第71話 昆虫博士に相談
「それで坊ちゃん。今日はどうされたのですか?まさか今度は奥様と虫取りをされるんですか?ほほっ。」
ポルレさんはお茶をすすりながら楽しそうに言った。
んなわけねぇだろとさっきまでの気持ちも忘れて言おうとすると、エバンさんも楽しそうに笑いながら「いいえ」と言った。
「妻が虫を育てたいらしく…」
「エバンさん。」
そんなことを言ったら本気にしてしまいそうだと思って、エバンさんの言葉を途中で止めた。すると案の定ポルレさんはまた楽しそうに笑いながら、「それはいい」と言った。
「世界の変化は虫と共にあります。虫を知ることは歴史を知ることですから、いいお勉強になりますよ。ほほほ。」
それはきっと本当なのだろうけど、だからと言って「じゃあ育てます!」ってなるわけではない。私は冗談なのか本気なのかよく分からないポルレさんの言葉に、「そうなんですね」と実のない返事をした。
「えっと、今日は色々聞きたいことがありまして。」
「はいはい。なんなりと。」
早く本題に入りたくてそう言ったはずなのに、ポルレさんは「虫かごなら差し上げますよ」なんて言ってきた。とりあえず笑ってそれをごまかして、「あのですね」と強引に話を始めることにした。
「実は今、コガネムシの糸を使った生地がもっと出来ないかという事を考えていまして…。」
「ええ、ええ。コガネムシのですね。聞いてます聞いてます。」
ポルレさんはそう言いながら立ち上がって、最初にいた暗闇の方へと向かっていった。しばらくしてから帰ってきたと思ったら、ポルレさんは一つの虫かごを抱えていた。
「こちらがコガネムシですね。」
細い木みたいなもので編まれた虫かごの中には、小さな虫が1匹入っていた。それは絵で見た通りそっくりそのままコガネムシみたいな姿をしていたけど、色だけはコガネムシより金色っぽく輝いていた。
「キレイでしょキレイでしょ~。神々しいですなぁ。ほほほっ。」
「はあ…。」
確かにキレイはキレイだけど、私から見たらただの虫に変わりはない。あんまり見たくはないんだけどここまで来て見ないのも失礼かなと思って、私は恐る恐るかごの中を見つめた。
「あらあら。ここにちょうど巣を作ってくれてますねぇ~。」
嬉しそうな顔で「美しい」と言いながら、ポルレさんはかごの中を指さした。導かれるままにそちらの方向を見て見ると、そこには小さな鳥の巣みたいなものがあって、それも金色に輝いていた。
「この巣を作っている糸が、ドレスを作る糸になるわけですよ~。素晴らしい。素晴らしいですよねぇ~?!」
「は、はい…!」
ここまでは全く同意出来なかったけど、初めてポルレさんの意見に素直に返事をした。あんな小さな巣を使って、糸を作り出すなんて…。その発見はやっぱり、蚕から絹を作り出した時に匹敵するなと偉そうなことを考えた。
「それでお嬢さん。聞きたいことは何だったでしょう?」
見惚れている私に、ポルレさんが言った。私はあんなに見たくないと思っていたはずのかごの中をジッと見てしまっていることにそこで初めて気が付いて、ハッとしてポルレさんへと視線を移した。
「コガネムシの数を増やすいい方法は、何かないのでしょうか。」
あまり回りくどい聞き方をすると変な答えが返ってきそうだと失礼なことを考えながら、単刀直入に聞いた。するとポルレさんは分厚い眼鏡をくいっと右手で上げながら私の方を見た。
「はいはいはい、そうですねぇ~。コガネムシは比較的飼育の楽な虫です。なのでキャロルさんも少し教えただけで、数を増やせたとおっしゃられていました。」
突然彼の口からキャロルさんの名前が出てきたことに驚いた。
でもよく考えてみれば、図鑑を出版している人のところに話をすでに話を聞きに来ていてもおかしくないかとそこでようやく気が付いた。
「でもなにより、数が増やせたとしても採集には時間と手間がかかり…。増えるとなると場所も多くいるわけですよ。」
それはごもっともな話だ。
今まで見たことがなかったから想像も出来なかったけど、これだけ小さな巣を一体どれだけ集めればあのドレスが出来るのかなんて想像しただけで気が遠くなりそうだ。
「増やせるかという質問には"はい"と答えられますけど…。実現可能かと言われればそれは私にはわかりませんねぇ~。」
ポルレさんはまたお茶をすすりながら言った。
分厚い眼鏡がお茶の熱気で曇っていって、ますます彼がどんな顔をしているのかよく分からなくなった。