第131話 我が美しき花嫁
我の名は剣帝ヴァルト……。第9層の主である!
名乗りが戦場に轟く。
しかし、その名乗り以上に驚かせたのは、ヴァルトの存在感だ。
見上げるほどの長身の体躯。
黒鉄の肌。およそその鍛え抜かれた身体は、一般的な鍛錬では追いつかないぐらい絞り込まれている。
実際、彼の装備と言えば、分厚い兜と鉄製のビラがついた腰蓑ぐらいだ。
それだけで、ヴァルトの身体が全身凶器であることが窺える。
猛禽のような深紅の瞳に、口幅の広い唇。
どこか人間というよりは、動物や昆虫じみた印象がある。
何より圧倒されるのは、漆黒の大剣だ。
ヴァルトと比べて大きく、まるでバランスが取れていない。
まるで溶岩からそのまま削り出したような代物で、刃面こそ鋭利であるものの、あれでは斬るのは難しいだろう。
一見すると、大柄な奴隷剣闘士に近い。
(なのになんだろう? この常に頭を押さえ付けられているような感覚は……)
恐怖とも、畏怖とも違う。
まだ戦ってもいないのに、もう何か命を差し出し、許しを請うてるような……。
どんなに己を奮い立たせても、敗北するイメージしか浮かばない。
勝てるのだろうか。
僕はこれに……。
「おいおい。戦場で止まるなんてどういう料簡だ」
気が付けば、その圧倒的な気配が街の軍勢の真ん中に立っていた。
僕と同じく戦士たちはハッと顔を上げる。
剣帝ヴァルトが重そうな大剣に力を込めたのを見て、戦士たちは一斉に斬りかかった。
「おせえよ」
パッと鮮血が散った。
何百という人間の頭が、一瞬にして胴体から離れて行くのを目撃する。
勢いよく噴き出した血は、中心にいた剣帝ヴァルトを濡らす。
ヴァルトはその血をペロリとなめた。
そしてまた戦場から消える。
次に立っていたのは、城とは反対方向だ。
まるで退路を断つように戦士たちを待ち構える。
同時に剣を構えた。
それを見て、戦士たちはおののく。
「まだ止まってやがるな。女神様のパンティーでも見えるのか?」
ハッと笑うと、剣帝ヴァルトは漆黒の大剣を力任せに払った。
「全体――――」
【閉めろ】!!
黄金色に魔力が戦場全体に広がる。
僕は戦士たちの身体を固定した。
次の瞬間、ガキィンと剣帝ヴァルトの大剣が弾かれる。
「なんだ?」
最初わからなかったらしい。
ヴァルトは何度も剣を振り、そこかしこにいた戦士を傷付けた。
だが、返ってくるのは硬質な音だけだ。
「我の剣が通らないだと」
剣帝ヴァルトは一旦斬るのをやめて、辺りを窺う。
狼が獲物の匂いを探し求めるように鼻を動かす。
そして、黒鉄の巨躯が僕の方を向いた。
「お前か……」
深紅の目をカッと開く。
地面を軽く蹴った次には、もう僕の前に立っていた。
同時に大剣を振り上げる。
「お前か!!」
「全身――――」
【閉めろ】!!
咄嗟に僕は、全身を鍵魔法で固定する。
次にやってきたのは、重く、腹にまで響くような衝撃と音だった。
斬られることはなかったが、衝撃は内蔵を通って身体の中を駆け抜けていく。
刹那、視界が歪む。身体が酔ったように力が入らなくなった。
それでも僕は1度閉めた【閉めろ】を緩めたりしない。
いや、一瞬でも緩めれば、僕の身体は真っ二つになっていただろう。
「なんだ? 貴様は?」
剣帝ヴァルトは笑う。
まるでお気に入りの玩具でも見つけたみたいにだ。
風を切り、蛇のように腕をしならせながら僕を切り裂く。
幸い僕の鍵魔法は完璧。父さんがかけた封印を解いたせいか、【閉めろ】の固定も強くなっている気がする。
自分の斬撃をすべて弾かれても、ヴァルトは止めなかった。
大剣の耐久度などお構いなく、僕を鞭打つように切り裂く。
驚くのは、ヴァルトの腕だ。
あんなに重い大剣を、自在に動かし、しかも片腕で僕を切り裂いている。
いつの間にか戦場は静まり返っていた。
聞こえるのは、ヴァルトが僕を切り裂こうとする音だけだ。
一瞬の気の緩みも許されない。
隙を見て、反撃しようという気さえ起こらなかった。
斬撃の雨ではない。もはや滝だ。
「ン~~❤ ン~~❤ くははははは!! 面白いな、お前!! 我の斬撃をこれほど受けて、耐え抜いたのは初めてだ。ならば――――」
ヴァルトはついに大剣を両手で持つ。
足を広げ、大上段に大剣を構えた。
「これなら保つかな?」
ヴァルトは振り下ろす。
ギィィイイインンンン!!
今まで聞いた事のない硬い音が響いた。
「ほう……」
ヴァルトの表情は少し変わる。
深紅の目は僕を舐めるように捉えた。
「強化系の魔法とは違うな。かといって地属性の魔法でもない。……【閉めろ】と唱えたか。ふふふ……。アハハハハ……。まさか鍵魔法か。面白い」
ヴァルトは僕の魔法を見抜く。
思えば、鍵魔法をこうして見抜いた相手は初めてだ。
すると、ヒュンと風を切り、空から何かが落ちてくる。
続いて重たい音を立てて、大きな刃が赤い地面に突き刺さった。
ヴァルトは愉快げに笑ったまま、柄だけになった大剣を捨てる。
「鍵魔法で己の身体を固定するとはな。そんな奴、我が知る限り2人目だ」
(2人目?)
僕の他にも鍵魔法の使い手がいる?
誰だろう。父さん? まさか……。
父さんはずっと宮廷鍵師として働いていた。
母さんは冒険者だって聞いたけど、父さんはそうではないはず。
それも第9層なんて未踏破層に来るなんてあり得ない。
「ン~~? 興味を引いたか? 身体を固定されていても、我にはわかるぞ。そしてわかっている。お前が次に考えていることを……。お前はあくまで余の気を引く道化なのであろう。本命は――――」
ヴァルトは振り返る。
同時に青い光が炎のように戦場で伸び上がった。
その輝きに照らされながら、ヴァルトは笑う。
「ン~~❤ なんと美しい……」
【風砕・螺旋剣】!!
アストリアの声が響く。
直後、その必殺剣は放たれた。
高熱を帯びた圧縮された大気は赤い大地を滑り、そして青く照らす。
真っ直ぐ戦場の真ん中で、僕を嬲っていたヴァルトに向かって行った。
もはや一瞬だった。
ヴァルトは回避もできずに、その高熱に包まれる。
直撃だ。
オルディナの光撃も、ヴァルトの斬撃も恐ろしい攻撃だった。
だが、側で見たアストリアの【風砕・螺旋剣】もまた、それらに恥じない攻撃力を持っている。
自分でも何故彼女の攻撃に、覚醒前の僕が耐え切れたのかわからなかった。
光が収縮していく。
ゴゴゴゴ、と第9層の空気は震えていた。
青く染まった大地は、また赤く、元の色に戻っていく。
天地の色すら変えてしまう一撃……。
しかし、ヴァルトは立っていた。
直撃したのは間違いない。
実際、黒鉄の肌には煤け、一部は赤くなっている。
それでもその表情は子どものように笑っていた。
(嘘だろ……)
愕然とした。
実際、全身固定をしていなかったら、膝から崩れていたかもしれない。
勝ちを確信した一撃だったはず。
それがほぼ無傷なんて。
(ここまで強いのか。剣帝ヴァルトは……)
ヴァルトはアストリアの方に身体を向ける。
アストリアは構えたが、次に僕が視界に収めた時には、ヴァルトは彼女の横に立っていた。
手を伸ばし、乱暴に彼女の首を持ち上げる。
気道を抑えられ、呼吸ができなくなったアストリアはなすがままだ。
「久しいな、アストリア。いや――――」
我が美しき花嫁よ……。