SS 恋と呼ぶにはまだ早い
第2幕の初め頃のお話です。
この日、ジャネットは大いに興奮していた。
友人のマチルダから、秘めたる想いを打ち明けられたのだ。
「まあ、フランツ様に? いいと思うわ。だって、彼ってとってもお優しくて紳士的ですもの!」
「ジャネットもそう思う? 格好いいし、本当に素敵だわ」
マチルダが頬を両手で包み込むようなポーズをしながらほうっと息をつく。
「なんとかお近づきになれないかしら」
その言葉を聞いて、ジャネットは閃いた。
「わたくし、もっとマチルダのことを頻繁に王宮のお茶会にお呼びするわね。そのときにフランツ様を部屋付きにしてもらうのはどうかしら。きっとシルティ様も協力してくれるはずよ。それに、なんとかしてフランツ様の好みも聞き出しておくわ」
ジャネットは恋愛偏差値が壊滅的ではあるものの、他人の恋は全力で応援するピュアな子である。友人のために純粋な気持ちで協力を申し出た。
「ありがとう、ジャネット!」
力強く発せられたジャネットの言葉に、マチルダは感激したように両手を胸の前で組んだ。
◇ ◇ ◇
それはジャネットがシルティ王女の元での行儀見習いを延期すると決めて暫くしたある日のことだった。いつになく真剣な表情のジャネットが「相談がある」と言ってきたので、アマンディーヌはおやっと思った。
「どうしたの? いつになく真剣ね?」
「はい。実はわたくし、知りたいことがあるのです」
「知りたいこと?」
いつものようにペンとメモを持ったジャネットが、意を決したようにアマンディーヌを見上げる。
「フランツ様のお好みを教えてくださいませ」
「……フランツの?」
ジャネットから出てきた意外な名前に、アマンディーヌは目を瞬かせた。
「なんでフランツの好みを知りたいのよ?」
「それは……アマンディーヌ様には関係のないことですわ」
ジャネットはフイッと目を逸らす。
フランツと親しいアランにこの事を漏らせば、ふとした拍子に本人に知られてしまう可能性があると思ったのだ。
アマンディーヌはジャネットの横顔を見つめる。
そう言えば、最近なぜかシルティ王女が付き添いにフランツを指名することが多い気がする。
「ふーん。フランツなら、馬が好きだと思うけど」
「馬? では、競馬などお好きかしら?」
ジャネットはパッと表情を明るくすると、いそいそと手持ちのメモにペンを走らせる。競馬は舞踏会やサロンと並んで重要な社交の場で、貴族の嗜みのひとつだ。
若い男女が親睦を深めるために競馬を観戦することもよくある。
「競馬の日程、さっそく調べてみます」
その嬉しそうな笑顔を見ていたら、なんとなく胸の内にモヤモヤしたものが広がるのを感じた。
◇ ◇ ◇
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剣を振るいながら、アランは目の前の同僚──フランツを眺める。
フランツは国内の中堅貴族、バウワー子爵家の次男だ。爵位が継げないため、騎士を志したと聞いている。蜂蜜色のくせのある髪は短く切られ、瞳は翡翠を思わせる深緑。少し下がり気味の眦と人当たりのよい性格から、優しげに見える。
アランとは騎士養成学校時代からの旧知の仲で、素行も問題ない好青年であることを知っている。恐らく、恋人となった女性のことは大切にするタイプだ。
要約すると、フランツはジャネットに婚約者として勧めるにあたって、非常に好条件な男であった。
「どうした、アラン。そんなに怖い顔をして?」
ふと剣を止めたフランツがびっくりしたような顔でこちらを見つめる。
「怖い顔? 俺が?」
「ああ。騎士学校の実技試験を審査している最中の教員のような顔だな」
「……それは悪かった。少し、考え事をしていた」
「考え事? アランがそんなに悩むなんて珍しいな。俺でよければ相談に乗るから、いつでも言えよ」
フランツは屈託ない笑みを浮かべてアランの肩にポンと手を乗せる。
アランはそんなフランツを静かに見返す。
見れば見るほどいい男である。
それこそ、ジャネットの新たな婚約者となっても心配ないほどには。
ん? 心配ない?
アランはふと思いとどまる。
本当に心配ないのだろうか?
女装して美容アドバイザーをしている自分が言えた義理はないが、ジャネットは少々変わっている。色々と考えることが斜め上を行きすぎていて、時々アランですらついて行けなくなりそうになる。
アランはフランツを真っ直ぐに見つめると、静かな声で問いかけた。
「フランツ。お前は想像を超えた斜め上に最後まで付き合う覚悟はあるか?」
「なんだよ、突然。『想像を超えた斜め上』ってなんだ?」
「言葉の通り、想像を超えた斜め上だ」
普段は柔和な表情のフランツが、僅かに眉を寄せる。
「意味がわからん」
「とにかく、斜め上なんだ」
大丈夫だろうか。
心配だ。
妙に胸がざわざわする。
「そう言えば、今度の非番は久しぶりに競馬を見に行くんだ」
フランツが発した『競馬』という単語に、アランはぴくりと反応する。
「誰と?」
「え? そんな無粋なこと聞くなよ。色々と上手くいったら話すよ」
フランツは照れたように笑う。
得体の知れない焦燥感に駆られるのを感じた。
◇ ◇ ◇
その数日後、アマンディーヌがいつものようにレッスンを終えると笑顔のジャネットに話しかけられた。
「アマンディーヌ様。先日はフランツ様の好きなものを教えて下さってありがとうございます」
「ああ、どうだったの?」
「楽しかったみたいですわ」
「楽しかったみたい?」
アマンディーヌは首を傾げる。
「はい。終わった後に食事にも行ったって」
説明するジャネットはとっても嬉しそうだ。
「ジャネット嬢は?」
「わたくしですか? 行きません。そんな無粋なことしませんわ」
「……誰と誰が行ったの?」
「フランツ様とマチルダです」
キョトンとした様子のジャネットが答える。
それを聞いてアマンディーヌはようやく悟った。ジャネットが自分ではなく、友人の恋愛成就のために奔走していたのだと。
ジャネットはその日のことをマチルダから聞いたようで、目を輝かせながら説明してる。まるで自分のことかのように喜んでいるのが、なんともジャネットらしい。
「そう、よかったわね」
「はいっ!」
屈託ない笑顔を見ていたら、この数日間のモヤモヤや焦燥感がスーッと溶けてゆくのを感じた。
〈了〉




