第119話 別離?
僕の狙いは弓使いのディーラーだ。
相当な使い手であることは、あのタコを見たからわかる。
射速もこれまで見たことがないほど速く、力強かった。
そんな人が街中の賭場のディーラーをやっていたなんて今でも信じられないが、ノクスさんやボイヤットさんと同様に、何か事情があるんだろ。
たぶん、それは個人レベルの事情ではなく、第9層の質の問題なのだと思う。
そうじゃなければ、あの姫勇者と呼ばれたエイリナ姫クラスの人間が、こんなにゾロゾロと現れるわけがない。
(とにかく距離を詰めなければ……)
ディーラーは屋根伝いに移動しながら、居場所を変えている。
おそらく僕よりも、ボイヤットさんと戦っているノクスさんを狙っているはず。
ディーラーが位置に着く前に、僕が仕留める。
そのために距離を詰める。
「手の平――――」
【閉めろ】。
僕は家屋の壁に手をつき、【閉めろ】する。
続いて左足を壁につけ、【閉めろ】。
次に、左手を伸ばして、【閉めろ】。
さらに右足を壁につけて、【閉めろ】。
そして最初についた右手を今度【開け】すると、手を伸ばし、さらに高い所に手をついて【閉めろ】する。
一連の流れをテンポ良く行い、ヤモリのように壁を上っていく。
家屋の天井に出ると、弓で狙いを定めるディーラーの姿が見えた。
【照準】
あらかじめ手の中に用意していた小石を弾く。
石は真っ直ぐディーラーに向かっていった。
いつも通り目を狙ったのだけど、その前に気づかれてしまう。
咄嗟に手で小石を防いだ。
何事? とばかりに、指と指の間からこちらを見る。
「あのガキ、こんなところまで!」
慌てた様子で弓を引く。
3つの矢を番え、同時に発射する。
矢はそれぞれ放物線を描きながら、僕に襲いかかった。
僕は背を丸め、半ば亀の子になりながらディーラーに突撃する。
「上半身――――」
【閉めろ】!!
固められた上半身に矢が集中するけど、僕の鍵魔法が弾く。
その間も僕は走り続け、弓使いとの距離を潰す。
向こうも完全に標的を僕に変えたらしい。
小石で目を潰せなかったのは痛いけど、ノクスさんから狙いを背けることができたなら、それはもう僥倖だ。
「くそっ! なんなんだ、このガキ!!」
弓使いは距離を取ろうとする。
だが、1歩遅い。
僕は家屋の屋根に手をつけた。
「持ち主さん、すみません。天井を――――」
【開けます】!!
鍵魔法によって結合力を失った天井は、バラバラになる。
アストリアの【風砕・螺旋剣】を回避した時と同じ方法だ。
「うわああああああああああああああ!!」
天井が抜けるという異常事態に、ディーラーは対処が遅れる。
崩落に否応にも巻き込まれると、建物の2階に落ちていった。
幸い建物は空き家だ。古く埃まみれのベッドの上に落ちる。
ディーラーは九死に一生を得たが、まだ終わったわけではない。
すでに僕が待ち構えていた。
「詰みです」
【閉めろ】!
慌てて弓を引くディーラーだけど、結局そのままの状態で固まる。
いくら優秀でも、この鍵魔法から逃れることは不可能。
身体が動かないのだから仕方ない。
「衛兵が来るまで大人しくしておいてください」
僕はノクスさんと合流するべく踵を返した。
◆◇◆◇◆
「くそ! おれの魔法がことごとく返される!!」
戦場で金切り声を上げたのは、ボイヤットさんだ。
雷撃魔法だけじゃない。様々な攻撃魔法を使って、ノクスさんに迫るけど、そのことごとくを無効化されていた。
「もう終わりか? なら返すぜ。あんたの魔法をな」
魔法銀で作られた剣に雷撃が帯びる。
まるでそれまで浴びていた雷撃を再現するかのように青く閃く。
ノクスさんはそのまま剣を掲げると、一気に振り抜いた。
【銀閃】!!
龍の咆哮にも似た音を立てて、銀の龍が飛ぶ。
ボイヤットさんに光の速度で迫ってきた一撃を躱す術はない。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!」
断末魔の悲鳴が夜の街に響く。
半ば黒焦げになると、ボイヤットさんは白目を剥いて倒れてしまった。
【銀閃】は魔力の少ない人間でも、強力な一撃を入れることができる。
それこそ龍ですら屠ったことがあるという、曰く付きのスキルだ。
ディーラーを無力化し、合流した僕だけど、助太刀は無用だったらしい。
「ノクスさん、やりましたね」
「お前もな、ユーリ。やるじゃねぇか」
「何度も読んだ英雄に褒めてもらえるなんて嬉しいです」
「俺が英雄……?」
ノクスさんは首を傾げる。
むしろこっちの台詞だろう。
ノクス・グランシェルは1000年前にいたといわれる伝説的な冒険者だ。
さっきも言ったけど、様々な著者が書いた英雄譚に頻繁に出てくる人で知名度も高い。
最後は第7層に向かったところで終わることがほとんどなのだけど……。
まさか第9層にいるなんて。
いや、そんなことよりも生きていることが驚きだ。
「それよりも嬢ちゃんのところに戻ってやれ」
あ。そうだ。
酔いつぶれたアストリアを介抱しないと。
念のために全身を固定しておいたから無事だと思うけど。
僕は廃屋の陰に隠したアストリアを見つめる。
スゥー、スゥーと規則正しい寝息で眠っていた。
その寝顔を見守っていたのは、聖霊ラナンだ。
「遅いわよ」
「ご、ごめん。ラナン。アストリアを守ってくれてたんだね、ありがとう」
「礼を言われるまでもないわ。これがあたしの役目なんだから」
「そ、そうだね」
足音が近づいてくる。
おそらくノクスさんだろう。
「あたしはアストリアの中に戻るわ」
「え? あ、うん」
「あと1つ忠告しておいてあげる」
「なに?」
聖霊であるラナンの忠告……。一体何だろう。
僕は思わず息を飲んでしまった。
「アストリアの寝込みを襲ったら、即刻あんたの●●●をPPPして、バキュン! バキュン! してやるんだからね!」
そう言い残し、アストリアの中に戻っていった。
過激な忠告に、別の意味で背筋が寒くなる。
いや、1番寒くなったのは、僕の下腹部かもしれない。
「どうだ? 嬢ちゃんは無事かって、どうした?」
「い、いえ……。ちょっと疲れが出たのかも」
「そうか。なら見ろよ」
ノクスさんは顎をしゃくる。
廃屋の藁に横たわる銀髪のエルフを見つめた。
「まるで天使じゃねぇか」
確かにそうだ。
これを見たら、疲れが吹っ飛びそうだった。
「守ってやんな。この寝顔を」
ノクスさんは僕の肩を叩いた。
◆◇◆◇◆ ボイヤット ◆◇◆◇◆
ボイヤットは目を開ける。
側には仲間であるディーラーもいて、同じく目を覚ましたところらしい。
二人して何が起こったかわからず、辺りを見渡す。
暗い室内で横になっていた彼らの前に現れたのは、黒い鎧の騎士だった。
異様な雰囲気の騎士に、ボイヤットもディーラーも唇を震わせることしかできない。
「あんた、【剣師】だな」
「え? うそ! 【剣師】だと……。は、はあああああああああ!!」
ディーラーは恐怖のあまり逃げ出す。
しかし、その悲鳴もすぐに途切れてしまった。
ディーラーの足元の暗闇から無数の鎖が伸びる。
それが彼の手足と、首、胴に巻き付き、最後に首を絞めるように声を殺す。
「うわ! はががががが!! ああああああああ!! ぎゃあああああああああ!!」
そのまま沼に落ちるように暗闇の中に沈んでいった。
あっという間に1人の男が死ぬ姿を見て、ボイヤットは言葉を失う。
しかし、地獄は終わらない。すぐに闇の中からドロドロに溶けたものを取り出す。
それが何か、ボイヤットにはすぐにわかった。
溶けたものの中に、あのディーラーの目があったからだ。
黒騎士はボイヤットに見せつけるように目の前に掲げる。
「お前もこうなりたくなければ、俺の言うことを聞け」
ボイヤットは必死に何度も頷いた。
一瞬、黒騎士は愉快げに笑ったような気がする。
すると、ボイヤットは黒い水の中に落ちた。
空気を求める間もなく、気づけばボイヤットは尻餅をついていた。
「ここは?」
知らない場所ではない。おそらくダンジョンである。
第9層には修練用のダンジョンがいくつもあって、中には強力な魔獣が跋扈している。
「あ、あんた……。俺に何をさせるつもりだ」
「黙って見てろ」
するとダンジョンの奥で巨大な影が蠢く。
「あれは――――」
声をあげるまでもなく、ボイヤットは髪を掴まれると、無理矢理黒騎士の方を向かされた。
「お前、あのユーリという小僧に仕返ししたいとは思わないのか?」
「仕返し?」
「憎くないか、と聞いている」
「あ。ああ! あいつらのせいでおれは――――」
「それでいい。忘れるなよ」
その憎悪……。
「へ――――あ、あああああああああああああああああ!!」
ボイヤットもまた鎖に捕まり、闇に飲まれていく。
先ほどのディーラー同様に、高温の鍋に煮込まれたかのようにドロドロになる。
もはや原形がなくなったボイヤットを、黒騎士はダンジョンの奥に放り投げた。
直後、ズルズルと人が食されているとは思えない、奇妙な音が響く。
食べ終わった瞬間、ぐるぐると喉を鳴らす音が聞こえる。
再び骨を折るような奇妙な音が響くと、ダンジョンの奥の影が歪に蠢いた。
「本来であれば【戦争日】以外の干渉は御法度なのだが……」
魔獣に食われて事故死というならば仕方あるまい……。
フルフェイスの兜の奥で、黒騎士ことダイムシャットは歪んだ笑みを見せた。
◆◇◆◇◆
昨日はお酒を飲んだ割に、気持ち良く朝を迎えることができた。
僕って意外とお酒に強いのだろうか。
父さんはともかく、母さんがお酒を飲んでるところ、あまり見たことないんだけどな。
振り返ると、ノクスさんがまだベッドで寝ていた。
僕は少し離れたところにサブベッドを用意してもらい、就寝した。
そのおかげもあって、身体がすっきりしているのかもしれない。
宿屋の女将さんに感謝だ。
ノクスさんを起こさないように、そっと部屋を出る。
1階に行くと、女将さんが朝食の用意をしていた。
この宿はサービスで朝食が毎日食べられるのだ。
「おはよ。よく眠れたかい」
「はい。おかげさまで」
「あの子には会った?」
「あの子って? もしかしてアストリア?」
「銀髪のエルフだよ。剣だけ持って出ていったんだけど」
剣だけ?
ということは、自分だけ抜け駆けして、仲間を助けに行ったわけじゃないだろう。
そうなると、訓練か何かだろうか。
「女将さん、この近くに身体を動かせるような公園がありますか?」
聞いたところ、割と近くに大きな公園があるらしい。
行ってみると、公園で鍛錬している人がいた。
『休息日』の次は『鍛錬日』だ。
文字通り、戦士が鍛錬する日らしい。
昨日あれほど酒をあおっていた人たちが、真面目に鍛錬していた。
その公園の一角で、剣を振るうアストリアを見つけた。
いつ見ても、いや過去のアストリアでも、その姿はとても綺麗だった。
アストリアの剣は鋭い上に、綺麗でかっこいい。
見ているだけで、何かホッコリしてしまう。
「見ていないで、君も身体を動かしたらどうだ?」
どうやら僕の気配に気づいていたらしい。
近づくと、アストリアは汗を拭っていた。
重そうなブレストアーマーを脱いだ姿は、新鮮味があった。
「だったら、アストリア。僕に稽古をつけてよ」
「ほう……。君が望むなら構わないが。私の訓練は厳しいぞ」
「知ってるよ」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでも……。じゃあ――――」
僕は腰の短剣を抜く。
いつもの癖で、短剣に鍵魔法をかけて、短剣を硬質化させる。
「行くぞ」
アストリアは風のように素早く動く。
僕との間合いをあっさり侵略してしまった。
まだ起きて間もないというのに、一切手加減するつもりがないらしい。
僕はようやく目の端で斬撃を捉えると、短剣で防ぐ。
勿論、アストリアの斬撃はこれで終わらない。
さらに右に左、上、下と、まさに縦横無尽に斬りかかってくる。
なんとか対応できているのは、僕がアストリアの斬撃の癖を知っているからだ。
そう。僕は何度もこの斬撃を見ていた。
この斬撃で戦う彼女を何度も見てきた。
アストリアは知らないだろうけど、僕は忘れてはいない。
カチン!!
アストリアの斬撃に合わせて、短剣をかち上げた。
この鍛錬が始まって、初めてアストリアの体勢が崩れる。
でも、油断しない。以前、気が緩んだところに反撃を食らって、あとでアストリアにすっごく怒られたことがある。
僕はカウンターを警戒しながら、慎重にアストリアとの距離を詰める。
アストリアは剣を下ろした。
何かの戦術だろうかと疑ったけど、アストリアの周りから戦意が薄れていく。
「ユーリ君。昨日はありがとう。ラナンから聞いた。悪漢から酔いつぶれた私を守ってくれた、と」
「え……。ど、どういたしまして。なんですか、突然」
アストリアは顔を上げる。
「改めて教えてくれ。君は一体何者だ?」
「え?」
「答えによっては――――」
私は君とは組めない……。
ちょっと空気が不穏になってきた。大丈夫かな?