婚約者からの手紙
ジャネットが王宮の行儀見習いになって一ヶ月ほどが経ったこの日、アマンディーヌが白い封筒を持ってシルティ王女の部屋を訪ねてきた。
「シルティ王女殿下。いくつか舞踏会の招待状が届いておりますわ。行かれますか?」
「舞踏会? 行きたいわ! どこからかしら?」
「今来ているのはヘーベル公爵家、ジャニール侯爵家、フェラール侯爵家ですわ」
「日程が合えばどれも行きたいけれど……」
「今のところ、公務は入っておりません」
「エスコートはエリックお兄様かアランお兄様がして下さるかしら?」
「エリック殿下の予定を確認して参ります。では、返事はわたしから出しておきますわ。あと、ジャネット嬢。あなたにもお手紙よ。あなたの愛しの婚約者殿から」
アマンディーヌはにっこりと微笑むと、封筒をシルティ王女とジャネットの前に置く。そして、「では、またのちほど」と言って部屋を出て行った。
ジャネットは今しがたアマンディーヌが置いて行った封筒を見つめた。
シルティ王女の前には、ジャネットもよく知る名門貴族であるヘーベル公爵家の家紋が刻印された封筒を始めとして、上質な紙を利用した招待状が三通ほど置かれている。シルティ王女はその封筒の一枚を手に取ると、ペーパーナイフを使って早速封を開け始めた。
「シルティ様。『アランお兄様』ってどなたですの?」
ジャネットは封筒を開けて中を確認しているシルティ王女に、内緒話をするようにコソッと尋ねた。
ジャネットは侯爵令嬢なので、王族の家系図はもちろん頭にしっかりと入っている。しかし、ジャネットの記憶ではシルティ王女の兄にあたる人はレイモンド王太子とエリック王子のお二人で、『アラン』はいないはずだった。
「え? アランお兄様はヘーベル公爵家のご子息よ。今さらそんなことを聞くなんて、どうしたの?」
キョトンとした顔でシルティ王女が首をかしげる。ジャネットは「あら、そうでしたわ」と慌てて取り繕った。
ヘーベル公爵家と言えば、王家とも縁続きの由緒正しき公爵家だ。確か、国王陛下の姉上がヘーベル公爵家に嫁いでいたはずだ。つまり、アラン様ことアラン=ヘーベルはシルティ王女の従兄に当たる。
ジャネットは直接会ったことがないが、友人たちから何度かその名前を聞いたことがあった。ヘーベル公爵家の次男で、ジャネットの友人も含めた若いご令嬢の間では『クールだ』とか『素敵』だとか『ハンサムで、見ているだけでクラクラする』と騒がれている憧れの存在だ。
白い肌と艶やかな漆黒の髪がミステリアスだとか、女性に対するクールな雰囲気がたまらないとか、とにかくキャーキャー言われているのは知っている。ジャネットはダグラスという婚約者がいるので、いつも聞き役に徹しているだけだが。
「シルティ様のエスコート役はよくアラン様がされるのですか?」
「うーん。エリックお兄様とアランお兄様で半々ね。でも、アランお兄様のエスコートの方がわたくしは好き。優しいし、ダンスのリードが上手だもの。わたくしのダンスの練習もよくアランお兄様にレッスンしてもらっているから、慣れているし」
シルティ王女は答えながらにこにこと笑う。
「まあ、そうなのですね」
ジャネットはシルティ王女の話を聞きながら相槌を打った。
ジャネットの知る限りでは、ヘーベル公爵家は代々宰相を出すほどの国のブレイン的存在だ。うろ覚えの記憶では、アラン=ヘーベルはジャネットの一つ歳上で現在十九歳のはずだ。
きっと宰相である父親の補佐で王宮を出入りしているはずだから、シルティ王女もそこでよく顔を会わせているのだろう。
一通目に目を通し終えたシルティ王女は次なる招待状に手を伸ばし、ペーパーナイフで開封した。それにざっと目を通すと、今度はジャネットの手元を興味深げにみつめる。
「ところで、ジャネット様のお手紙はなんて書いてあるの? もしかしたら、ダグラス様はジャネット様にお会いできなくて寂しくなっているのかもしれないわ」
シルティ王女が落ち着かない様子でジャネットを見つめる。そう言われて、ジャネットは初めて手に持っている封筒に意識を移した。
ジャネットの前に置かれた封筒には婚約者ダグラスの名前が直筆でサインされている。裏の赤い封蝋も間違いなくダグラスの実家である、ウェスタン子爵家のものだ。
ジャネットはダグラスとあの日の夜会を最後に、一ヶ月ほど会っていない。彼は少しくらい自分に会えないことを寂しいと思ってくれているだろうか。そう思ってくれていれば、嬉しいと思った。
少しわくわくする気持ちを落ち着かせ、ジャネットは努めて平静を装い、シルティ王女が使い終えてテーブルに置かれたペーパーナイフに手を伸ばす。ピリッと小気味いい音を立てて封を切ると、中身を取り出した。
──なんて書いてあるのかしら?
早く見たくてたまらない。はやる気持ちを抑えて一通り読み終えたジャネットは、スーッと気持ちが冷えていくのを感じた。無言でそれを元のように折りたたむと、封に戻した。
「お手紙にはなんて?」
シルティ王女が待ちきれない様子でそう尋ねてきた。
「わたくしが留守にしているから、社交パーティーではしばらくの間、ほかのご令嬢のエスコート役をしてもよいかと」
「まぁ……」
シルティ王女の形のよい眉の間に僅かに皺が寄った。
エスコート役は通常、婚約者がいれば婚約者が行う。婚約者がいるにも関わらずそれを行わないのは、不仲をうかがわせるため外聞がよくない。
ただ、婚約者が病気療養中や、仕事で長期不在のときは例外だ。
なぜなら、貴族にとっての社交パーティーは仕事の顔つなぎの場を兼ねているからだ。ダグラスはジャネットと結婚すればピカデリー侯爵家の跡取りとなるので、将来のためにも社交界で顔を売る必要がある。
本当は、無理と承知でも一言だけ『一緒に参加出来ないか』と聞いて欲しかった。返す返事は同じでも、その一言だけでジャネットの気持ちは救われたのに。
「仕方がありませんわ。わたくしがながらく王宮にいるので、彼も困っているのだと思います」
「ジャネット様……」
シルティ王女は眉根を寄せてジャネットを見つめる。
ジャネットはチクリと刺さる胸の痛みに耐えながら、シルティ王女ににっこりと笑いかけた。