〜物語の主人公4〜
場面は変わり
授業を終えた大夢は
いつものように菊地探偵事務所を訪れていた
「お疲れ様です……」
部屋の中には、いつもの面々が揃っていた
デスクワークに勤しむ伊織と
ソファでスマホを弄りながらくつろぐ隼人
そんな2人を横目に
大夢は自分のデスクへと座った
席に着くとパソコンを立ち上げ
仕事の準備をしている
その最中
ふと、何かに気づいたのか
思い出した様に呟いた
「あれ?………
隼人さん…今日休みなんじゃ……」
ソファーの隼人を見て、そう疑問を投げ掛けた大夢
その疑問に答えたのは、何故か伊織だ
「寂しい寂しい独り身だからここに居んのよっ……
いいわよねぇ~っ……暇人って……」
すると、ソファの隼人は視線を合わせず答えた
「先輩の事っすよねぇ~……独り身って……」
隼人の言葉で、即座に怒り狂う伊織
「誰が独り身だぁっ!!……今は充電中なだけっ!!……」
そのスピードは最早、反射に近い
大夢は「いつものことか」と
そっと伊織を宥めた
「伊織さんは早く仕事して下さい……
……怒ってる暇ないですから……」
伊織が自分から煽りに行っていた様にも見えたが
どうやら興奮は収まらなかった様だ
「あいつが居るせいで集中出来ないんだってっ!!……」
3人が、いつもの日常を繰り広げていると
徐ろに事務所の扉が開いた
「………それは頂けないな………伊織……」
聞き慣れない女性の声に
3人の目が事務所入り口へと集まる
ゆっくりとした足取りで事務所の入り口から現れたのは
170cm近くある、スラッと伸びた長身スタイルに
白のパンツとTシャツ、ジャケットを着こなした
キャリアウーマン風の女性
整った綺麗な顔立ちに
ショートボブの黒髪と、赤縁の大きなメガネが特徴的だ
赤縁メガネの女性に目が止まった伊織と隼人は
一目散に女性の下へ駆け寄った
伊織より先に動き出したのは隼人
「来たっ!!……」
目を爛々と輝かせ、手前のソファを飛び越えると
なぜか、現れた赤縁メガネの女性へ
渾身の左ストレートを繰り出していた
一同驚愕の突然の一撃
ソファーを飛び越えてからの間合いの詰め方や
左ストレートを繰り出すまでの動きに迷いはなく
流れる様な体捌きから
本気で殴り倒すオーラを感じた
だが、次の瞬間だった
赤縁メガネの女性は
迫り来る左ストレートをギリギリで見切り躱すと同時に
踏み込んだ隼人の右足へ足払いを仕掛け
躱した左ストレートの脇から隼人の左肩を
サッと片手で上から抑え込む
流れる様な一連の動き
まるで合気道の様に、相手の力を受け流し
見事に隼人の身体は空中で半回転した
一瞬の出来事だった
訳も分からないまま、仰向けに倒れていた隼人
隼人の性格だ
青天井を喰らい、悔しがっているのかと思えば
何故か清々しい表情を浮かべていた
「くそぉ~っ……やっぱまだ勝てねぇか……」
赤縁メガネの女性は
顔色一つ変えず淡々と答えた
「甘いな……
奇襲なら柱の影に隠れて、背後から襲うべきだ……」
赤縁メガネの女性がそう言うと
遅れて伊織が辿り着いた
「いきなり何するかと思えば……
詩音さん来るから待ってた訳ね……
このストーカー……」
ひっくり返った状態から身体を起こし
反論する隼人
「詩音さんにストーカーとかできねぇしっ…‥強過ぎて……
分かってないっすねぇ〜…先輩はっ……
だからいつまで経っても仕事終わんないんすよっ……」
煽り100%の隼人に
伊織はまたしても食って掛かっていた
「はぁ?!!……
ストーカーと仕事、関係ないでしょうがっ!!……」
「探偵なんで……関係大アリっすけど?……」
「この野郎〜っ!!……変な揚げ足取んなっ!!……」
口論する2人
いつもの事だ
だが赤縁メガネの女性は
仲裁する訳でもなく
喧嘩する2人の間をスタスタと通り抜けた
目の前を通り過ぎる姿に、2人の口論は止み
赤縁メガネの女性の動向を自然と目で追っていた
赤縁メガネの女性はスタスタとデスクの方へ
そして、仕事をする大夢へ近づく
大夢の横に立つと耳元まで顔を近づけ
耳打ちする様にそっと囁いた
「大夢は出迎えてくれないのか?……」
大夢は何故か目を合わせず答えた
「…‥出迎える必要ありますか?……」
手はカタカタとキーボード入力で動いている
赤縁メガネの女性はお構いなしに話を続けた
「出張から帰って来たんだ……
久しぶりに相手してくれてもいいだろ?……」
「いや、相手って……」
その時だった
大夢の制服のネクタイを
赤縁メガネの女性がグイッと引っ張り
強引に視線を合わせに来た
不本意な形だが、目と目が合った
ただ、気になるのはその距離感だ
今にもキスを迫る様な雰囲気と距離感で
無表情だが、整った綺麗な顔立ちの女性が
大夢の視界を埋め尽くす
きょっ、距離感っ!!……
メガネの奥に見える真剣な眼差しと
纏う妖艶な雰囲気
視界の中の赤縁メガネの女性は、そっと囁く
「ここじゃ何だ……2人っきりになれる所が良い……」
そう言って、真っ直ぐに捉える視線に
大夢は焦りを隠せない
「ちょっ…‥何言ってんですか?……」
「私はここでも良いが?……」
「本当に…‥何言ってます?……」
「私の口から言わせるのか?……
……罪な男だなぁ……」
「いやっ…そうじゃなくてですね……」
会話の最中
赤縁メガネの女性は
掴んでいたネクタイをパッと手放した
「え?……」
手放した瞬間
無重力を感じる大夢
「うぉ〜っ!!……」
驚きと悲鳴を上げ
大夢は椅子ごと綺麗なバックドロップを喰らっていた
床に後頭部を打ち付け、痛みに堪える大夢
それを見下ろしながら
無表情のまま呟く赤縁メガネの女性
「これぐらいの色仕掛けで……
自分の状況にも気付けないとは……
………危機感と注意力が足りてないな……」
大夢は床で悶絶しながら
女性の事を睨みつけていた
本当っ!!この人はぁ〜っ!!………
……だから嫌いなんだっ!!………
この女性の名前は
鳴瀬 詩音 29歳
菊地探偵事務所の創設メンバーの1人だ
創設時からじいちゃんの右腕として働いている
ただ、昔から居る存在だけど謎が多い人物だ
じいちゃんに頼まれてどんな仕事をしているのかも
詳細は一切不明
たまに事務所に戻って来ては、何件か仕事をこなし
また別の仕事で出張へ行く、それの繰り返し
まさに謎だらけの人物だ
分かっている事は
隼人さんに格闘術を教え
伊織さんには潜入・調査に使う
あらゆる技術を叩き込んだ
2人にとっては師匠的存在
何でも出来る完璧人間のイメージが強い
遠巻きに大夢を揶揄う詩音を見て
ヒソヒソと噂話をする隼人と伊織
「いやぁ……
免疫のない大夢に、あの迫り方ってのはねぇ……
強引過ぎだけど、効果覿面だし……」
「揶揄ってるのか、本気でそう思ってるのか……
詩音さんいつも無表情だから……
分かりにくいのよねぇ……」
ヒソヒソを話す2人
だが、ふと何かの気配を感じた
徐ろに、2人同時に振り返る
すると、2人の背後には、紺色の上下スーツ姿に
目が隠れるほどの黒髪パーマが特徴的な
170cm前後の男性の姿があった
「あぁ……大夢君…………可哀想に……」
まるで亡霊の様な存在感の無さ
怨念めいた声色でそう呟く
2人にしてみれば全く気付かず
背後に人が立っている
これ以上怖い状況があるだろうか
隼人、伊織の2人は同時に悲鳴を上げた
「うぉ〜っ!!!!……」
「いやぁーっ!!……」
腰の砕けた伊織は恐怖からか
犬猿の仲である隼人にすら
しがみついていた程の恐怖だった
隼人は焦りながら呟く
「詩音さんと帰って来てるなら……
一緒に入って来て下さいよ〜……」
隼人を杖代わりに何とか姿勢を保つ伊織も
震える声で意見を出す
「こっ、怖すぎるから……
背後はダメっていつも言ってるじゃないですかっ……」
2人に詰め寄られ
黒髪パーマの男性は入り口付近の柱に頭を付けながら
酷く落ち込んでしまった
あからさまなショックを受け
消え入りそうな声で呟く
「…………一緒に入ったんだけどなぁ……
まさか誰も気付いて無いとは思わなくてさぁ………
……なんか、ごめんね………生きてて……」
余りの落ち込み様に
詰め寄った隼人と伊織は
申し訳ない気持ちで溢れていた
居たんだ………
居てたのね……
痛みに悶えながら
遠巻きに隼人達の様子を見ていた大夢
相変わらずだなぁ……音無さん……
柱の前で酷く落ち込むこの人の名は
音無 静 32歳
詩音さんと同じ、創設メンバーの1人だ
主に仕事は裏方が多くて
全員のスケジュール管理や報告書記録の保管
高いPCスキルやメカニックに強い技術力から
録音、録画、証拠映像の解析に端末機器の調整などなど
探偵事務所を運営していくに辺り
必要な事務を一手に担っていて
無くてはならない、縁の下の力持ち的な存在なのだ
………が……
圧倒的に存在感が薄い
少し残念な人ではある
大夢が身体を起こしていると
詩音は落ち込む音無に問い掛ける
「居たなら声掛けてくれ……私も分からなかったぞ?……」
トドメの一撃の様だ
柱の前に居たはずの音無の姿が
砂の様に崩れていく
慌てて隼人と伊織がフォローしていた
「ちょっ!!……崩れてる崩れてるっ!!……
音無さん、人間に戻って来てくれってっ!!……」
「詩音さん……トドメ刺したらダメですってぇ……」
だが詩音は無表情のまま淡々と答えた
「さすがだ………
私に気付かれる事なく背後を取れるとは……
一切無い存在感は侮れんな……」
最早や、音無が人間に戻ることは
もう無いだろう
一悶着あったが
その後、代表の茂樹も合流
新たに2人を迎えた菊地探偵事務所
全メンバーが集結した
時は刻々と過ぎていき
時刻は20時を迎える
大夢は音無に
データの確認をしてもらっていた
「音無さん……今月の経理報告書です……
後は証拠写真の整理と録音データの文字起こしも
共有フォルダに入れておいたので、後で確認お願いします…」
音無は少し離れた位置のデスクで
自分のノートパソコン、備え付けのダブルディスプレイ
タブレット端末を起動しながら
何やら色々と仕事をこなしている様子だった
「早いね…‥助かるよ……」
「後、手伝えそうなものあります?……」
「そうだなぁ………あるにはあるんだけど……
もう良い時間だし……今日は上がって良いよ〜……」
時計を確認し
20時過ぎだと気付いた大夢
「………そうですね……そうします……」
2人が事務仕事をしながら報連相を重ねていると
奥の会議室で打ち合わせを終えた
茂樹、詩音、伊織、隼人の4人が
姿を現した
大夢はあくまで事務員としてアルバイトしている
主な業務は音無の手伝いが多い
調査員として尾行や張り込みなどを手伝う事もあるが
天秤の時の様に
飛び込みの依頼を受けるのは稀である
戻って来た茂樹は大夢の方へ
「大夢……
痴漢ビジネスの案件だが、詩音を付ける……
これが条件だな………」
「大丈夫なんだ……」
「くれぐれも言うが、危険な行動はするなよ?……
大誠と愛夢さんに顔合わせる顔がない……」
「もう、大丈夫だから……充分理解してるよ……」
2人が会話する間に
スゥーっと詩音が入って来た
「茂樹さんは甘い………
これは警察の領分だ……」
大夢はその言葉の意味を理解していた
「分かってます……」
「なら良い………線引きを間違えるなよ?……」
「それも…‥分かってます……」
今回の打ち合わせの中に
大夢から提案していた案件がある
今日の理智高等学校の屋上であった相談の件で
小麦肌の女子生徒から正式に探偵として依頼を受けていたのだ
内容は身辺調査と情報収集
そして、あるデータの奪還だった
小麦肌の女子生徒の名は
望月 千代 16歳
現状、彼女から引き出している情報は以下の通り
大夢が捕まえた
痴漢ビジネス首謀者のあの男の名は
織田 信広 21歳
現役大学生の様で
当時ナンパされて関係を持った男とは別の男だそう
どうやら何人かの組織的なグループが背後にある様子で
裏に広がる背景の情報収集とその身辺調査を行い
グループの全貌を掴む事から始める事になりそうだ
そして、今回の依頼のゴールである、あるデータとは
彼女のポルノ映像が入った映像データになる
それの回収か消去
それが依頼完了までの全概要だった
荷物をまとめ
事務所のメンバーに退勤の挨拶を行うと
帰路に着く大夢
鉄製の階段を下り
いつも通り、スマホを見つめ考え事をしながら
駅に向かって歩いていた
だが、この時の彼は気づいていなかった
事務所近くに止まる1台の乗用車
そこから向けられる4つの視線と車内での会話に
「あいつだよな……言ってたの……」
「写真と同じ顔だ……」
「じゃあ間違いないねぇ……いつやんの?……」
「まぁ、焦んな………じっくりやるさ……」
大夢が通り過ぎた後
その乗用車は別方向へと走り去ってしまった




