第124話 父さんの話
僕が3歳の頃だ。
他人の家の壁に大穴を開けてしまった。
その頃の僕は、宮廷鍵師という職業がどういうものか知らず、父さんの部屋に忍び込んでは魔導書を自分なりに解釈して、こっそり魔法の練習をしていた。
ただ僕はまだ3歳だ。
鍵魔法は他の魔法と比べれば、構造も呪文も簡単とはいえ、できるはずもない。
父さんも母さんもたぶんそう考えていたのだろう。
こっそり忍び込んだことを強く咎めることはなかった。
小さいなりに理由もあった。
仕事が忙しくて、なかなか家にいない父さんの手伝いをしたかったのだ。
そんな時に事件は起きた。
突如、街中にできた大穴に通りを歩く人々は絶句する。
横で友達がビービーと泣いていた。
みんなの視線を見て、僕はその時ようやく自分がやったことの重大性を知る。
「魔女だ……」
まるで「人殺しだ」という同じ調子で聞こえた声に、たまらず僕も泣きそうになった。
みんなが冷たい視線を送るなら、1人近寄ってくる人がいる。
なんと父さんだった。
いつも夜遅く帰ってくる父さんが、昼間の王都の中心に現れたのだ。
「父さん……」
ヒーローの登場にホッとしたのか。
僕の目から堰が切れたように涙がこぼれる。
父さんはそっと優しく僕を抱きしめた。
その父さんの顔は、とても悲しげだ。
「ユーリ……」
「あのね。あのね。おじさん。ユーリは悪くないんだよ」
近くで泣いていた友達が突然立ち上がった父さんに言った。
元々は友達が犬に襲われているところ、助けようとしたのが発端だった。
無我夢中で鍵魔法を使い、気が付けば家に大穴を開けていた。
その犬は少し距離を取り、木の陰に隠れて申し訳なさそうに伏せていた。
父さんは犬の表情を見るなり、笑う。
僕の肩をポンと叩くと、こう言った。
「ユーリ、よくやった」
その言葉でどれほどの不安が打ち消されただろう。
これも父さんの魔法なのかもしれない。その時、僕は本気でそう思っていた。
父さんは僕の頭に手を置く。
何やら魔法を唱えていた。
すると、父さんはすぐに笑顔になった。
「ユーリ、魔法は人を守るための力だ」
「うん」
「お前にどうしても守りたいものができた時、こう言うんだ」
父さんが教えたのは、とても短い鍵魔法の呪文だった。
「それだけ……」
「ただし。この鍵魔法は特別だ。本当に、お前はどうしても守りたい人ができた時に使うんだ」
「わかった」
僕の返事に満足したのか。
父さんは僕の頭を撫でる。
すると、自分の家に戻らず、また王宮へと戻っていってしまった。
◆◇◆◇◆
作戦の概要はさほど難しいことじゃない。
アストリアに全力で【風砕・螺旋剣】を撃ってもらう。
だが、あの魔法には一定時間の溜めが必要だ。
アストリア曰く、20秒が必要らしい。
「その間、俺とユーリで嬢ちゃんを守るって感じだな」
「いえ。ノクスさん、1人でお願いできますか?」
「なぬ?」
「この方法は僕も初めてです。はっきり言いますが、何が起こるか僕にすらわかりません」
「おいおい。大丈夫なのかよ、それ」
「待て! 来るぞ!!」
忘れてはいけない。
すでに僕たちはボイヤットさんの影と、ユニークモンスターのヒュドラ・マキシマに囲まれていること……。
僕は顔を上げる。
赤い炎が雨のように落ちてくるのが見えた。
反射的に【全身固定】を使おうとしたけど、その炎をすべて切り払った人がいる。
ノクスさんだ。銀剣を扇のように振り、炎を吸収する。
さらにボイヤットさんの影に向かって、魔法を反射した。
影はあっさり消滅する。
「どうやら、魔法攻撃が通じないってわけじゃないみたいだ」
多分、第1層でサリアの扉から噴き出した黒い塊みたいなものだろう。
考えてみれば、ヒュドラ・マキシアの魔力はサリアに匹敵するほどの力を持っている。
僕たちは今、魔王と戦っているのも同然なのだ。
「これならいけるかもな。後はお前次第だ、ユーリ」
「はい。任せてください」
「ユーリくん」
アストリアが僕の腕を掴む。
強く引っ張ると、僕の顔を自分の顔に近づけた。
思わず心臓が鳴る。
戦場でのアストリアの表情は苛烈で険しい。
でも、それでも凜々しかった。一瞬、惚けてしまうほどに。
「心の奥底では君のことを信用できていない、私は。すまない」
「謝ることじゃ……」
「だが、私は君の企みが失敗しようとしないであろうと、【風砕・螺旋剣】を撃つつもりだ」
「アストリア……」
「君を信用できていない私が言うのもなんだが……。君にこの戦場での勝敗を委ねる」
勝とう……、ユーリ君。
過去でも、未来でもアストリアはアストリアだ。
気高く、そして美しい。
今ここにいるのは過去のアストリアだとしても、僕の思いは変わらない。
「はい。勝ちましょう」
僕は短剣を構え、そしてアストリアは聖剣エアリーズを構える。
同時に魔力を練る。途端、第9層の濃い魔力が喉の奥へと入っていく。
身体の中に魔力が満ちていくのがわかる。
精神を集中しながら、風が頬を撫でる。
アストリアだ。第9層の大気、魔力がアストリアにも集まっていくのを感じる。
凄まじい……。聖剣エアリーズに宿る魔力が解き放たれれば、ヒュドラ・マキシマは間違いなく消し飛ぶだろう。
やっぱりアストリアは凄い……。
改めて自分が組んでいたパーティーの強さに驚かされる。
シュゴッッッッッッ!!
空気を裂くような音が聞こえた瞬間、雷鳴に似た音がすぐ側で轟いた。
七色の光の前に、ノクスさんが立っている。
ヒュドラ・マキシマのブレスだ。
ノクスさんは歯を食いしばって、僕たちの前で受け止めていた。
銀剣が溶けかかっている。
ノクスさんの顔が赤くなっていた。
「アストリア!」
ノクスさんは叫ぶ。
20秒が遠い。こんなに長い20秒は初めてだ。
もうここまで来れば、ノクスさんの忍耐にかけるしかない。
ブレスで消滅するか、ダンジョンが崩れて圧死するか、あるいは、勝利するか。
「ノクス!!」
アストリアの声が響く。
「どけ」とも「待たせたな」とも声をかけない。
ただ一言「ノクス」という言葉だけで、ノクスさんは理解したらしい。
互いに目でタイミングを見計らう。
次の瞬間、ノクスさんはブレスの射線上から退避した。
ほぼ同時に放たれたのは、膨大な大気が集まり超圧縮された青き光の剣だった。
【風砕・螺旋剣】!!
ついにアストリアの必殺剣が放たれる。
高熱、暴風を伴った一撃は、周囲の瓦礫とボイヤットさんを巻き込みつつ、ヒュドラ・マキシマのブレスを飲み込む。
青い光はさらに進み続け、ついにヒュドラ・マキシマを捉えた。
通常武器ではとても歯が立たない硬い竜鱗をものともしないで、【風砕・螺旋剣】は巨躯を溶かし尽くす。
ここで僕たちの引き分け以上が決まる。
しかし、ヒュドラ・マキシマ――いや、その頭に浮かんだボイヤットは笑っていた。
まさしくしてやったりとばかりに……。
まるでアストリアに【風砕・螺旋剣】を撃たせることそのものが、目的だったかのようだった。
ヒュドラ・マキシマを飲み込んだ【風砕・螺旋剣】は、そのままダンジョンの壁に向かって直進を続ける。
そのまま直撃すれば、ダンジョンの外壁を抉り、その衝撃は岩盤を破壊するだろう。
だけど、僕がさせない。
僕には果たしたい約束があって、帰り待っている家族がいて、守りたい大切な人がいる。
「こんな地の底で終わるわけにはいかないんだ……」
父さん、今こそあの呪文を使わせてもらいます。
「鍵師よ――――」
【開け】!!
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