召喚の儀
街の中心からやや外れた位置にある、窓一つない半球型の建物。白地に金の文様をところどころに施したそれが、召喚の儀が執り行われる会場だった。
今日、その周辺は数えきれないほど多くの皇国兵が防備を固めている。彼らは長い銃で武装し、黒光りする鎧で全身を覆い、ピリピリした緊張感を放っている。
ふと空を見上げると、目の覚めるような青の中で、騎乗用ワイバーンやら小型武装ドラゴンやらが飛び交っていた。
皇国の空軍である。首都直上をこれだけの数飛び回っているのは珍しい。
そんな光景を眺めながら、私、アザストリ家長女のリエル=トルフは、下級神官に連れられて会場入り口前までやってきたのだ。
門前の皇国兵と神官が簡単に確認を済ませ、開かれた門の中へと入る。こういう時だけは私も名家の血筋なんだなあ……という気分にさせられた。
建物の中はこれまた真っ白。壁も、石畳も、長椅子も、柱も、何もかもが全部白く塗り固められている。方々に刻まれているのは金色の文様。これらが強度補正魔法を発揮し、建物自体の強度をより高めている……らしい。理論は分かっても、実際に使えない私にとって、治癒以外の魔法はよく分からない代物だ。未知の言語で書かれた詩となんら変わりない。
部屋の中央付近には神官が数十人集まっている。皆、金の首飾りを下げた上級神官ばかり。更には絢爛豪華なローブとカラフルな冠を被った皇帝直属高位神官までいた。位の高い神官がこれほど集まるのは恐らく、皇帝陛下の誕生日を除けばこの召喚の儀くらいに違いない。
並べられた長椅子にはみっしりと魔法使いたちが座らされている。橙ローブを着ている者は皆白紋だ。黒紋は私しか居ない。他に一人ぐらい私みたいな奴がいれば良かったのに。
この魔法使いたちの中から『召喚されし者』の付き人として何人か選出されるという話だった。選ばれた者の家には、皇国が今後様々な支援や優遇政策を行うとかナントカカントカ。私にはまるで関係のないことだし、詳細はうろ覚えだ。
「リエル=トルフ様はこちらでお待ちください」
ここまで連れてきた神官が席の空いている長椅子を示す。正装ではない、赤いドレスを着た魔女の横だ。肘がぶつからないよう注意しながら座る。
その時、その赤いドレスの魔女が声をかけてきた。
「あらまあ、誰かと思えば」
私は目線をその魔女に向ける。
後頭部で結い上げた美しい金髪。燃えるような橙色の鋭い瞳。異性を誘うかの如く大胆に曝け出した胸元。その中心で光る洒落た金製円形プレート。
あれっ? この魔女、どこかで見たことがあるなあ。ええっと……。
「ふふっ。『お医者様』のリエル=トルフじゃない」
その魔女は、私のことを鼻で笑った。
うげ、うげげげ。嫌な奴の隣に座ってしまった。
この嫌味なスケベ魔女の名は『ガーネ=トット・クー・マイニュカッセ』。
アザストリ家と祖先を同じくするマイニュカッセ家出身。私と同世代の、若きエリートだ。祖父から数えて三代に渡り、戦争技術や兵器の開発に携わっているという、筋金入りの戦闘特化型魔女。まあ、エリートといっても、アザストリ家のトップレベルに比べれば格は落ちる。
……私はどっちとも全然比較にならないくらい下の下の下だけど。
彼女のことを知ったのは学校を卒業した際の合同パーティ会場でのこと。近しい家柄同士で集まった際に、私に面と向かって開口一番『お医者様』呼ばわりをかまし、集まりから蹴り出したのだ。その時ガーネが見せた嫌味な表情ははっきりと覚えている。あー、今思い返しても腹立たしい。
「お、お久しぶり、です。ガーネ=トットさん」
「あら。あなたにさん付けされる筋合いはないわ。もっと敬ってくださる?」
「あ、えー……ガーネ=トット様?」
「そうね。それくらいは常識よ」
満足したのか、ガーネはにんまり笑いながら視線を外す。気がつくと、周囲でクスクスという笑い声が微かに起こっていた。かっ、と顔が熱くなるのを感じ、私は顔を上げられなくなる。
ああ、もう! ハラワタが煮えくりかえるような思いだ。ガーネを見返してやるには……これからのアザストリ家の子孫に期待する、とか?
少なくとも、私じゃ天地がひっくり返っても見返すなんて絶対無理だろう。これだけは確信に値するものだった。悔しいなあ。
「皆様。今日はよくお集まり下さりました」
年老いた男神官の声がする。儀式が始まるようだ。が、今はその、ちょっと。目元から水が垂れそうで顔が上げられない。
「今から行われる儀式は召喚の儀といい──」
「召喚されし者は類稀な力を持ち──」
「皆様の中から召喚されし者の援助者を選び──」
あー、よかった。知ってる話ばっかりだ。召喚されるまで下を見ておこう。
しかし、これがもう、とんでもなく長いのだった。複数の神官が入れ替わり立ち替わりペラペラペラペラと喋り続ける。やれ召喚の儀は神々から授けられた秘術だの、やれ起源がはっきりしていない謎の術だの……どうでもいいことばかり。歴史的には重要なのだろうが、どうせ関係ない私にとっては本当に苦痛でしかなかった。頼むから早く終わってほしい。
神官の話が終わったのは、気分も落ち着き、涙もすっかり引っ込んだ頃合いだった。タイミング的にはちょうど良かったが、代わりに体力を著しく消耗した気分である。周りの魔法使いたちもどこか疲弊した雰囲気を漂わせている。
ふと隣のガーネの顔を見ると、彼女も少しイラついたような表情を見せていた。嫌いな相手の不満そうな顔が見れて、ちょっとだけ気分が良くなる。
はあ、私って嫌な奴だ。
「それでは、これから召喚の儀を始めさせて頂きます」
魔法使いたちが少しばかりざわつきを見せる。初めての召喚の儀を目の前で見られるとなると、やはり興奮する者もいるのだろう。気持ちは分かるし、実際関係ないつもりでいる私もちょっと気になっている。という訳で床を眺めるのをやめ、姿勢を正して神官たちの集まる部屋中央を視界に収めた。
神官たちが呪文を唱え始める。彼らの唱える召喚呪文はさっぱりわからない。魔法使いと神官の魔法は系統が隔絶してるし、そもそも使用する言語も私たちが普段使う言葉ではない。故に全く意味を読み取れないのだ。多分、今集められている魔法使いたちで、彼らの唱える呪文が理解できるのはほんの数人だけだろう。
呪文を唱える調子は徐々に高まっていく。意味はわからなくとも、儀式が終わりに近づいていることは何となく読み取れた。
はてさて、どんな存在が召喚されるのやら。神の使者みたいな神々しい存在? それとも、野蛮で粗野な悪魔みたいな存在とか? 胸をどきどきさせながら私はその時を待った。
神官たちが一斉に仰ぎ見る。フィナーレに違いない。魔法使いたちの緊張も最高に達するのを感じる。
バチンッ!
手のひらを思い切り打ち合わせた時に鳴る強烈な破裂音が、この部屋いっぱいに鳴り響いた。
「おお……」
神官たちが感嘆だか動揺だかの声を上げ、一斉に後ずさった。前列の魔法使いたちも似たような声を上げいているのが聞こえる。私はよーく目を凝らし、召喚された者の姿を把握した。
それは、周りの神官が低年齢の学生に見えるくらい背が高い男だった。
黒くてツバ部分の広い帽子。艶のない黒のマントで覆われた体。浅黒い肌に、まばらに生えた無精髭。帽子の下から覗く目は限界まで見開かれ、生気のない黒の瞳が虚空を見つめていた。
──こ、これが、この不気味な男が『召喚されし者』なの?
「死神……」
魔法使いの誰かがそう呟いたのが聞こえた。