第86話 追及
兵武省見回り組局長シュバイセル。
過激な獣人狩りを続ける兵武省の役人だ。
僕やアストリアにとっても、因縁のある相手だった。
最悪のタイミングだ。
シュバイセルの役目は、違法滞在を続ける獣人の検挙。
そしてここには、ミーキャがいる。
もし匿っているのをばれたりすれば、ミーキャだけじゃない、きっとオルロたちも厳しく追及されるだろう。
おそらくオルロはわかっていた。
だから、すぐにミーキャを隠したんだ。
「これはこれは見回り組局長殿……。随分と派手なおこし、この度はどのようなご用件かな」
狼狽する僕を余所に、オルロは波に打ち据えられる岩のように落ち着いていた。
シュバイセルはさらに踏み込む。
散乱した硝子や木材を踏みつけ、薄く笑った。
「手荒なことをして悪かったな、オルロ殿。なに……これも仕事だ。近所のものから獣の匂いがすると聞いてな。調べている」
「なら何も戸を破らなくても……」
「だから謝っているではないか。そもそもお前が悪いのだぞ。家内に居ながら、何故すぐに出てこなかった? 何か良からぬ企てをしているのか、勘ぐってしまうではないか」
「ほう……。良からぬ企てとはなんだ? 教えてほしいものだ」
「オレも教えてほしいものですな。何故、あなたの隣に鍵師がいるのか? その者は以前、市中を騒がせた冒険者の1人だ。そのような者と一緒にいれば、疑いたくもなる」
シュバイセルは、僕の方に鋭い眼差しを向ける。
その挑戦的な視線に、僕の頭にカッと血が上った。
だが、それを諫めたのはオルロだ。
僕の肩に手を置き、任せておけ、と前に出る。
「この者は我が娘の婚約者じゃ」
「婚――――」
出かかった言葉を、僕は慌てて押さえる。
いや、その……。
そこまで進んでいるわけでは。
でも、僕としてはその……。
空気とは裏腹に、僕は思わず照れてしまう。
他の人ならともかく、オルロに言われると、こんな状況でもつい浮ついた気持ちになってしまった。
「婚約者? ああ、そう言えばあの時も2人でいたな。なかなか美しい娘だった」
シュバイセルの鼻息が荒くなる。
やや好色そうな顔を浮かべた後、オルロに告げた。
「オルロよ。お前の娘をオレにくれるというなら、見逃してやってもいい」
「ふふふ……」
オルロが鼻で笑うと、シュバイセルの顔が曇った。
「何がおかしい?」
「失礼、“小臣”殿。ですが、笑いたくもなる。何を見逃すのですか? その定義すら曖昧なまま、わしの娘がほしいと言われても、お答えようがない」
「簡単なことだ? いるのだろう、獣人が? この家に……」
「何を根拠に……」
「オレの市中での噂を知らぬわけはなかろう。『獣人狩り』だ。オレは違法滞在者の“外民”をつるし上げることによって、今の地位を得た。故にわかるのだよ」
腐った獣人の匂いがな……。
シュバイセルは鼻梁を見せつけるように、指で叩いた。
「獣人の匂いがするから、その者怪しいですか? 魔女狩りと言う言葉を、“小臣”は知っておりますかな?」
「大昔の逸話がどうしたというのだ? オレには関係のないことだ」
シュバイセルは顎をしゃくった。
すると、待機していた衛兵たちが動き始める。
屋敷の中を靴も脱がずに入ると、獣人を探し始めた。
オルロはそんな衛兵たちを注意するわけでもなく、シュバイセルを睨んでいた。
「余裕ですな、“小臣”殿」
「うん?」
「宮廷の方では爆発騒ぎが起きていると聞きます。なのに、こんなところで油を売っていてよろしいのですか? 出世にも響きましょう」
「オレの仕事は神都の警邏だ。宮廷内の警邏は、近衛の仕事……。それだけの話だ。それに犯人が必ずしも宮廷内にいるとは限らぬであろう。こういう時こそ、神都の警備を厳重にし、怪しいものは捕まえる――――それが肝要だと考えた」
「ははは……。なるほど。なかなか頭がいい。…………なら、ますます娘をやれなくなった」
「なんだと……」
シュバイセルは眉宇を動かす。
やや怒りを滲ませるも、一方のオルロの顔は涼しげだった。
「シュバイセル殿、アストリアは我が妻ロザリムが腹を痛めて“神”から授かった愛娘だ。随分と大きくなったが、今でも目の中に入れても可愛いと思っておる」
「ふん。のろけか、オルロよ」
「のろけて何が悪い。だから、物の価値のように求めるお主にはやれぬのだ」
「物の価値?」
「お前は娘を『くれ』といった。だが、娘は1人のエルフだ。物でもなければ、その価値を求めるものではない」
「何を言っているかわからぬな」
「そうであろうよ。お主の世界に満ちるものは、物や価値、そして階位だ。そこに人は一切いない。故に、わしはお主に娘をやらんのだ」
「世迷い言を……」
シュバイセルが怒りを滲ませる。
その時、ちょうど1人の衛兵が、言い争っている僕たちの間に現れた。
1本の白い毛が摘んでいる。
鑑定魔法による結果を告げられると、シュバイセルは勝ち誇ったように笑った。
「獣人の毛……。しかも、雪兎族の毛だそうだ。これで決定的だな」
「だから、どうしたんだ? 獣人の毛が1本あっただけだろ? ここに獣人なんていない」
僕は叫んだ。
シュバイセルは目を細める。
口元に愉悦を帯びて。
「そっくりそのまま返そう。だから、どうした? 今獣人がいないだけで、過去ここにいたことは明白だ。見回り組に届け出をせず、匿ったというなら、家主を逮捕せねばならんな、オルロ」
「ふざけるな! 獣人の毛が見つかっただけで、逮捕なんて」
「よそ者のお前にはわからんだろうが、国の許可なく自分の屋敷に獣人を匿うこと、住まわせること、働かせることは冠位十二階において罪となっている。そもそも入ることも許されていない」
「そんな――――」
ミーキャは家に入ることすら許されていないなんて。
「獣人がエルフの家に入ることができるのは、“隷”だけ。自由民である“亜獣”も許されていない。そして“隷”も国への届け出が必要だ。この家には、その必要な届け出がなされていない……」
くくく……、シュバイセルは低く笑った。
「いくら頭の悪いお前でもここまで説明すればわかるな」
「…………」
僕は押し黙った。
反論する余地もないからではない。
この国の愚かな法律に絶望し、言葉も出なかったのだ。
間違っている。
絶対に……。
いや、歪みすぎている。
まるで今目の前に立つシュバイセルそのものだ。
この国は、あまりに歪んでいる。
「というわけだ、ユーリくん」
オルロは1歩踏み出す。
シュバイセルに向かって、両手を差し出した。
その姿を見て、シュバイセルは歯を見せ笑う。
衛兵に指示を出し、縄を打つ。
「父上!!」
奥から飛び出してきたのはアストリアだ。
その声に、オルロのエルフ耳がピクリと動く。
だが、娘の方に振り返ることはない。
ただ広い背中を見せながら、一言呟いた。
「すまぬ……」
そしてオルロは衛兵に引き連れられていく。
僕はもう我慢の限界だった。
この場にいる人を全員止めてでも、オルロさんを救う。
そうだ。
僕にはその力がある。
魔王すら瞠目させた鍵魔法という力が……。
「全身――――」
ユーリくん……。
まるで僕を留めるようにその声は凛と響き渡る。
ひどく落ち着いた声は、まるで冷や水のように僕の沸騰した頭を冷やしてしまった。
顔を上げる。
玄関先でオルロさんは僕の方を向いて、こう言った。
「アストリアを頼んだぞ」
ただそう一言だけ言って、またオルロさんは連れられていった。
ダメだ……。
ここで暴発してはダメなんだ。
僕たちは確かに国に逆らうことを決めた。
それはあまりにフィーネルさんや獣人の子どもたちの命が、理不尽に奪われようとしていたからだ。
けれど、今は違う。
この国には、最悪だけど法律がある。
オルロさんはそれを破ってしまった。
ここで僕が戦い、手助けすれば、本当の犯罪者になってしまう。
僕はオルロに誓った。
アストリアと幸せな家庭を築くと……。
僕まで罪人になっては、誰がアストリアを守るというのだ。
それに忘れてはいけない。
僕たちが冒険者になった理由を。
アストリアの悲願を……。
オルロのあの言葉は、多分そういう意味なんだ。
僕はぐっと堪えた。
アストリアにも伝わったのだろう。
それ以上何も言わず、父親が衛兵に連れられていくのを見守るのみだ。
「さて……。捜査続行だ。まだ獣の匂いがするぞ。どこに隠した獣人を?」
シュバイセルは歪んだ笑みを見せる。
悪魔だ。
悪魔でなかったら、もはや人間じゃない。
シュバイセルは徹底して歪んでいる。
あのラバラケルの親子以上に。
「オルロさんを連れていって、これ以上何をしたいのですか!?」
「違法滞在している獣人を検挙する。ただそれだけだ。どけ。小僧! どうせ家の奥で震えているのだろう」
シュバイセルはついに土足で玄関を上がる。
さらに1歩踏み出そうとして、僕は手を広げて止めた。
「なんだ、小僧? オレに逆らうのか?」
「アストリアさん……」
「ああ……。すまない、ユーリ。私も付き合おう。これ以上、この官吏をのさばらしておくわけにはいかぬ」
「なんだなんだ? 随分と物騒だな、貴様ら? オレを殺すか? やってみるがいい? だが、その時は一巻のおしまいだぞ。お前らが目指している下層に行くことは一生できない。お前たちに賞金をかけて、下層の国にまで触れ回ってやる。カリビア神王国の小臣を殺した罪は重いぞ」
それでもいいとさえ思えた。
こんな男と一緒の空気を吸っているぐらいなら、罪人になった方がマシだ。
僕の戦意が、殺意に変わる。
それはアストリアも同様だった。
互いに武器の柄を握る。
ひひひ、と笑ったのはシュバイセルだった。
「ちょっと! うちの鍵師に、随分な口を聞いてくれているじゃない、あんた」
妙にドスの利いた声が、壊れた玄関の向こうから聞こえる。
まだ陽も高い昼間に、綺麗な金色の髪がキラキラと輝いている。
それを2つに結び、先を軽くカールさせていた。
同時に燃えるような赤い色の瞳が、目の前のシュバイセルを射抜く。
「貴様、何者だ!?」
「あ、あ…………」
驚きすぎて、声も出なかった。
それは僕もアストリアもよく知る人物だったからだ。
「貴様? 何者? 神王国の宮廷官吏は、随分と乱暴な口を利くのね。後で抗議文でも送っておこうかしら」
エルフの“小臣”を前にしても、全く怯むことはない。
あまりにぞんざいな態度であったけど、むしろ今はそれがとても頼もしく思えた。
「姫! エイリナ姫!!」
僕は思わず叫ぶと、エイリナ姫は破顔し、こう言った。
「やっと見つかった。は~い! ユーリ、アストリア」
きさくに手を振るのだった。
ついにエイリナ姫、登場です!
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