第121話 断腕のタウロス
僕たちはボス部屋に踏み込む。
部屋の奥で一対の光が見えた。
するすると上がっていくのを見て、それが目だと気づく。
だとしたら、相当大きい。先ほど目撃したアイアンジェネラルと同じかそれ以上だ。
ズンッ!
重い足音が聞こえる。
次の瞬間、赤い目の光が消えた。
「ユーリ君!!」
アストリアの叫び声が聞こえた。
気づいた時には、彼女に抱きかかえられながら吹っ飛んでいた。
かろうじて視界に見えたのは、巨大肉切り包丁が地面を穿つ瞬間だ。
僕たちはその衝撃であっさりと弾かれたのである。
「ありがとう、アストリア」
「礼を言ってる場合じゃない。構えるんだ」
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ!!
凄まじい勢いで肉斬り包丁を持った巨人が迫ってくる。
速い! 普通巨人型の魔獣は自重のせいでそんなに速く動けないものだ。
ただその魔獣は違う。極限まで軽量化された細い身体。
何より右腕は欠損していた。
上半身が軽いぶん、素早く動けているのだろう。
その代わり、巨大肉切り包丁を持った左腕は足の筋肉よりも遥かに大きく、太くなっている。
こんな魔獣、見たことがない。
「来るぞ!」
「うん。全身――――」
【閉めろ】しようとした瞬間、巨人の背中で裂帛の気合いが聞こえた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」
切り下ろしたのは、ノクスさんだ。
巨人の魔獣は反応する。
鮮やかに回転すると、背後にいるノクスさんに反応する。
肉切り包丁を思いっきり横振りし、迫っていたノクスさんを安全圏まで弾き返した。
「ノクスさん!!」
僕の声にノクスさんは反応する。
なんとか空中で回転し、衝撃を殺すと、着地した。
チッ、と軽く舌打ちする。
なんだ、あの魔獣。
見たところミノタウロス系の亜種だと思うけれど、見たことがない。
「ユニークモンスターだな」
魔獣が濃い魔力のせいで固有の進化を果たした個体を、ギルドではそう呼んでいる。
高確率で強く厄介に進化していることがほとんどだ。
ランクでいえば、SSランク。
Sランクの上なんて未知も未知だ。
そんな相手に僕たちは勝てるのか?
「【断腕のタウロス】だな」
「知っているんですか、ノクスさん」
「俺らの世代では有名なユニークモンスターだ。なるほど。Sランク冒険者が手も足も出ないわけだ。……ユーリ、悪いがお前のレクチャーは今度だ。全力でこいつを倒すぞ」
こんなことを言ったら失礼だけど、普段ヘラヘラしているノクスさんの表情がいつになく真剣だった。余ほどの相手だとみるべきだろう。
直後、【断腕のタウロス】はノクスさんに襲いかかる。
ノクスさんは銀剣で巨大包丁をさばいていた。
おそらく【パリィ】なのだろうけど、あんな大きな包丁を弾くなんて。
やはりノクスさんの技術は計り知れない。
「よく見るんだ、ユーリくん」
「え?」
「相手は力が強く、身体が大きく、素早く動けるだけの脚力を持っている。だが、それだけだ」
アストリアの言う通りだ。
攻撃力や、その範囲、俊敏性は脅威だけど、魔法を使う様子もない。
弱体化を狙った毒なども皆無だ。
そういう意味では、以前第1層で相手をしたホブゴブリンとさほど変わらない。
上位互換だと思えば、さほど怖い相手じゃない。
少し落ち着いてきた。
思ったより僕は緊張してきたのかもしれない。
「問題はあいつの動きですね」
「ああ。あれほど俊敏に動く巨人系魔獣は見たことがない。……ユーリ君、あいつの動きを止められるか?」
「止めたところを」
「私とノクスで仕留める」
「…………ふふ」
「なんだ? 私は何か笑われるようなことを言ったか?」
「そうじゃなくて」
ようやく君と僕らしい関係になってきたなって……。
「やりましょう。僕が責任を以て魔獣を止めます。アストリアは――――」
「あいつの気をこちらに向けるようにするんだな」
「はい。お願いします」
「おい! そろそろこっちが限界なんだが……」
一振り一振り、とんでもない音を立てて、【断腕のタウロス】の攻撃を払っていたノクスさんが悲鳴を上げていた。
アストリアは早速走り出す。
「ラナン――――」
「わかってるわ!」
聖霊ラナンがアストリアの中から現れる。
【風纏足】!!
濃い大気の層がアストリアを包む。
スピードが上がり、風のように魔獣に迫っていく。
だが、驚くべきはアストリアじゃない。
その接近に気づいた【断腕のタウロス】だ。
腰を切って、素早く振り返ると、まるで腰に目でもついていたかのようにアストリアの斬撃に合わせた。
アストリアは弾かれるけど、ラナンがフォローをする。
衝撃を最小限に留めると、小刻みに【断腕のタウロス】の周りを動き始めた。
うまい。如何に【断腕のタウロス】が動きを速くとも、身体が大きい分どうしても小回りが利かない。
その間、アストリアは細かく【断腕のタウロス】を切り刻む。
けれど浅い。
だが、それで十分だった。
「全身――――」
【閉めろ】!!
【断腕のタウロス】がアストリアに構っている間、僕は容易に近づくことができた。
射程距離まで近づけば、あとはいつも通り鍵魔法を発動するだけだ。
思惑はうまくいく。
【断腕のタウロス】は止まった。
そこに向かっていったのは、アストリアとノクスさんだ。
それぞれ大上段に自分の得物を掲げると、渾身の一撃を【断腕のタウロス】に振り下ろした。
【閉めろ】された【断腕のタウロス】は悲鳴を上げることなく倒れる。
良かった。うまくいった。
「ふう」
「やるじゃねぇか、ユーリ。さすが俺が見込んだ男だぜ」
ホッと息を吐く僕に、ノクスさんは背を押す。
いつから僕はノクスさんに見込まれていたんだろう。
でも悪い気はしない。何せ英雄譚に出てきた英雄に褒められているんだから。
あれ? そういえば、なんでノクスさんが生きているかまだ聞いてなかったな。
アストリアの方を見る。
労いの言葉はなかったけど、逆に突き放すような言葉もなかった。
ゴゴゴゴゴゴ……。
ボス部屋の奧の部屋が開く。
覗いてみると、階段が見えた。
「中層に下りる階段だな。行くぞ。マゴマゴしていると、他のヤツらが来る」
階層のボスを倒して30分後、このボス部屋は解放されて、他の冒険者たちも入れるようになるそうだ。
「行きましょう」
僕たちは中層へ下りていく。
魔力がさらに濃くなるのを感じる。
下りると、上層とは違う光景が広がっていた。
洞窟然とした上層から、高い煉瓦の壁が聳える迷宮系のダンジョンの景色に変わる。
ただそこかしこの壁が崩れ、何か巨大なものが通ったような丸い穴が開いていた。
「なんだ、こりゃ。前に潜った時は、こんなんじゃなかったぞ」
「そうなんですか?」
「2人とも止まれ」
「どうした、アスト――――」
ノクスさんが聞き返すと、アストリアは唇に指を立てて「静かに」と合図する。
すると、エルフ耳を動かした。
アストリアの耳は特別だ。
第2層のエルフが享受できる神仙術によるもので、単に耳がいいだけではなく、聖霊や精霊といった本来、人族などの種族が聞けない声を聞くことができる。
ラナンと契約できたのも、その耳のおかげだとアストリアは話していた。
「静か過ぎる」
アストリアは耳を澄ましながらいった。
確かに静かだ。異様なぐらいに。
そもそも魔獣の気配すら感じられなかった。
「ここはおかしい! ノクス殿、撤退しよう!」
「何かわからないが、俺の勘も言ってる。撤退だ、ユーリ」
「はい!」
僕たちは元来た道を引き返す。
その瞬間だった。
放物線を引いて、何かが僕たちの前に着弾する。
派手な音を立てて現れたのは、魔獣の死骸だった。
魔力を伴った派手なローブに、大きな1つ目がついた顔。
口は象の鼻のように垂れていた。
【断腕のタウロス】ほどではないけど、僕よりは大きい。
かなりの握った杖からして、夢魔系の魔獣だろうと予想した。
僕が予想できなかったのは、その魔獣の半身食いちぎられていたことだ。
「【夢纏のヴェセリオ】だ」
「それって……。まさかユニークモンスター」
「ああ。【断腕のタウロス】とは違った意味で厄介な魔獣だ」
心臓が脈打つ。
身体が訴えていた。
逃げろ、と――――。
ゴウンッ!
周囲の煉瓦壁が崩れる。
同時にシャーシャーという気味の悪い声が聞こえた。
「なんだ、あれは……」
中層の天井に見えたのは、14つの黄金色の光。
うねうねと動きながら、厚い煉瓦壁をものともせず、一直線に近づいてくる。
はっきりとその姿を捉えた時、僕も、ノクスさんも、アストリアも呆然と立ちすくんだ。
「あれは……」
「ヒュドラ・マキシマ……」
「初めて見た。あれが――――」
世界の終わりを告げる魔獣か……。