ジャネット、達成感に浸る
ジャネットはドレスにぶら下げていたダンスカードを開いた。次の曲を確認すると、もう一度別の曲でカドリールとなっている。その次がワルツだ。
シルティ王女はすぐ近くに佇むジャネットを見つけると、少し息を切らしながら笑顔で近づいてきた。
「ジャネット様!」
「シルティ様。とっても素敵でしたわ」
「ありがとう! ジャネット様は踊りました?」
「はい。何曲か」
ジャネットは笑顔で頷いた。
ジャネットはこの会場に入ってから何人かに誘われて、ダンスを踊った。一年前に比べたらいつの間にかダンスへの苦手意識は随分と薄くなった。上級ステップを踊れと言われたらやっぱり自信はないけれど、人並みには踊れるようになったはずだ。
「次からしばらく、ワルツが続くみたいですわ」
「ええ。クレイン様に誘っていただけるといいのだけど」
シルティ王女は自信なさげに眉尻を下げる。ジャネットはそんなシルティ王女を励ますように両手を握った。
「シルティ様は世界一素敵なお姫様ですわ。クレイン王子殿下なら、きっとそのことに気付くはずです」
「そうかしら?」
「そうですわ。自信を持って言い切れます」
そこで一旦言葉を切ると、ジャネットはシルティ王女に微笑みかけた。
「もし誘われなかったら……。クレイン王子殿下は女性を見る目がありません。誰がなんと言おうとも、シルティ様はわたくしの中で最高に素敵な王女殿下です」
二つ年下の、可愛くて頑張り屋さんで素敵な王女殿下。シルティ王女とはとても不思議な出会いだったけれど、最高にハッピーな出会いでもあった。もしもシルティ王女がいなかったら、ジャネットはとっくのとうにアマンディーヌの元から逃げ出していただろう。
カドリールの音楽が終わる。
ジャネットはダンスホールの中央部に目を向けた。人がぱっくりと割れてゆき、クレイン王子が近づいてくるのが見えた。
──ほら、やっぱり。
ジャネットは微笑みを浮かべてシルティ王女の背中を押す。
こんなに素敵な王女殿下を放っておくような男は大馬鹿者だと思う。頬を染めるシルティ王女の手をクレイン王子がとった。
笑顔でワルツを踊るシルティ王女を見つめながら、ジャネットにも自然と笑みがこぼれた。ワルツの曲が終わり、二人が優雅にお辞儀をする。シルティ王女がその場を離れようとしたとき、会場にどよめきが起きた。クレイン王子がシルティ王女の手を離さなかったのだ。
次こそはと待ち構えていたご令嬢が呆然と見守る中、ワルツの二曲目が始まる。
クルリ、クルリと優雅にステップを踏むシルティ王女を見て、ジャネットはまるで本物の蝶のようだと思った。子供の頃に見たオルゴールの仕掛け人形のように楽しそうに踊る二人を見ていたら、これまでの一年間の記憶が走馬灯のように蘇ってきて、はらりと涙が零れ落ちた。
この気持ちを何というのだろう?
──そう。達成感だ。
「ジャネット嬢、これ」
その場で立ち尽くしてシルティ王女とクレイン王子のことを見つめていると、目の前にハンカチを差し出された。視線を斜め前に向けると、アランが何ともいえない顔でこちらを見下ろしている。無言で差し出されたハンカチを眺めていると、ハンカチが近づいてきてぐいっと顔を拭かれた。
「アラン様。シルティ様がクレイン殿下と踊っていらっしゃいます」
「そうだな」
「ワルツを連続で二曲目ですわ」
「そうだな」
そう言いながら、とめどなくぼろぼろと涙がこぼれてきた。
きっと、シルティ王女は彼女の初恋を実らせたのだ。
「あーあ。やっぱりこの化粧だと……」
僅かに眉を寄せたアランが呟く。顔のすぐ近くまで手が伸びてきたのでびくっとして目を瞑ると、瞼に少し引っぱられるような痛みを感じた。アランの指に摘ままれていたのは、ジャネットの付けていた付けまつ毛だ。
「ジャネット嬢は泣き虫だから、今日はもっと薄化粧にしておかないと崩れるんだよ。予想通りだ。半分糊がはがれてた」
ジャネットはアランが差し出したつけまつ毛を見つめた。糊の部分が涙でふやけて白くなっている。おまけにハンカチは化粧でどろどろになっており、取れた付けぼくろまで付いていた。
「わたくしに、あのお化粧は似合わなかったですか?」
「いや? 似合ってたし、綺麗だったよ。でも、今日はこのお化粧はダメだと思った。ジャネット嬢は、普段の薄化粧で十分綺麗だよ」
アランが首を竦めてみせる。
『綺麗だよ』
聞きたくて、聞きたくて、でも一度も聞く事が出来なかった言葉。
その言葉に、ジャネットは目を見開く。
──例え結果が玉砕だったとしても、悔いがないように。
それは、ジャネットがシルティ王女に対して思ったことだ。
アランはフランソワーズ王女と恋仲。ジャネットは失恋した。けれど、最後にきちんとこの気持ちを言わないと、後悔するかもしれない。
ルロワンヌ王国に戻れば約束の半年は終わる。それと同時に、ジャネットの行儀見習い期間も終わる。もうアマンディーヌともアランとも殆ど会うことはないだろう。ましてや、シルティ王女がシュタイザ王国に嫁げば、アランはきっと別の王族付きになり、会うことは全くなくなる。
「アラン様」
「なに?」
ジャネットはすうっと息を吸う。
これまでの成果の集大成。
化粧がぼろぼろなのはご愛嬌。
背中は伸ばし、顎は引き、口角を上げて。足を半歩下げて少しかがむと、両手でドレスの端を摘まむ。
「わたくし、ジャネット=ピカデリーは、アラン様をずっとお慕いしておりました。あなたが好きです」
満面に笑みを浮かべてそう告げると、アランは意表を突かれたように目を見開いた。
──ああ、やっと言えた。
アマンディーヌには何度も言えたのに、アランの格好をしたこの人には一度も告げることが出来なかったこの言葉。
ジャネットは自分の中が、急速に充足感に満たされるのを感じた。
本日夕方もう一話投稿して完結です!




