プロローグ:とある冒険者の偵察任務
魔物は大嫌いだ。
俺みたいな冒険者にとって、連中が飯の種になるという点を否定しようとは思わない。だが、それ以上に害が大きすぎる。
連中は前兆もなく大地に現れる。血の臭いを漂わせ、殺戮と惨劇を無差別に撒き散らす。老若男女問わず、爪で引き裂き、歯で噛み砕き、腕やら足やら触手やらで叩き潰し、炎だの氷だのヘンテコな魔法で躊躇なく殺しまくる。後に残るのは廃墟と血だまりばかり。
連中が徒党を組めば最後、それは正に自然災害そのもの。人間が太刀打ちできる相手ではなくなる。
今回だってそうだ。
国境を守る為に作られた石造りの山岳要塞。人間の軍隊に対して無敵の名を欲しいままにしたそれは、鉤鼻鬼率いる異常なレベルの魔物たちによって簡単に攻め落とされた。魔物が住み着いた今となっては、周辺小国の平和を脅かす一大拠点。魔のダンジョン・キャッスルだ。
そこに、A級冒険者の俺は単独で偵察任務に訪れていた。討伐ではない。誰が行ったって無駄死にするだけだからな。
だから、そこで目にした光景に、俺は放心した。
血の海に沈み、微動だにしないバラバラ死体。鈍色の鱗で覆われた鉄蜥蜴も、鋼のように強靭な筋肉を持つ血鬼も、鋭い牙を持ち分厚い毛皮で覆われた戦狼も、その悉くが細切れにされて息絶えていた。あまりにもバラバラすぎて完璧な数は把握できないが、恐らく百匹を下るまい。
「どうなってんだ、こりゃあ? 何があった?」
遠眼鏡型魔道具の脅威度測定器で死体を観測してみる。どいつもこいつもレベル三百を軽々超える凶悪な魔物ばかり。数千年に一度の規模と言われただけはある。この中のどれか一匹でも依頼で狩るというのなら、大通りに立ち並ぶ店々が丸ごと買い取れるほどの報酬がないと割りに合わなかっただろう。この俺だって単独で二、三匹と殴り合ったら確実に死ぬ。
つまり、これほどの数を一人で仕留められる存在など、この世にはいない。
そう、『この世』には。
「ん?」
俺は気がついた。要塞の入り口付近に何か、人影が現れたのである。
身長は二ケントと少し。かなり大柄の男だ。俺もそこそこ背の高い方だが、間違いなく奴は俺より遥かに背が高い。
頭にはツバの広い黒の帽子を被り、同じくらい黒いマントで体全体を覆っている。マントの隙間からは剣の柄だけが僅かに覗いていた。顔は帽子に隠れてよく見えない。
魔物? この格好だと、死神か?
俺は腰の短剣に手をかけた。高レベルの魔物でも一匹程度なら狩れる。少しでも近づいてみろ。エンチャント”必中"・"即死"・"爆発"が施された短剣が眉間に突き刺さるぜ。
だが、どうも奴は魔物というわけではなさそうだった。その証拠に大男の手には魔物の生首が抱えられている。それは魔物どものリーダー、大型鉤鼻鬼のようで、恨めしそうに目と舌を剥いて事切れていた。
一応脅威度測定器で観測してみるが、鉤鼻鬼のレベル九百という数値しか表示されなかった。まるで大男などそこには居ないかのようである。
「おい、あんた!」
意を決して声を張り上げる。男は帽子の下から顔を覗かせた。
感情の無い、カッと見開かれた目。無精髭をまばらに生やした清潔感のない顔立ち。煤か何かでうす汚れているせいか、なんとも不気味な奴だ。短剣を握る手に力が入る。
「あんたがやったのか?」
「なにをだ」
「いや、この魔物たちを……鉄蜥蜴とか血鬼とか……」
「ああ」
興味なさげに答える男。まるで感情の起伏を感じられない棒読みだ。凶悪な魔物との激戦をくぐり抜けてきたであろうはずなのに、まるで散歩でも終わらせて一息ついているかのような……そんな、ことも無げな態度。
短剣を握る手から、すうっと力が抜けた。
ああやべえ、俺とは住む世界が違う。明らかに。
全身にぞっとするような痺れが走る。こいつと不用意に会話を続けるといきなり魂をも奪われかねない。そんな謎めいた確信が俺の心臓を締め上げ、頭をぐらぐらと揺さぶった。
だが、ギルドの依頼で山岳要塞偵察に来た以上、おいそれと投げ出すわけにはいかない。俺だってA級冒険者なんでね。かっこ悪いところは見せられないぜ。
顔つきをできる限り引き締めて、精一杯の低い声で問いかける。
「あんたはここで何をしてたんだ。遊びに来た訳じゃないだろう」
「魔物の退治だ。オラク王国国王直々の依頼だ」
「えっ」
その答えに意表を突かれ、思わず間抜けな声を出してしまう。
オラク王国といえば、この大陸最大の国家である。そんな大国のトップであるオラク王から直接の依頼を受けたというのか? 冒険者が王個人から依頼されるなんてあり得ないだろ。
「冗談だよな? 大陸最大国家の王が、たかだか冒険者一人に直接依頼? とても信じられんぞ」
「冒険者じゃない。俺は『召喚され師』だ」
「あ……?」
召喚という単語。俺は僅かばかりの時間をかけてその言葉を噛み砕き、ようやく理解する。
「お前、『召喚されし者』って奴か! なるほど、通りで……」
オラク王国に存在すると冒険者の間で噂になっていた『召喚術』。この世の理を超える存在『召喚されし者』を異世界から呼び出すという、秘術中の秘術。これほど高レベルの魔物たち相手に一方的な虐殺が行えたのも、理外の存在ならば頷けるというものである。
「は、はは……悪いな、疑っちまって。『召喚されし者』ってモンを初めてみたもんでよ」
「『召喚され師』だ」
男は無表情で歩き出す。俺の方へ向かってくる。
あれ? 俺、何か怒らせるようなこと言ったか? 思わず後ずさりをする。
「なんだよ、どうしたんだ?」
答えはない。まっすぐ、まっすぐ、こちらへ歩みを進め続ける。無表情。黒い瞳。
俺は自分の右足に左足を引っ掛けてすっ転んだ。くそ、情けねえ。でもしょうがないだろ。こいつ、百匹の魔物より圧倒的に怖ええもんよ。
「お、おい、何怒ってんだ。気に障るようなこと言ったなら謝るぞ!」
「怒っていない」
そう言って男は鉤鼻鬼の生首を突き出した。生気のない生首の瞳に、倒れた俺の焦りに満ちた表情が映っている。
「これをオラク王国国王へ持っていけ。クローディアスから、と言えば分かる」
「く、クローディアス……」
この黒ずくめの大男の名はクローディアスと言うらしかった。だから、どうしたというんだ。何故俺に生首を渡す。無造作に渡された生首の重さに悶えながら、俺は思わず文句を吐き出した。
「待てよ! お前が依頼されたんだから、お前が直接王に持って行けばいいだろ! それが道理だ!」
「無理だ」
クローディアスは虚空を眺める。目で何かを追っているようだが、俺の目には何も映らない。
「もう呼ばれている」
気がつくと、クローディアスの足元に青くぎらつく円形の紋章が現れていた。きらきらと輝く粒子が溢れ出している。ああ、これが召喚陣ってやつか? 噂ではこの魔法陣から召喚されし者が出てくるとか何とか。
いや、そんなことはどうでもいい。
「い、急ぎ過ぎだろう! せめてオラク王から報酬貰ってからにしろよ!」
「必要ない。お前が代わりに貰っておけ」
バチンッ!
何の前触れもなく、手の平を強く打ち合わせたような破裂音が鳴り響いた。
思わず瞬きをする。その、ほんの僅かな一瞬の内に、クローディアスの姿は影も形も無くなっていた。後に残ったのは無数の魔物の死体。そして、生首に押しつぶされている俺だけ。
「な、なんだったんだ畜生……」
誰に言うともなく悪態をつく。あ、服が魔物のくっせえ血でグショグショだ。くそったれ。
俺の大嫌いなものに『召喚されし者』が加わった。