第106話 故郷
まさに蹂躙という言葉がふさわしい。
ラバラケルに続き、シュバイセルをも腹に入れた巨大オークは倉庫の中で暴れ回る。
指揮官2人を失った“士”たちは、千々に乱れ、悲鳴を上げて逃げ惑うしかなかった。
そんな彼らにオークは容赦がない。
そもそもオークに許しを請うなど、あまりに荒唐無稽だろう。
腹の具合もある。
目の前に広がったご馳走を前にして、涎を垂らす。
その嗜虐的な表情に、兵士達はより一層震え上がった。
現在、宮廷の周りは数千規模の兵力が取り囲んでいる。
力を結集すれば、倒せないわけでもない。冒険者は時にその100分の1の戦力で挑むこともあるのだ。国の守りを司る彼らが、魔物ごときに後れを取るわけがなかった。
しかし、今彼らには虎の子である神仙術が使えない。
ただ武器を振るうだけでは、非力なエルフの軍など、オークにとっては雑兵以下――単なる餌である。
「落ち着け! お前たち!!」
声を荒らげたのは、ユーハーン王だ。
そのよく通る声に、血相を変えた兵士たちがピタリと止まる。
「お前たちは勇猛なエルフの兵士であろう。宮廷が……いや、国が乱れようとしている! 今ここで国を守らずして一体誰が守るのだ! お前たちの恋人や、子ども、妻を守るために、お前たちは武器を取る決意をしたのだろう!!」
ユーハーン王自ら、兵士を鼓舞する。
本来、カリビア神王国の兵士が武器を取るのは、獣人を虐げるためでも、まして“王”を弑逆することでもない。
己の隣人を守るためだと説くと、徐々に兵士たちは落ち着きを取り戻し始める。
王の言葉が兵士に届いたことは良いのだが、次なる悲劇が待っていた。
オークの手が王に伸びたのだ。
「ユーハーン王!!」
アストリアが飛び出す。風の聖霊の加護を受けている彼女だが、すでに魔力は空になっていた。
体力もなく、駆け出そうとした瞬間、体勢を崩す。その遅れがもう命取りだった。
「陛下!」
「“王”様!!」
揃って神仙術を使えないレキとレニも叫ぶ。
王もまた迫ってくる影に、見ていることしかできなかった。
「おおおおおおおおおおおお!!」
ユーハーンの前に1人の異形の影が現れる。
狼の頭をした獣人が踊り出ると、オークの巨手を受け止めた。
ロクセルだ。
灰狼族が歯を食いしばりながら、オークを押しとどめる。
エルフの王を、“外民”である獣人が守ったのだ。
その勇気ある行動を見て、1番驚いていたのは、ユーハーン王だった。
「ロクセル殿!」
「ぼさっとすんなや! 逃げろ!!」
ロクセルは吐き捨てる。
「すまない!!」
「リッピー!!」
「わかってるわよ!!」
ロクセルの声にリッピーが反応する。
タンと跳躍すると、オークの腕に乗った。そのまま顔付近にまで近づくと、持っていた虎の子の爆弾を取り出す。
鳥もち付きの爆弾は投げると、オークのこめかみ付近に貼り付いた。
リッピーは離脱する。
ドォン!!
重苦しい爆発音が倉庫に響いた。
溜まらずオークは仰け反る。
一方、ロクセルはオークの巨手にかかった力が抜けたと判断した。
そのままユーハーン王を担ぐ。
「逃げるで!!」
声を荒らげる。
「ロクセル殿?」
「折角、士気を上げたところで悪いけど、今あいつを倒す手立てはない。エルフが束になってかかったところで勝てへんわ、あんなん」
ロクセルは振り返る。オークは生きていた。
顔に諸に爆発を受けていたのに、未だピンピンしている。いや、より一層ヘイトを買ったらしく、手足をジタバタさせながら怒りを露わにしていた。
「ダメだ!。あれだけの爆薬では、オークは倒せない。もっと爆薬があれば」
「陛下、宮廷に火薬庫はないのですか?」
ロクセルに担がれたユーハーン王に対して、エイリナ姫が質問する。
「東だ! ここから反対側に火薬庫がある」
「よりにもよって、反対かいな!!」
ロクセルは頭を抱えた。
「いえ! あります!!」
と言ったのは兵武省の兵士だった。
倉庫の一角を指差す。
「シュバイセル殿が密かに集めていた爆薬が、あそこに」
「なんで火薬がここに……」
「おそらくですが、シュバイセルは気付いていたのでしょう。あのオークが生きていたことに……」
「ん? 話が見えないのだが……」
事情を知らないユーハーン王は、首を捻る。
「詳しい話は後で。今はとにかく爆薬がある方へ、オークを移動させることが先決です」
見る限り火薬の量は決して多いというわけではない。
オークの巨体を吹き飛ばせるか否かは、微妙なところだ。
ならば、最大威力を食らわせる場所まで誘導する必要がある。
「それもそうやけど、あの爆薬に着火させるのは、どうするんや!!」
「あたしがやるわ。1発だけ残ってる」
エイリナ姫が砲杖の弾を掲げて見せた。
「ならば、私が誘導役をしよう」
アストリアが手を挙げる。
「アホぉ……。あんた、ボロボロやろ?」
「そうよ。アストリア、もう【風砕・螺旋剣】は撃てないんでしょ?」
皆が激論を繰り広げる中、ついにオークはアストリアたちを指向する。
身体を揺らし、地響きを立てて迫ってきた
「ああ! 面倒くさい! もうこうなったら大盤振る舞いや! わいがやる!」
言うや否や、ロクセルの身体が膨れ上がった。
着ていた服が忽ち破ける。モコッとした灰色の毛が露わになると、人間の背丈よりも大きな大狼へと変化した。
「ロクセル!!」
リッピーが叫ぶ。
狼と化したロクセルは、ギロリと睨んだ。
「心配すんな、リッピー! さあ、いくで!! 姫さん、ええか!!」
「え……。ええ!! いつでも良いわよ」
エイリナ姫は構える。
その横でロクセルが駆け出した。
誇りっぽい倉庫の中を駆け抜けていくと、オークに接敵する。
その素早い動きに、オークはまるでついていけない。
捕まえようと伸ばした巨手を、逆にロクセルはスロープのように駆け上がると、オークの喉元に噛みついた。
すでにオークの【閉めろ】は解けている。
その獰猛な牙は深く肉に食い込み、魔物の返り血がロクセルの毛を青く染めた。
『おおおおおおおおおお!!』
オークは溜まらず悲鳴を上げる。
仰け反ると、ロクセルは強く押し込み、火薬がある方へと押し倒した。
それを確認すると、ロクセルは顔を上げる。
「逃げぇ!!」
声を上げる。
ユーリを担いだアストリアとリッピーがオークに背を向け、ユーハーン王は、レキとレニに手を引かれながら、倉庫を脱出する。
ロクセルも地を蹴って逃げると、砲杖を構えていたエイリナ姫の側を横切った。
「終わりよ!!」
銃把を引く。
魔法の弾丸が倉庫を一閃し、火薬に火を付けた。
ドォォオオオオオオオオオオンンンンンンンンンンン!!
凄まじい衝撃破が倉庫の屋根と壁の一部を吹き飛ばす。
爆煙にエイリナ姫は巻き込まれたが、間一髪アストリアに受け止められた。
「やった?」
エイリナ姫は顔を上げて、戦果を確認する。
他の者たちも固唾を呑んで見守っていた。
聞こえてくるのは鈍い轟音。
屋根の梁が落ち、倉庫の中で響いていた。
生物の気配はない――と思われた。
再び爆発音が響く。倉庫の屋根がついに吹き飛んだ。
煙の中から現れたのは、やはりオークだ。
顔面から胸の辺りまで、赤く腫れ上がり、一部炭化している。
片目が吹き飛び、頭の皮膚が捲れ上がった、頭蓋が見えていた。
それでもオークは生きている。喉を鳴らす音が、まるで呪詛を刻むように周囲の空気を震わせた。
「くっそ! どんだけ体力あんねん、あいつ!!」
シュバイセルはとんでもない置き土産を置いていったらしい。
万策尽きた。今のアストリアたちができることは撤退し、魔力の回復を図って、オークを倒すしかない。
その間、どれだけの被害が出るかわからないが……。
「くっ!!」
アストリアは剣を抜く。
たとえそれが致し方ない犠牲だとしても、看過はできない。
S級冒険者として、自分の限界のさらに限界を極めたパートナーに報いるために、アストリアは最後まで反攻すると決めた。
それにここは、自分の故郷なのだ。
折角、この美しい森がさらに美しく生まれ変わろうとしているのだ。
それを魔物1匹のせいで潰されるわけにはいかない。
「アストリア!」
「アホぉ!」
「ここは逃げの一手でしょ」
「アストリア殿……」
皆が彼女を止める。
だが、アストリアは止まらない。
オークが自分を指向し、狙おうとも、反撃の糸口を必死にたぐり寄せようとした。
「おおおおおおおおお!!」
裂帛の気合いを吐き出す。
その時、不意に声が聞こえた。
「全身――――」
【閉めろ】!
アストリアが気が付いた時には、オークの巨手は止まっていた。
口を大きく開け、焦げ臭いにおいを漂わせている。
「アストリア、無茶はダメだよ」
振り返る。
そこに立っていたのは、ユーリだった。
ついに決着です。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もし良かったら、拙作『「ククク…。奴は四天王の中でも最弱」と解雇された俺、なぜか勇者と聖女の師匠になる』も読んで下さい。只今ほぼ毎日更新中です。よろしくお願いします。