第114話 まずは挨拶から
「やった! ざまーみろ、ダイムシャット!!」
まだ第9層の空気が震える中、小躍りしたのは聖霊ラナンだ。
してやったり、とばかりにガッツポーズを取る。
よほど嬉しかったのだろう。
アストリアの周りをクルクルと周りながら、改めて契約主の顔を見つめる。
「良かった……。アストリア、元に戻って」
「ラナン……」
当然「心配してすまなかったな」「ここまでありがとう」といった労いの言葉がかかると思ったのだろう。ラナンは少し照れながら、そっと自分の頭を差し出す。
けれど、アストリアが行った行動は違った。
ラナンはそっと手でどかせると、その向こうの風景に視線を逸らす。
そこに黄色と淡い緑色、焦げ茶色の鎧を、それぞれ身に纏った騎士が浮いていた。
フルフェイスの兜のおかげで、表情こそ確認できなかったけど、匂い立つような殺気から彼らが何者かすぐにわかった。
(『円卓』の残りのメンバーだ)
アストリア曰く、『円卓』のメンバーは5人。
先ほどのダイムシャットと、アストリア本人。
おそらくあの3人は残りのメンバーで間違いない。
それぞれの顔には例の仮面がはめられている。
さらに黄色の鎧を着た男の腕には、気絶したダイムシャットが横たわっていた。
「嘘でしょ……。ダイムシャットを気絶させるだけでやっとだったのに」
先ほどまで大喜びしていたラナンの顔が、一転して青白くなる。
ラナンとサリアが戦力に数えないなら、戦えるのは僕とアストリアの2人だけ。
対する相手は3人。全員は一流の冒険者だ。
質、量ともに向こうに分がある。
一方、アストリアは少し悲しそうに3人を見つめていた。
「ゲヴェイム、アラム、ドリネー……」
おそらく3人の名前なんだろう。
黄色の鎧の騎士がゲヴェイム。
淡い緑色の鎧を着た騎士がアラム。
そして焦げ茶色の鎧を着たのが、ドリネーといったところだろうか。
「お前たちを必ず元に戻す。そう約束する」
アストリアの言葉には、3人は何も反応しない。
そのまま戦闘になるかと思いきや、3人はそれぞれ背中を向けた。
「『戦争日』に相まみえよう」
最後にまた声をかけたが、3人は応じず、いずこかへと飛び立って行った。
「ふう……」
しばらく3人が飛び退った方向を見つめていたアストリアは、1つ息を吐く。
ゆっくりと空から降下してくると、僕の目の前に着地した。
朝露で織ったような銀色の髪。
細く小柄だけど、力強く引き絞られた身体。
意志の強さが窺える深い緑色の瞳。
アストリアだ。僕が知ってる――――大好きな人だ。
「アストリア! あえて良かった!!」
僕は手を広げ、そして細い腰を引き寄せようと腕を伸ばした。
ゲシッ!!
次の瞬間、僕は突き飛ばされていた。
いや、それはまだマシだったのかもしれない。
ひらりと視界の隅で何かが閃くと、地面に倒れた僕の鼻先に剣が向けられた。
「へっ?」
同時に見えたのは、アストリアの侮蔑の表情だった。
彼女は僕に様々な顔を見せてくれた。
しかし、今の表情はいずれもなかったものだ。
そう。僕は初めてアストリアに軽蔑されていた。
「答えろ……。君は一体何者だ」
「ぼ、僕はその――――」
「待て、ユーリ」
サリアの声が突然頭に響く。
先ほどの戦闘では呼んでも出てこなかった。
すでに魔力の節約に入ったのかと思ったけど、どうやらずっと見ていたらしい。
「未来のことをあまりペラペラと喋らない方がいい」
「ど、どうして?」
「ここは過去の世界だ。本来、お主はここにはおらん存在……。いてはいけない存在じゃ」
「いてはいけない……」
「実際、お前が来たことによって本来であれば、ラナンがアストリアを『ウィンドホーン』に導き、第9層を脱出する予定だった」
「あ……。そうか。僕たちのせいでラナンとアストリアは……。でも、こうして僕たちはアストリアと合流して、仮面の封を解くことができた」
「ああ。うまくいけば、『円卓』のメンバーを救えるかもな。だがお前が現在に戻った時、アストリアとお前が出会わなかった世界になってるやもしれんぞ」
「あ……」
「たとえ出会えたとしても、お前とアストリアは他人だ。お前はそれでいいのか?」
ただアストリアと、その仲間である『円卓』を救いたい。
その一心だけで、僕は過去の第9層へとやってきた。
だけど過去を変えることは僕が知る現在、そして未来が変わるということになる。
それをよく考えず、第9層剣帝ヴァルドにやって来てしまった。
「どうやら、何も考えていなかったな」
「ご、ごめん。でもどうしよう、サリア」
「仕方ないのう。間抜けな、ユーリ。この魔王サリア様の知識がなければ何もできないと見える」
ぐうの音も出なかった。
「案ずるな。我に良案がある」
「ホント?」
「一先ず先ほどの――――」
ダイムシャットに会え……。
はあああああああああああ!!
僕はサリアと心の中で話しながら、思わず悲鳴を上げた。
ダイムシャットと会えってどういうこと?
あいつは敵だ。間違いなく、この後も僕たちの前に立ちはだかるだろう。
何よりアストリアに、恐ろしい呪いの仮面をつけた張本人である。
そんな奴と再会して、一体何をするつもりなんだ。
「ダイムシャットと会うまで我は眠る。それまで念話はできないと思え。じゃあな」
「ちょちょちょちょ! サリア!!」
気が付けば叫んでいた。
と同時に鼻先に突きつけられた剣は、頬を伝いやがて顎に至る。
アストリアは目を細め、さらに僕に対する疑惑を深めた。
「さっきから一体、誰と喋っている、貴様は」
ついにアストリアは激昂した。
貴様って言われたのも初めてだ。
もう泣きそうだよ、僕。
でも、アストリアに事情は話せない。
僕としても、これ以上未来が変わることは避けたい。
「待って、アストリア」
僕の前に出てきたのは、聖霊ラナンだった。
「ラナン……。珍しいな。君が私以外の人間に味方するなんて」
「自分でもそう思うわ。はっきり言って、こいつからは怪しさしかない。そもそもこいつがいきなり現れたから、あたしとアストリアは第9層から脱出できなかったわけだし。さっきはアストリアに抱きつこうとしてたし」
僕を守ってくれているのかと思ったけど、ラナンは冷たい瞳を僕に向ける。
「でも、この子がいなかったらダイムシャットを退けることはできなかっただろうし、仮面の呪いを解くこともできなかった。……あたしたちが助けられたことは確かよ」
「彼を信頼すると……」
「そこまでは言ってない。でも助けてもらった相手に感謝ではなく、剣を向けるのはあなたの総意ではないでしょ。あなたはあたしが選んだ誇り高き『風の守護人』なのだから」
アストリアはすぐ剣を下ろさなかった。
ぐっと僕の頭を押し付けるようにひと睨みした後、ようやく聖剣エアリーズを鞘に収める。そして真っ直ぐ直立し、僕の方に頭を下げるけど、その表情がやわらぐことはなかった。
それでも僕はアストリアらしさを感じて、ホッとしてしまった。
「ありがとう。助けてくれて。私の名前はアストリア・グーデルレイン」
知ってる。
君のことならなんでも……とはいわなくても、君が思う以上に僕はアストリアのことを知っている。
喉からこみ上げそうになった言葉を、僕は冷静に飲み込む。
そして真っ直ぐこの時代のアストリアを見つめた。
「ユーリ・キーデンスと言います。冒険者です」
「そうか。仲間は?」
皮肉にもダイムシャットと同じ質問をする。
「はぐれてしまって」
「なるほど。先ほどのは仲間と魔法か何か交信していたのか?」
「そんなところです」
さすがに僕の影に魔王を飼ってるとは言えないよね。
「わかった。我々は一先ず近くの街に行くつもりなのだが、君もついてくるか?」
「街? 第9層に街があるんですか?」
第1層でお世話になったルナミルさんが住む第7層から先は、ほとんど未知の領域だ。
特に第9層のことが書かれた文献は、ほとんどない。
書かれていたとしても、ほんの数行だ。
剣帝ヴァルトというのも、第9層の通称なのか、人物の名前なのかすら判明していない。
人がいることですら驚きなのに、街があるなんて。
もはや大発見の類いだ。
「第9層に来て、間もないのだな。ここは――――」
「アストリア、待って!」
ラナンがアストリアを制止する。
黒目のない瞳をつり上げて、頬を膨らませた。
「街って……。あなた、第9層を脱出しないの?」
元々ラナンはエドマンジュに縦に流れる気流『ウィンドホーン』を使って、脱出する予定だったと言っていた。
本来なら、その作戦は成功し、第1層に流れ着いたアストリアと僕が出会う予定だったはず。
「いや、私は戻らないよ、ラナン」
「なんでよ! ダイムシャットが大怪我を負ったわ。今がチャンスなのよ!」
「だからこそだ。だから、私は仲間を、『円卓』のみんなを助けに行く」
「無茶よ! あなたが強いのは知ってる。でも、向こうには『円卓』の全員がいるのよ。……それに彼らの後ろには剣帝も控えている。あなたですら手も足も出なかったのに」
アストリアが手も足も出なかった?
そんなに強いのか。剣帝というのは……。
少しショックだ。僕だって引き分けに持ち込むのが精一杯だった。
いや、あの時【閉めろ】できず、戦闘が続いていれば、敗北だってあり得た。それだけ今の魔力が充実したアストリアは強い。
その彼女がまったく歯が立たなかったなんて……。
「心得ている。でも、仲間を置いて1人逃げるなんて私にはできない」
アストリアは力強く手を握り込んだ。
(アストリアらしいな……)
清廉で、責任感が強い。
何より仲間思い。
1人なっても絶望せず、愚直に前を向いて、第9層で応援を待つ仲間を助けに行こうとしていたアストリア・グーデルレインだ。
なら、僕はどうするべきか……。
ここでラナンの味方をして、『ウィンドホーン』で脱出する。
たぶん、それが賢い方法だろう。
今、アストリアの顔には呪いの仮面はないけれど、第1層に戻ればまた王宮を追放された僕と出会うかもしれない。
でも忘れてはいけない。
僕が過去に来たのはアストリアとその『円卓』を救うためだ。
もし実行すれば、アストリアに会えなくなるかもしれない。
それどころか、現在に戻ればアストリアは僕のことを忘れている可能性だってある。
いや、気にかけられさえしないだろう。
でも――――。
仮面の下で見た彼女の涙を見るより、ずっとマシに思えた。
(ごめん、サリア。あとでいっぱい怒られるから、今はやりたいことをやらせてもらう)
「良ければ僕も手伝います」
「君が……?」
「ちょっと! これはあたしとアストリアの問題なの! 部外者は会話に入ってこないで!」
それまで擁護してくれていたラナンが、一転して僕を糾弾する側に回る。
ガラスのようにすき取った翅を翻し、僕に詰め寄った。
「か、関係はあります。僕は……いや、僕たちは『円卓』の皆さんを助けるために駆けつけたんです」
「我々を助けるために」
「ギルドが冒険者を募って、捜索隊を出したってこと?」
アストリアもラナンも、眉間に皺を寄せる。
もうこうなっては嘘をつき通すしかない。
「はい。あなた方の救難要請を受けて」
「アストリア、そんなことをしていたの?」
「いや、私は知らない。やるとすれば、リーダーのゲヴェイムだろうが……」
思い付きで言った割には効果があったらしい。
2人してあれやこれやと推測を始める。
僕はただ議論を眺めていることしかできなかった。
「でも、我々の他に第9層まで到達できるパーティーがいるとは思えないのだが」
「いいえ。それだと、この子の出鱈目な鍵魔法も説明がつくわ。ギルドは各分野のエキスパートを募って編成したんじゃない」
「そうだな。事実、彼はダイムシャットを退け、私の仮面の呪いもあっさり解いてしまった」
なんかいい感じに信頼されたかも……。
ちょっと胸がチクッとするけど。
2人にとって、僕は鍵魔法を使う怪しい冒険者でしかないから、今はしょうがない。
「確か……。仲間がいるのよね」
「え? う、うん」
不意に質問を振られて、僕は反射的に頷いた。
「なら彼の仲間を集めることができれば、『円卓』のメンバーを助けることができるかもしれないな。それならどうだ、ラナン」
「正直に言うと反対したいけど……。引く気はないんでしょ?」
「……否定はしない」
「まったく……。ホント頑固なんだから」
「そこがいいんじゃないですか」
「「…………!」」
2人は示しを合わせたかのように僕を睨む。
しまった。つい口を滑らせてしまった。
すると、ラナンは僕の唇に張り付き、大きく引っ張る。
「なんで初対面のアストリアのことを知っているのよ!」
「す、すひはへ~ん」
「それぐらいにしてやれ、ラナン。行こう、ユーリも」
「え?」
「うん? どうした?」
「いや。いきなり呼び捨てで言われたので」
「ああ。すまない。……ふと出てしまったな。なんでだろうか」
この言葉の響きに懐かしさを感じてしまうのは……。
知らなくても、この二人はイチャイチャします。