SS ジャネット、公開訓練を見に行く
「ねえ、ジャネット。よかったら今度の近衛騎士隊の公開訓練を一緒に見に行かない?」
ジャネットが友人のマチルダからそんなお誘いを受けたのは、つい先日のことだ。
「公開訓練?」
「ええ。月に一度だけ、訓練の様子を一般公開しているのよ。次回は練習試合をするみたいなの」
「へえ」
ジャネットは以前はダグラスという婚約者がいて近衛騎士にそこまで興味がなかったから、そして婚約破棄後もシルティ王女の元で行儀見習いをしていたので近衛騎士の訓練は見放題だったので、一度も行ったことがなかった。
「アラン様もいるはずよ」
「そうよね。行ってみようかしら」
シルティ王女付きの行儀見習いが終わった今、ジャネットが近衛騎士隊の訓練を直接見る機会は全くなくなった。アランの剣を振るう姿を久しぶりに見に行きたいという思いもある。
「じゃあ、一緒に行きましょう!」
マチルダは両手を顔の前で合わせ、嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
公開訓練の日、ジャネットは華美になりすぎず控え目ながらも、十九歳という年頃にぴったりの淡い黄色のドレスにレース飾りの付いた帽子を合わせた。
手に持った籠には差し入れに用意した手作りの焼き菓子と、この日のために作った刺繍入りのハンカチを入れて。
手作りの菓子や刺繍入りのハンカチを意中の騎士にプレゼントするのが流行っていると教えてくれたのはマチルダだ。菓子を作ったことは一度もなかったけれど、厨房の料理人に教えてもらいながら頑張った。
それに刺繍は、近衛騎士らしく盾と剣、それにアランの名前を入れた。
「アラン様、喜んで下さるかしら?」
ジャネットはハンカチと焼き菓子の入った籠を片手で撫でる。
実は、今日見にいくことをアランには事前に伝えていない。秘密にしておいて、びっくりさせようと思ったのだ。
いつものクールな表情をくしゃりと崩してくれたら嬉しいな、とジャネットは口元を綻ばせた。
そうして向かった久しぶりの訓練場は、ジャネットの知っている景色とだいぶ違った。
「すごい人……」
近衛騎士が若い女性達に大人気なのは知っていたけれど、騎士達の剣戟を一目見ようという男性の観客も多い。観客席はぎっしりと人で埋め尽くされている。
近衛騎士達が入場してくると、その観客達が一斉に歓声を上げるので辺りはものすごい熱気に包まれていた。
「あ、フランツ様だわ!」
隣にいるマチルダが声を上げる。マチルダが指さすほうを見ると、何人かの近衛騎士達がいるのが見えた。全員が濃紺の騎士服という同じ格好をしているから、全く見分けがつかな──。
「あ、アラン様」
訂正する。
自身が思いを寄せる人に限っては、どんな人混みでも見分けが付くようだ。
アランはフランツと何か会話をしていた。そして、視線を彷徨わせるように周囲を見渡す。「凄い観客だ」とでも話しているのだろう。
ジャネットは行儀見習い期間中、よくシルティ王女に連れられて近衛騎士の訓練場を訪れその練習の様子を見る機会があった。
だから今回の練習試合もその延長だと思っていたのだが、実際には全然違った。
実戦をイメージした剣の打ち合いは息を呑むような迫力がある。
一試合一試合が終わる度に、辺りからは大きな歓声と拍手が上がった。
全ての試合が素晴らしかったが、その中でもアランの試合は特に見応えがあった。近衛騎士の中でも腕の立つ二人が打ち合うので、迫力も違う。
「アラン様、凄い!」
ジャネットは思わず歓声を上げる。
一瞬の隙を突いてアランが相手の近衛騎士の喉元に剣先を突きつける。審判の「勝負あり」という声が響いた。
◇ ◇ ◇
「うーん、近づけないわ……」
公開練習の後には、観客から騎士達に差し入れやプレゼントを渡す時間がもうけられている。
ジャネットはアランに持参した焼き菓子とハンカチを手渡そうと近付いたが、凄い人で近付くことすらできない。特に、『氷の貴公子』と名高いアランはとても人気があるようで、一際ご令嬢が集まっていた。
先ほど近くにいたご令嬢が「アラン様が訓練終了後も訓練場に留まっているなんて珍しいわ」とはしゃいでいたので、余計にこの人気なのかもしれない。
人垣の隙間から目を向けると、アランがちょうどジャネットより少し年下くらいの年頃の可愛らしいご令嬢から話しかけられていた。ご令嬢が手に持っているのはラッピングされた焼き菓子のように見える。
(被っちゃったわ。違うものにすればよかった……)
よくよく考えれば、菓子と刺繍を渡すのが流行っているのだからみんな同じものを持ってきているのだ。
ジャネットはしょんぼりと自分の籠を見る。初めて手作りした焼き菓子は料理人の指導の下で作っただけあり味は確かなはずだが、少々見た目が悪い。
こんな不格好なものを持ってくるなんてと、なんだか急に恥ずかしくなる。
(アラン様、わたくしが来たことにすら気付いてないんだろうな……)
ジャネットは居心地の悪さに身じろぐ。
周囲を見渡してマチルダを探すと、ちょうどフランツとお喋りをしながら菓子類を手渡しているところだった。
(よし。マチルダが話し終わったら、帰ろうかな)
アランの勇姿が見られたのだから、これはこれで満足。ハンカチは後日渡せばいいし、お菓子は屋敷に戻ったら自分で食べよう。
そう決めたジャネットは踵を返して出口へと向かおうとする。
そのとき、「ジャネット!」と焦ったような声がした。
「あれ、アラン様。どうされました?」
振り返ったジャネットは、キョトンとアランを見返す。アランが自分がいることに気付いていたことに、少しびっくりした。
「どうされました、じゃないだろう。俺に会いに来たんじゃないのか?」
ご令嬢達の人垣を描き分けてこちらに歩み寄ったアランは、不機嫌そうにジャネットを見下ろす。
「そうなのですが、沢山の方に囲まれていたので……」
「それは、ジャネットがすぐに来ないからだろう」
ふてくされたように言われ、ジャネットは驚きに目を見開く。
アランのあだ名は『氷の貴公子』。
言い寄ってくるご令嬢達のことを殆ど相手にしないからそう呼ばれていると聞いたことがある。もしかして、いつもならすぐに控え室に戻ってしまうところを自分を待つために訓練場にそのまま留まっていてくれたのだろうか。
ジャネットはチラリと籠を見て、刺繍入りのハンカチを取り出した。
「これ、アラン様に」
「ありがとう。それは?」
ハンカチを受け取ったアランが、ジャネットの持つ籠に入ったお菓子を指す。ジャネットは首を横に振った。
「作ってきたのですが、少し不格好なので……」
すると、アランはひょいとそれをひとつ摘まみ、おもむろに口に入れる。
「美味しいじゃないか。勤務の合間に摘まむから、もらっておく」
もぐもぐと咀嚼するアランはジャネットの籠から焼き菓子入りの袋ごと手に取った。
(なんだか、気を遣わせてしまったかしら。やっぱり来ないほうがよかったかも……)
アランは一見冷たいように見えて、とても優しい。ジャネットを傷つけないように、気を遣わせてしまったかもしれないと思うといたたまれなくなる。
しかし、俯くジャネットを見て、アランは別のことで落ち込んでいるのだと思ったようだった。
「味は悪くないから、すぐに見た目も上手くなるだろ。次はクッキーがいい」
「え?」
「なんだ?」
驚くジャネットに対し、アランは怪訝な顔をして見返す。
(それって、またお菓子を作って見に来てくれってことだよね?)
はっきりと「見に来てほしい」とは言ってはくれないけれど、つまりはそういうことだろう。
「はい。もっと上手になるように頑張りますわ」
今度はどんなものを作ろうか。見た目の悪さが目立ちにくいクッキーはもちろん作るけど、アランが好きなお菓子にも色々と挑戦してみたい。
花が綻ぶような笑顔で頷いたジャネットを見つめ、アランも優しく目を細めた。
〈了〉




