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召喚され師  作者: 蜂八郎
誰かのためは自分のために
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落ちこぼれの魔女

 《魔道を学ぶものはまず、世界に満ち満ちる言葉へ耳を傾けなければならない──皇歴316年、魔法研究家・評論家、イゴス=ヤッツ》


 私、『リエル=トルフ・クー・アザストリ』は今再びこの一節を眺めていた。


 呪文を除いて、どんな文章よりも記憶に残るほど繰り返し見た、魔術書の冒頭一節。これを見るたびに、私は初めて魔法に触れた日のことを、まるで昨日のことのように思い出せる。

 傷を負い飛べなくなった小鳥。淀みなく唱えられる呪文。治癒の光に癒され、再び空へと飛び立つ小鳥……あの感動は決して忘れないだろう。

 

「はあ、懐かしいなあ」

「こんなところで何やってるんです、リエル=トルフ女史」


 しわがれた男性の声。私は慌てて本を閉じる。ぎこちなく首をひねって右側を見ると、すぐそこに帝国魔法図書館館長の顔があった。

 その小さな顔面は余すところなくしわくちゃで、蓄えた眉と口髭で目も口も見えない。長い年月でよれた青いローブ、その下から僅かに覗く黄ばんだシャツ。館長の証である黄金の首飾りが、天窓から差し込む陽光に照らされ煌めいた。

 私が先生、先生、と慕っていた学生の頃から何一つ変わっていない、館長先生がそこにいた。


「ああ、お久しぶりです、館長先生」


 慌てて立ち上がりながら軽く会釈する。ついでに曲がっていた肩掛けケープも裾を引っ張って直した。

 館長先生自身腰が曲がっているというのもあるが、今の私からしたら大人と子供くらいに体格差がある。この年齢の逆転した距離感がなんともいえない懐かしさを醸し出していた。


「おや、少し背が伸びたようですねえ。魔女としてのお仕事は順調ですかな」

「ええ、はい、もちろん。アザストリ家の長女として日々頑張っております」


 私は苦笑する。館長先生も顔をしかめるようにして笑顔を浮かべた。


「そうでもなさそうですな」

「えっ」

「橙に黒紋は二年前の正装でしょう。今は白紋ですよ」


 どきん。私の心臓が跳ねる。


 久々に実家から引っ張り出してきた正装用橙ローブは、とっくに規格から外れていたようだ。白いケープで覆い隠そうと無駄な努力を重ねた後、私は脱力しながら椅子に崩れ落ちる。

 ──うん。実を言うと、私の仕事はあまり順調じゃなかった。

 館長先生の青い瞳が、毛深い眉の下からちらりと垣間見えた。


「未だに治癒の魔法を使うのが精一杯?」

「……お恥ずかしながら。今は街医者様のお手伝いとか、しておりまして」

「ふぅむ」


 私は恥ずかしさのあまり顔をそらし、額が机に接するほどに深く俯く。


 そう。一応魔女であるはずの私が使える魔法は、唯一《治癒(ヒール)》だけなのである。切り傷やすり傷を治す、切断された部分の接着と治療……そういった魔法。


 火は出せない。凍らせられない。風は操れないし、土を集めることもできない。占いもダメ、記録もダメ、精霊にはことごとくそっぽを向かれる。筆記試験だけは頑張ってトップクラスを維持していたが、実技は治癒を除いて点すら貰えなかった。


 そんな私の学生時代のあだ名は『お医者様』。

 魔法使い──特に名家の血を引く者を他の職業に例えることは、もう、筆舌に尽くしがたいほど、あまりにもあまりにも馬鹿にした言い方。魔法使い界隈において最低最悪の蔑称だ。優れた魔法使いを多数輩出している名門アザストリ家の一人として、そのあだ名で呼ばれることはこれ以上ないくらいの苦痛だった。


 あー、いけない。またネガティブな思考に陥っている。私は思い切り深呼吸して気分転換を図った……一回じゃダメだ。もう一回。更にもう一回。

 深呼吸三つ分ほどの間を置いた後、館長先生が再び言葉を発する。それは赤子に聞かせる子守唄のように優しい声だった。


「よいですか、リエル=トルフ女史。学生たちに幾度となく言ってきたことですが、この世の中というものは成るようにしかならないのです」

「はい」

「確かにあなたの使える魔法は治癒のみ。ですが、その技量は学生の時点で非凡なものがありました。アザストリ家の血に惑わされず、己が今できることを活かして世を歩みなさい……おや? これも過去、リエル=トルフ女史には言いましたかな」


 うん。館長先生、私はその言葉、学生時代に十回くらい聞かされました。その度に私は、この世界で生きていて良いんだと考え直してきました。あなたは勉学の師であり、命の恩人でもあります。もう、なんと感謝したらよいのやら。


「私の人生で最も大切にしたい言葉の一つです」

「ああ、これはこれは……はは、私も年ですなあ」


 館長先生は白髪をかき上げながら笑う。つられて私も笑った。ああ、久しぶりに気兼ねなく笑えてるよ、私。まるで学校に入る前へ戻ったかのような気分……。

 だが、この和やかな雰囲気は長くは続かなかった。


「リエル=トルフ・クー・アザストリ様! リエル=トルフ・クー・アザストリ様! いらっしゃいますか!」


 若い女性の声だ。図書館の入り口へ目を向けると、ちょうど白いローブ姿の神官が入ってきたところだった。同時に神官もこちらに気づいたようで、まっすぐ小走りで向かってくる。首飾りは質素な銀製のものだから、多分雑用係の下級神官だろう。孤児でもなれる。


「困りますよ、リエル=トルフ様! 召喚の儀の時間にはちゃんといらして頂かないと!」

「え、ええ、でも……」

「召喚の儀とな。リエル=トルフ女史も参加するのですねえ」

「いや、あの、私は長女ってだけでして……」


 あー、もう。これが嫌だから帝国図書館に逃げ込んできたというのに! やり場のない不満と怒り、それと幼稚な行動がバレたことによる恥ずかしさが顔を紅潮させるのを感じた。

 一時の感情に任せ、私は言うだけ言ってみる。


「で、でも、でもですね? 家柄だけで参加義務があるなんておかしいじゃないですか。探せばもっと優れた魔法使いが幾らでもいるでしょう?」

「今! 私に言われても! 困ります!」


 ええ、でしょうね。下級神官なんかが儀式に口出す権利なんかないもんね。お仕事なんて、ただ突っ立ってるだけか、使い走りくらいしかないからね……直後、私はそんないやらしい考えを浮かべたことに凄まじく自己嫌悪し、思い切りため息をついた。


「分かった、分かったから。今行きますよ」

「とにかく、早く来てください!」

「はいはい」


 生返事をしながら立ち上がる。召喚の儀を執り行う場所は図書館からそう遠くない。こういった重苦しい儀式用に作られた専用の施設があるのだ。まあ、私の記憶が正しければ、結婚式以外に使われるのはこれが初めてだけど。

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