第56話 鍵師の提案
今日からお仕事の方お疲れ様です。
今日までお休みの方、もうちょっとゆっくりして下さい。
今日1番の馬車が、ムスタリフ王国王都から出発する。
サーゲイの蹄の音が響き、木製の車輪が回り始めると、客車が揺れた。
まだ息を吐くと白い朝だけあって、乗り合いの冒険者の姿はほとんどない。
口数は少なく、皆がフード付きのローブを被り、静かにしていた。
1人の冒険者が顔を上げる。
フードの奥からさらりと出たのは、美しい銀髪だ。
白い頬はほんのりと桜色を帯び、その緑色の瞳はたった今出発した王都へと向けられていた。
「…………」
アストリアは何も言わない。
ただじっと王都の方を見ている。
故郷というわけではない。
彼女の故郷は、王都から少し離れた山村である。
だが、色々なことが起こった。
呪いの仮面で王都を彷徨い、
エイリナと再会し、
魔王の力を帯びた者と死闘を演じ、
王と謁見し、
魔王とも会った。
そして、かけがえのない仲間と出会うことができた。
ほんの1ヶ月にも満たない間、様々なことが起きた。
充実していたとはいいがたい。
それでも寂しいと思ったことは1度もなかった。
そう。
今、こうして王都を見ている時以外は……。
アストリアは王都から目を切る。
幌に持たれかかると、ローブを自分に引き寄せ、瞼を閉じた。
暗い闇の中で、現れたのは人懐っこい青年の顔だ。
アストリアは薄く笑うと、しばし眠りに就いた。
◆◇◆◇◆
僕は振り返った。
サリアの目の前に立つと、膝を突く。
目線を上げて、サリアを見つめると、僕は言った。
「サリア……。聞いてほしいことがある」
「イヤじゃ」
プイッとサリアは顔を背ける。
サリアは賢い。
なんと言っても魔王様だ。
多分、僕がこれから言おうとしていることを見通しているんだろう。
「どうせ、そこな女と一緒にダンジョンに潜りたいというのであろう」
サリアはアストリアを指差す。
「そ、そんなことはまでわかってるんだ」
「ああ……。お前からあの女の匂いがプンプンするからな」
「い゛え゛!」
思わず変な声が出てしまった。
そっとアストリアの方を見る。
彼女の方もビックリしていた。
目線が合うと、向こうは慌てた様子で目を反らす。
「ぷ、プンプンはないでしょ……」
「そんなことはどうでもいい。許さぬぞ、ユーリ。我がこうして大人しくしてやっているのは、お前が我の遊び相手をしてくれるからだ。お前が、ここ数日いなかった間も何か理由があるのだろうと考え、ここを動かなかった。だが、これ以上の延長は許さぬ」
サリアが目を細めた瞬間、鋭利な刃のような殺気が膨れあがる。
実際、サリアからは魔力が漏出し、あの黒い塊のようなものも見えた。
場は騒然とし、国王は近衛に手を引かれて後ろに下がる。
「我は魔王サリア……。かつての人類の敵だ。お前たちを根絶やしにするのが我が務め。それにお前たちは、こんなところに閉じこめ、お前たち人類は我から魔力を吸い上げてきた。大義名分も十分だと思うが……」
「うん。確かにそうだね。……でも、そこを曲げて待っててほしいんだ。1年……いや、半年だけでもいい」
「イヤじゃったら、イヤじゃ」
僕から顔を背けてしまった。
その小さな肩に僕は手を置いて説得続ける。
本当に小さく細い肩だ。
魔王とは思えないほどに。
「サリア聞いて。僕はアストリアの仲間を助けに、ダンジョンへ潜る。でも、もう1つ下層へ行く理由を見つけたんだ」
「ふん! どうせその娘と逢い引きしたいとかいう理由だろ」
「君を解放するためだよ、サリア」
「解放じゃと?」
サリアは目を細める。
「今、君の力は第1層の人々にとって代替えの利かない物になっている。君がいなくなれば、多分この層はいずれ滅びる。サリアが暴れなくてもね」
「ふん。いい気味だ」
「でも、それじゃあ君も困ることになる。君が好きなフーゼンのショートケーキが食べられなくなる」
「ぬっ!」
大きく胸を張るように立っていたサリアの表情が変わる。
額にはすでに汗が滲んでいた。
「光月堂の焼き栗モンブラン……。プレサンコの苺の生クリームサンド……」
サリアはごくりと唾を呑むのがわかった。
「そして君が大好きなロブロンコのシェフが自ら作る10種類のフルーツを使ったパルフェが食べられなくなってもいいのかい?」
「イヤじゃぁぁぁぁあああああああああああ!! それだけは絶対にイヤじゃ!!」
サリアは絶叫を轟かせる。
僕の方に振り返った時は、唇から涎を垂らしていた。
よっぽどスイーツに飢えていたのだろう。
若干目が血走っていた。
その顔を見て、僕はクスリと笑う。
「僕ももっと君には美味しいもの食べて欲しい。下層にはもっとおいしいデザートがあるかもしれないしね。だから、僕は君をここから解放したい。でも、君がここを離れれば、困る人が大勢いる」
「話が見えないわね、ユーリ。あんた、何を企んでいるの?」
割って入ったのは、エイリナ姫だった。
目の前で涎を垂らしている魔王とは違って、こちらは僕を訝しむように目を細めている。
僕は皆の方に振り返って、こう言った。
「僕は第10層を目指そうと思います」
――――ッ!!
その発言に全員の表情が変わった。
本気か、とばかりに、マジマジと僕の方を見つめる。
みんなの驚いた表情を見つつ、僕は慎重に話を続けた。
「皆様も知っての通り、地層世界エドマンジュでは下層に行けば行くほど、魔力が濃くなっていきます。下層の底で発生した魔力が、ウィンドホーンによって巻き上がり、地層世界全体に循環している。故に下層は濃く、上層は薄いのだと考えられています」
じゃあ、魔力はどうやって発生するのでしょうか?
再びしんと静まり返る。
側で聞いていたサリアですら沈黙した。
そうだ。
実はこの根本的な謎を解明した人は、未だにいない。
僕たちが日常の中で使用し、あるいは体内に取り込んでいる魔力――。
だが、その下層から発生する魔力の原因を突き止めた人は、誰もいないのだ。
「僕はその謎を解き明かすために、ダンジョンの深奥へと向かいたいのです。そして、願わくばその原理を持ち帰り、この第1層に還元したいと考えています」
「つまり、今そこの魔王がやっている代用品を用意するということね、ユーリ」
エイリナ姫は口を開く。
僕はその言葉に頷いた。
そして、改めて陛下に向かって請願する。
「陛下……。サリアは人類との共生を望んでいます」
「ま、まだ! 我はそんなことを望んでないぞ!!」
サリアはまだ魔王としての矜持が許さないらしい。
だが、彼女がそれを望んでいるのは明白だ。
ケーキを食べる時のサリアは、人間の子どもと変わらないから。
僕も、もっとサリアにおいしいものを食べさせてあげたいと思っている。
「ですが、彼女を連れ出せば、この国が傾くのは必至。ならば、僕はダンジョンの深奥へと赴き、その発生源を突き止め、代替えとなるものを必ず探し出します。その目的が達成した暁には――――」
「魔王を解放しろ、か……」
「はい」
「よかろう……」
「え? 即答!! お父様、本当にいいのですか?」
エイリナ姫は慌てた。
僕も顔を上げる。
まさかこんなに早く返答をもらえるとは思っても見なかった。
「魔王がすでに復活している時点で、もう余の打つ手はない。ルナミル殿、そなたの技術でどうにかなるものなのか?」
側に控えたルナに話を振る。
ルナはやや困惑しながら、笑みを湛えていた。
「はっきり申し上げますと、ユーリの提案以上のことは、こちらとしてもできません。ですが、考えもしませんでした。魔力の発生源なんて。確かに、それが確認できれば、第1層は魔法技術において一気に最先端を走ることになるでしょうね」
「国としても、メリットはあるということだ。しかし、ユーリよ……。もし、そなたが失敗した時は――――」
「失敗はあり得ません、陛下」
傅いたのは、アストリアだった。
「S級冒険者である私が、彼と同行します。必ず彼と共に深奥へと赴き、魔力の発生の原因を突き止めてみせます」
「アストリア……」
その力強い言葉に、僕は目頭が熱くなった。
「S級冒険者殿の言葉を信じよう」
「「ありがとうございます、陛下」」
僕もアストリアも、深く頭を垂れる。
そして改めてサリアに向き直った。
「というわけなんだけど、サリア……。いいかな?」
「勝手に話をまとめておいて、『いいかな?』はないであろう。……まあ、良い。そなたがそこまで言うなら、この地下でしばらく大人しくしててやろう」
「ありがとう。恩に着るよ」
「ただし猶予は3ヶ月じゃ」
「3ヶ月?」
思わず声が裏返った。
「短いと思うか? だが、そなたらは人を救出に行くのであろう? さほど時間はないはず。3ヶ月でも長いぐらいだと思うが?」
確かに、サリアの言うとおりだ。
第9層にいるアストリアの仲間の救出が、今は最優先事項である。
3ヶ月はどちらかと言えば、かかりすぎているぐらいだ。
「して? その間、誰が我の相手をしてくれるのだ?」
「それなら、不肖の身ですが、わたくしが……」
手を上げたのは、ルナだった。
「ルナ、いいの?」
「はい。それに、これでもスイーツ作りには自信があるんですよ」
「確かにね。ルナが作るケーキは絶品よ。普通に店を出せるぐらいにね」
エイリナ姫も太鼓判を押す。
僕の側で、サリアは唾を呑んだ。
「ほう。それは楽しみだ。我の腹を唸らせることができるかな。くっくっくっ……」
どうやら決まったらしい。
「ルナ、ありがとう。助かったよ。最近、サリアのヤツ。成長期みたいでよく食べるんだ」
「せ、成長期? 魔王様にも成長期があるんですか?」
ルナは素っ頓狂な声を上げる。
「あ、ああ……。そう言えば、言い忘れてたよ。サリア、最近すっごくご飯を食べるんだ。おまけに美食家でね。その非常に言いにくいのだけど……」
年1000万の予算は覚悟しておいてね。
そこで僕はついに、申請した予算の使途を暴露するのだった。
割と食費ってかかるよね。
いよいよ次回は第一部最終回です。
よろしくお願いします。







