だ。さっきいったように祖母は持ち前の明るさとお喋りとユーモアで醜いにも関わらず人気者だった。

 僕は祖母の声を思い浮かべる。

「私があまりにも醜すぎて私を罵ることがはっきりとした罪悪だとみんな思っていたのよ」

 僕は祖母の声を聞くと、現実のなかで小学生にだって戻れる。祖母は安楽椅子に腰掛けて、お気に入りの深緑のカーディガンを膝にかけていた。僕の瞼を閉じた視界に表れるのは祖母の死んでいないあの頃だ。

 また祖母は囁いた。

「とても悲しいことがあったわ。ある男子のグループが私をひっかけようと企んだの。罰ゲームで誰かに告白したりするでしょう。そういった罰。私は、罰の対象外になるほどダメだったから、誰一人としてそういった悪戯をしてきた男の子はいなかった。でもある日、ある男の子が私を冷やかすために告白してきちゃった」

 僕は絨毯に寝そべって静かに祖母の声を聞いている。いまは冬の寒い日で、リビングの奥の石油ストーヴが僕達のところまで豊かな暖気を運んできていた。

「わたしへの告白なんてみんな嘘なんだから。無視すればよかったのに。お祖母ちゃん、無視しなかった。わたし、びっくりしたの、隠して、本当に隠してた、大好きな男の子に呼び出されて告白されたから。その冷やかしたグループの男の子達のなかに偶然私が好きだった子がいて、さらに偶然にわたしの大好きな中原君に告白されてしまったの。彼が罰ゲームを引き受けたってわけ。お祖母ちゃんね、混乱しちゃった。何もいえなかったの。だってわたしが、わたしも好きでしたなんて言っちゃったら、中原君がかわいそうだもの。わたしに好かれてるなんてエンガチョってことよ、最大最高に」

「お祖母ちゃんのこと大好きだ!」

 僕は祖母を愛していた。自分に資格があるのなら彼女の起きながらの眠りを覚ます気さえあった。だけど僕には資格なんて与えられていなかった。そのうえ僕は、祖母のためのそういった男女の愛の機会は永久に失われていることにも気がついていた。

 祖母は幸せそうに笑っただけでなく、彼女の瞳がじっくりと僕に注がれ、僕は彼女の純真な愛で体中が一杯になりそうだった。

「嬉しいわ」

 祖母は目を瞑りちょっと黙り込んだ。

「わたしは返事をしなかったけど、そのせいで彼らのなかでは罰ゲームにならなかったみたい。それでわたしはまた中原君に呼び出されて昼休みに校舎の靴置き場に来てくれっていわれたから行っちゃったの。別にまたそれくらい二人っきりで会うだけならなんともないだろうって、思って。そうしたら中原君をいれた三人の男の子が待ち受けていたの。で、後は想像通り。わたしは男子に思いっきりバカにされてしまった。あれは靴置き場に行ったこと自体がいけなかったみたいね。わたしはちっとも泣くつもりなんてなかった。ふん! って言って。踵を返して立ち去るつもりだったの。でも足が全然動かないの。はやく、動け動け、あっちに行ってクラスに戻らなきゃ! って、頭のなかでずっと叫んでるんだけど。体は動かないの。わたし、その場で立ち尽くして泣いてたの。自分でも信じられないけど、そうなっちゃった。頭がぼわっと宙に浮いてるみたいになって、ただ顔を両手で覆って泣いてるの」

 僕は小さく息を吐いた。

「なんとなく覚えてるんだけど、靴置き場に他の生徒達もやってきて、ちょうどわたしの知り合いやクラスの友達がわたしが男子に酷い悪戯を受けている場面にでくわしたの。その場は友達がわたしをクラスに連れ戻しながら中原君達に怒ってなにか言ってただけだったんだけど」

 外の風がびゅうっと吹いて通り過ぎる音が室内にまで響いてきている。僕はお祖母ちゃんが救われたのでほっとした。

「不思議なことだけど。お祖母ちゃんそれからずっと泣いてたの。数学の授業が始まっても終わっても、次の英語の時間が来ても去っても、掃除の時間も、ホームルームの時間も、下校するときに家まで半分ぐらい帰ってきたところでやっと涙が止まりだしたの。お祖母ちゃん泣いてるでしょ。さすがに恥ずかしくて電車に乗れないから歩いて家まで帰ったの、駅四つ分あったわ」

「疲れなかった?」

「とても疲れたわ」祖母はやさしい顔で付け加える。「でも一番わたしを疲れさせたのは中原君たちがみんなから責められたことね。みんな、おかしいのよ。まるでタブーに触れたみたいに怒ってしまって、わたしがそんなのしなくていいのって言っても誰ももう聞いてくれなくて大変なことになっちゃった」

 祖母は口を閉ざしてしまう。きっと考える時間が必要なんだろう。それか思い出をなぞることに夢中で、自分が時間をかけていることすら忘れてしまっているのだ。

 僕は祖母の言葉を待った。

「その日から中原君達はクラスで徹底的に無視されたの。三人はいつも以上に寄り添ってちっとも平気な顔して過ごしてたけど。疑心暗鬼だったでしょうね。なぜ疑心暗鬼だかわかる? クラスの皆が分担して中原君たち、そう、三人のうち一人ずつにアプローチして、仲間割れするような悪口だとか、あいつが中原のことを悪く言ってたとか、そういった幼稚なことなんだけど。ずっと執拗に積み重ねてクラスのみんなはそれを続けて、とうとう何ヵ月後かには中原君のグループは喧嘩してしまったの。そうなると一人になっちゃうでしょ? だから結局心細くてまた中原君達三人は集まるんだけど、もうお互いを信じられなくなってるの。集まったり離れたりずっと繰り返してたわ。で、クラスのみんなは三人のそれぞれを仲間にするようでしないの。肝心なところでやっぱり三人を別々にあるいは一緒にまとめて、それか二人を無視して一人を無視してみたり、そんなゲームをパターンを変えて毎日毎日やってるの。恐ろしいことだった。お祖母ちゃん、怖かったわ。どうしてこんな恐ろしいことがわたしのクラスで発生したのかわからなくて、悲しくて、やめてって言ってもわたしを大事にしてくれるみんなはわたしを大事にしてくれても、中原君達への陰湿な攻撃を絶対にやめなかった。お祖母ちゃん、わたしが醜いことよりもなによりも、わたしがしっかりしなかったせいなんだって、思ったわ。おい、ブス、もっと強くなれ! 強くなれっ、自分の心のなかでたくさん自分になんどもなんども言い聞かせたの。わたしが自分が醜いってことに、男の子に好きになってもらえないんだってことに、納得してたら、中原君たちもあんな目に遭わなかったし、クラスのみんなだってあんな恐ろしいことをせずに済んだのだから」

 暖炉なんて飾りで実際は薪なんて焚けなかったけれども、僕にはバチッバチッと時間をあけて木が身悶えする音が聞こえた。

「中原君たち、それから卒業するまでそんなことされてたわ。ずっとなにか言わなきゃいけないって思ってたけどついに言えなかった。お祖母ちゃんダメだったのね」

 僕は「お祖母ちゃんはダメなんかじゃないよ」と言った。「それでどうなったの?」

 お祖母ちゃんはゆっくり安楽椅子を揺らした。

「そうね。頼んで大学に入れてもらって仕事はうちの経営する小さな会社に入れてもらった」

 祖母の話はそれで終わりのようだった。それっきりで黙り込んだのだ。

 僕の、祖母と安楽椅子はどんどん遠ざかる、間近なのに永遠に遠い場所に遠ざかる。

 僕が思うに彼女の人生は普通の人より大きな宇宙に思える。鏡を見るたびに、男の反応、同性の慰めと優越心、そういう目に焼きつくものが鏡面台にぐるぐると渦巻いてゆく。

 多くの話がそうなように彼女も高等学校の終業とともに、離れた、かつて心を奪われた青年と再会した。醜い祖母はまったく姿のかわらぬ青年だった男と偶然遭遇する。中原君はあいかわらず美しい青年だった。あの高校時代、三年生に周囲に総スカンをくらったものの、いまでいうイケメンな彼は隠れて多くの女子と繋がってつきあっていた。クラスの女子の大半は彼を女子同士で罵っておきながら、陰で中原君とおもしろおかしくだべったり、キスしたり、抱き合ったりしていた。

 ただ祖母が再会した中原君はつまらない表現をするなら人生のどん底にいた。祖母の出会った中原君は小さな会社の社長で、しかもその会社が多額の負債を抱えてしまい、やっとのことである程度負債をやりくりしたものの、それはもうすっかり彼の手に負える負債ではなくなっていた。中原君は祖母を高校生時代の鬱憤を晴らすかのように夕方の再会した路上でめちゃくちゃに罵ってから二日後に自分のオフィスで首を吊って死んだ。

 僕が予想するにそれは3割がた失禁か糞便を漏らしてしまったに違いない死に方だ。肉体を地上から数十センチ浮かすと重力の関係から汚物が垂れたりする。

 ただ、もう少し続きを話すと、祖母は中原君のお葬式をだしてあげた。彼には身内という上等なつながりはすでに一切なかった。共同経営者は彼を裏切って預金と金庫から金を引き出してどこかへ逃げたあとだった。葬式に顔を出す友人も社員もいなかった。祖母が葬式の現場で見たのは中原君の借金を回収するためにつめかけた借金取りの男達や青年達だけだった。

「はい、お返しします。ですから、お願いですから故人に手を合わせて頂けませんか?」僕は祖母の声を必死にまねて言ってみる。

 祖母は粗野で暴言を吐く彼らに、借金は自分が払うといって、中原君のための焼香をあげてもらいついでに手を合わせてもらった。

 祖母を応援するために駆けつけた、僕も知ってる豊川の叔父さんと、同じ会社の社員の同僚の女性たちなどは、なぜそんなことをするのかちっとも分からなかったが、みんな祖母を愛してくれていたので困惑と悲しみを―中原君の死など彼らには痛くも痒くもなかった―体に押し閉ざした要領で中原君の立派な葬式や棺桶になにも触れなかった。

 なにはともあれ醜い顔の祖母がこうまでする中原君が祖母に愛されているのが、ひしひしと彼らに伝わったようだ。豊川の叔父さんは喪主を勤め上げ、応援の女性は涙を流す祖母のために泣き、借金取りは本来は他人の祖母が借金を返す義務などないのだということを借金取り以上に強面の叔父に教えられると「金さえ払って頂けるなら」と言って神妙な態度で葬儀に出席した。

 中原君の葬儀は蓋を開けてみればかなり立派なものになったらしい。一企業の社長として町の会場を借りるくらいではなかったが、個人の葬式としては出来すぎたくらいということだ。その代わり、借金のほうは社長の肩書きに劣らずまとめるとそれなりの額になってしまい。祖母のお父さん、つまり僕の曾祖父に頼むしかなくなったのだ。豊川の叔父さんが協力して払ってくれるにしても曾祖父は「なぜこんな金をださなきゃならん」とひどい剣幕だったのだが、祖母に「わたしはお嫁にいけませんから、その費用の代わりだと思ってください」と土下座されたのでは、曾祖父も曾孫を不憫に思って仕方なく払ってくれたそうだ。しかし娘が後年になって、しっかり、ひょっこりとあらわれた野心家の祖父と結婚すると知っていたら出してくれなかったかもしれない。でも祖父は夫として完璧だったけれど妻を愛していなかった。

 僕にとってもなかなか納得できない。祖母は中原君と再会したときに十数年ぶりに罵られてしまい、祖母は高校生のあの日のようにまた顔を両手で覆って泣いてしまった。さらに祖母はこうも言った。「お祖母ちゃん、強くなってなかった。もっとわたしが高校生の頃自分に言い聞かせたように強くなってれば中原君になにか言ってあげられて、なにかできたかもしれないのに。ブスお祖母ちゃん何年たっても強くなれなかったの」僕は祖母の頬を下る涙を直接見なかったが、祖母の手が涙を拭うように動いたので涙が流れていたことに気づいた。

 ・・・・・・。

 僕は祖母が「素敵」といってくれた恋愛小説に手を加えて、ヒロインにお祖母ちゃんの名前をつけた。その物語の女の子はやっぱりたいして美人じゃないけどとてもやさしい女の子だ。それに強い。お祖母ちゃんの名前がついた女の子は、彼のために夜を走り、具合悪く前方に降りた鉄道の遮断機の黄色と黒の遮断棒を、車で猛スピードで突っ込んでいって二本ともへし折るくらいに強い。だけどとりあえずは相手の男の子にまず最初にこう切り出させるつもりだ。「むかし、あなたに愛されたことがあるんです」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ダメだ!!!!!! またえらそうなこと書いてる。低賃金でカネなくて苦しくて八つ当たりしとる。カネもらえるような作品書いてないくせに! ほんま、お手数かけます。削除しといてください。迷惑だこん…
2009/08/13 19:20 ごはんライス
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ