〜始まりの日2〜
時は1週間前に遡る
こんな濃い1日になるとは
夢にも思わなかった平日の午後
その日は創立記念日で
大夢達が通う理智高等学校は休校日だった
高2になってから、まだ1ヶ月弱
早過ぎる中休みを利用し、大夢と月咲の2人は
クラスメイト達と1日中遊んでいた
そんな楽しい楽しい休日の帰り道
ある事件は起こった
辺りの陽は落ち、空には月が昇る
大夢と月咲、2人の乗るバスは
自宅近くのバス停へ向け、住宅街をひた走っていた
バスの後部座席では
月咲が楽しそうにはしゃいでいた
「あー、楽しかったぁ~っ!!……」
2人しか居ない、貸切状態のバス最後尾
楽しげな月咲の隣で
ドス黒い負のオーラを纏っていたのは大夢だった
大夢はバスに揺られながら
自分の財布を広げ、悲しそうな目で中を見つめていた
「……全然、楽しくない………」
隣で落ち込む大夢を
月咲はケラケラと笑いながらバカにしていた
「意地張って、何回も挑むからじゃ〜んっ!!……
運動音痴のクセにぃ……」
大夢は隣で高笑いする月咲を
キリッと睨みつけた
それもそのはず
この財布の中身を奪った張本人が
隣でヘラヘラと笑っているのだから
大夢と月咲
2人を含めた仲良し5人組
今日はその5人で
複数のスポーツが同時に楽しめるアドベンチャー施設で
この休日を過ごしていた
サッカー、バスケ、テニスに野球
様々なスポーツを楽しめる複合施設
しかし、大夢には1つ大きな問題があった
それは運動能力
そのレベルは同学年からすると底辺に近い水準で
小学校低学年レベルの運動能力に匹敵する
ここから先は単純な話だ
大夢の負けん気が、人一倍強かっただけのこと
バスの最後尾では
後悔の念から暗い表情を浮かべ、うな垂れる大夢
皆と別れてから
ずっと暗い表情の大夢を見るに見兼ねて
月咲はそっと励まし始めた
「まぁまぁ大夢〜……元気出しなってぇ〜……」
月咲の優しい呼び掛けにも
今の大夢には響かない
暗黒世界から、なかなか戻って来れなかった
その後、月咲が幾重にも励ましを重ねてみるが
大夢の心が晴れることはなかった
諦めた月咲は、ため息を一つ吐き
外の景色を眺める事にした
……せっかく励ましてんのにぃ………根暗マンめ……
そんな時だった
バスの降車音が車内に響き渡った
突然鳴り響いた降車音に顔を上げる大夢
それもそのはず
大夢と月咲
バスに乗っているのはこの2人しかいないのだから
自ずと、ボタンを押した存在が明白になった
大夢は困惑していた
何故なら、2人が降車する予定のバス停は
随分と先にあるからだ
大夢が困惑していると
隣で血相を変えた月咲が、いきなり声を荒げた
「運転手さんっ!!……
ここでいいんで今すぐ降ろして下さいっ!!……」
月咲の鬼気迫る様に気圧され
運転手が無線で答えた
〔ココでよろしいんですか?〕
「いいから早くっ!!……ヤバいからっ!!……」
運転手は少し不機嫌そうにバスを停車させた
止まると同時に走り出す月咲
定期を運転手に見せ
颯爽とバスを飛び降りてしまった
飛び降りた勢いそのままに
来た道を逆走していく月咲
そのスピードは、とても女子高生とは思えない
まるで陸上選手の様だ
突然の奇行に呆気にとられていた大夢
バスの車窓から
目の前を走り去って行くその姿を
ただただ眺めていた
「………さすが、バスケ部期待のエース……」
初めて見たな……バスをタクシーみたいに使う人……
一方
大夢を置き去りにバスを飛び出した月咲は
快足を飛ばし、住宅街を走り抜けていた
息切れする事なく走り続ける月咲
確か……そこの角を曲がったとこに……
バスを停車させてから1分が過ぎた
全力疾走のまま
曲がった角の先に見えたのは小さな公園
ガードレールを飛び越え
迷う事無く、その公園へ足を踏み入れた
敷地内を駆け抜ける月咲
公園隅の公衆トイレ前で立ち止まると
月咲は怒鳴り声を上げた
「何やってんのっ!!……」
月咲が向けた視線の先には
トイレ脇に設置されたゴミ置場が見える
そして、その前で蠢く1つの人影も見えた
その人影は月咲の声に驚いたのか
慌てて動きを止めた
月咲は怯む事なく
ズカズカとその人影に近づいて行った
「さっきからコソコソと……
何やってんの?…って聞いてんだけど……」
近づくに連つれ公衆トイレの明かりで
段々とハッキリとしていくシルエット
高級そうなスーツに綺麗な革靴
右手に金の腕時計を付けた
いかにも金持ちそうな中年男性がそこには居た
それだけなら
繁華街に行けば、似たような人間には出会えるだろう
しかしその手には、場違いな物が握られていた
中年男性の姿を完璧に捉えた所で
月咲が再び怒鳴り声を上げた
「それ、ガソリンでしょっ?……
何する気かって聞いてんのっ!!……答えなよっ!!……」
そう、その中年男性の手には
赤いポリタンクが握られていたのだ
今まさにその中身をゴミ置場へ振り撒いていた
月咲に見つかり
動揺から動きを止めていた中年男性
しかし次の瞬間
男は発狂しながら
ポリタンク片手に月咲へ襲い掛かって来た
「うぅっ、うわぁ~~~っ!!……」
普通に見れば危機的状況
だが、月咲に慌てる素振りは無かった
1年ぶりくらいか……大丈夫よね……
中年男性が振り下ろす、ガソリン入りのポリタンク
プラスチックのポリタンクとはいえ
中身が残っていれば重量もそこそにある
直撃すれば危険な事は明白だ
だが、月咲は臆することなく
自然と戦闘態勢に入っていた
やや左上部から振り下ろされる赤いポリタンクに対し
素早い反応を見せた月咲
最小限の動きで攻撃を見切り躱すと
流れる様に強烈な回し蹴りを男の腹部に1発
カウンター気味に入った回し蹴りに男が怯んだ所へ
勢いそのままに右ストレートを放った
よろけた男の顎を綺麗に捉えたトドメの一撃
急所に入ったのか
男はフラフラとその場に倒れていった
完璧な手応えを感じ、倒れた男を前に一礼する月咲
「押忍ッ!!」
ブランクあったから不安だったけど……
意外と鈍ってなかったなぁ……
綺麗に決まった反撃に
一礼のまま感心していた
そんな時
突然、後ろから男の声で怒号が飛んで来た
「バカッ!!…気ぃ抜くなっ!!……」
ん?……
その怒号に顔を上げた月咲
目に映ったのは、フラフラになりながらも
ポリタンクの中身を自分へ振り撒こうとする
中年男性の姿が
え?……
予期せぬ出来事に
月咲の体は硬直して動かない
………どうしよ……身体が……
そんな時
月咲の後ろ襟を掴む手が1つ
中年男性がガソリンを振り撒く中
後ろへと引き倒された月咲はバランスを崩し
そのまま地面に倒されてしまった
倒れる最中
自分と入れ替わる様に現れた人影に目を奪われる
そこには
自分を庇う様に現れた大夢の姿があった
バシャバシャと水の音が耳に残る
自分の代わりに浴びたガソリンで
大夢の服と髪はビショビショだ
唖然とする月咲
…………大夢が……そんな……
固まって動けない月咲を置いて
状況は刻々と変化していく
空になったポリタンクを投げ捨て
ジッポライターに持ち替えた中年男性
揺らめく炎を大夢へと突き出し
じりじりと迫っていた
大夢もその炎を見つめ、臨戦態勢だ
目の前に広がる光景に
上手く言葉が出ない月咲
………ウソ……
ふと、最悪の状況が脳裏に浮かんだ
全身を炎で焼かれ、悶え苦しむ大夢
それを見つめる事しか出来ない自分
放心状態の月咲
しかし、大夢の怒号でハッと目を覚ました
「月咲っ!!」
怒号で我に返った月咲
一瞬、大夢と目が合った
何かを訴えかけるその目に引き込まれる月咲
一方、大夢は揺らめく炎に集中していた
まだ相手には……
月咲のダメージが残ってるみたいだな……
大夢の言う通り
中年男性の足元は少し頼りない
大夢は再び観察を始める
このまま逃げるか……それが1番の安全策だが……
だが、この時
大夢の脳裏には背後で動けない月咲の姿が浮かんだ
……ダメか……落ち着け……集中しろ……
…………今、ここでやるんだ……
思い出せ……じいちゃんに習った事を……
暗示をかける様に自分に言い聞かせる大夢
覚悟を決め
ジッポを持つ中年男性の手に全神経を集中させた
その刹那
奇声と共に中年男性が
大夢へ向かって走り出した
揺らめく炎を突き出して
それに呼応する様に、大夢は低い体勢を取ると
恐れる事なく一歩前へと足を踏み出した
一瞬の出来事だった
大夢は
ジッポライターを握る中年男性の手首を掴むと
そのまま素早く身をよじらせ、相手の懐へと入り込む
相手の突進の勢いを利用して
華麗に背負い投げを決めた
上手く決まったかのように見えた背負い投げ
しかし、投げの途中
中年男性が持っていたライターの火が
頬のギリギリ横をかすめた
あぶなっ……
焦った大夢の手が
反射的に中年男性の腕を離してしまった
放り投げられる形で
地面を転がり、痛みに悶える中年男性
大夢も慌てて腕を離してしまったことで体制が崩れ
その場に尻餅をついていた
すると、倒れた中年男性は痛みに悶えながらも
最後の抵抗を見せた
無作為にジッポライターを
大夢へ向かって投げつけたのだ
薄暗い公園にジッポライターの火がユラユラと舞い
倒れた大夢に向かって飛んで来る
ライターの光に目を奪われた大夢
………ヤバ……
意識はあるのに身体が動かない
ライターの火が目の前に迫った時
これが走馬灯だと気付いた
………意外と短い人生だったな……
諦めかけた次の瞬間
目の前にあるライター火がフッと消えた
驚きを隠せないでいると
次に目に止まったのは月咲の姿だった
それを見て、大夢は思わず呟いた
「…………上出来だ……」
……死んだと思った……
大夢の目の前には
空中を漂うジッポライターを蹴り飛ばす
月咲の姿が映っていた
目の前から危機が去り、安堵する大夢
そんな大夢の下へ
月咲が心配そうな顔で駆け寄って来た
「大夢っ!!怪我無い?……」
「あぁ……それよりも……」
「本当に本当っ?!!……
腕折れてるとか、脱臼とかは?……」
「大丈夫だ……そっ……」
「ガソリンでビチャビチャじゃんっ!!……
風邪引くから着替えた方が……」
「だ~か~ら~……」
「あーっ!!もうどうしよっ!!……
タオルとか持ってないって~っ!!私~っ!!……」
見るからに慌てている月咲
全く話が噛み合わない
ついに、大夢は我慢の限界を迎えた
「うろたえるなっ!!」
「はひっ!!……」
このままではラチがあかないので軽く一喝する
固まる月咲に端的な指示を出した
「まず、警察に電話っ!!……
あと、あいつから目を離すなっ……」
「………」
指示を出したにも関わらず固まっている月咲に
再び喝を入れた
「早くしろっ!!……」
「はっ、はぃっ!!……」
大夢の怒号に
やっと動き出した月咲
スマホを取り出すと警察に連絡していた
慌てながら警察に連絡する月咲を見つめ
大夢は、ため息が出た
たくっ……勇敢なんだか、ビビりなんだか……
ハッキリしろ……
しかし、まだ問題は残っている
月咲への説教はそれくらいに
大夢は再び臨戦体制に入っていた
起き上がってくるであろう中年男性の為に
だが、危惧する大夢を尻目に
予想外の事態が現場では起こっていた