ジャネット、全てを悟る
ダンスを踊るシルティ王女は本当に楽しそうに見えた。
──シルティ様、嬉しそう……
また、そんな安堵の思いが沸き上がってくる。
シルティ王女は生まれながらのルロワンヌ王国の王女だ。自由恋愛など、望めるはずもない。けれど、この一年近くをシルティ王女と共に過ごしてきたジャネットは、シルティ王女のことを大切な友人のように感じていた。例え結果がどうなろうとも、悔いの無いように頑張って欲しいと思った。
しばらくシルティ王女達をぼんやりと眺めていると、体をふわりと何かが包む柔らかな感触がした。自身の姿を見下ろすと、肩からショールがかかっている。
「ありがとうございます」
「いい。寒いんだろ? 持ってきたドレスを着ればよかったのに」
相変わらずやや不機嫌なアランは、ジャネットの体を包むようにショールを巻いた。
「このドレスは似合わないですか?」
「そういう訳じゃないんだけど……。でも、この化粧はちょっと──」
アランはゴニョゴニョと言葉尻を濁した。ジャネットがこのパーティーで着るはずだったドレスは、清楚な黄色いドレスだった。ルロワンヌ王国でアマンディーヌと一緒に選んだものだ。もしかしたら、せっかく選んでくれたのに、それをジャネットが着ていないから気に入らないのかもしれないとジャネットは思った。
その時、またわぁっと歓声が上がってジャネットは舞踏会会場の中心に視線を移した。先ほどと音楽が変わっている。カドリールが始まったようだ。
「アラン様! 見て! シルティ様が!!」
ジャネットはその光景を見た時、思わずアランの腕を掴んで強く引いた。クレイン王子とカドリールを踊る四人の中にシルティ王女が入っていたのだ!
シルティ王女はジャネットの心配をよそに、しっかりとクレイン王子にアピールしている。今日のお昼にもお茶会をしたはずだから、そこで距離を縮めたのかもしれない。
「シルティ様、頑張っていますわ」
「そうだな。だから、何も心配いらないって最初に言っただろう?」
感極まり、思わず涙ぐみそうになったジャネットに対してアランは落ち着いていた。まるで、最初からこうなることがわかっていたかのようだ。
「アラン様、もっと感動して下さいませ」
「ジャネット嬢は感動しすぎだろ。まぁ、ジャネット嬢がこうなることはわかってたけどさ」
先ほどより幾分か機嫌が直った様子のアランは呆れたようにジャネットを見下ろす。その瞳が優しい気がして、ジャネットの胸はトクンと鳴る。しかし、次の瞬間にアランが呟いた言葉にジャネットの体はビクンと凍りついた。
「あ、フランソワーズ殿下だ」
フランソワーズ殿下。アランの想い人だ。
アランはジャネットの後方に視線を向けて、そちらをじっと見つめていた。
振り向きたいけど振り向きたくない。
見たいけれど見たくない。
好奇心と恐怖心が入り交じる中で、ジャネットはぎこちなく首を回転させた。そして、フランソワーズ王女を見つける代わりにそこでとらえたのは、予想外の人物だった。
「──フラン様?」
向こうもジャネットに気付いたようで、頬を紅潮させたまま、真っ直ぐにこちらに向かってきた。
先程までの赤みを帯びたピンクのドレスではなく、淡い水色の洗練されたドレスを着ている。走るのに邪魔なのだろう、そのドレスのスカートを両手で摘まみ上げている。
「ジャネット様! やっと見つけたわ」
ジャネットの前まで走り寄ると、フランはその両手でしっかりとジャネットの手を握った。アランの視線は真っ直ぐにフランを捉えている。
シルティ王女も凌ぐほどの、あの豪華な部屋。
クレイン王子の婚約者選びに自分は関係ないといった様子。
一国の王女から簡単に手紙を取り付けたこと。
フランと言う名前……
様々なことが絡まり合って、ジャネットのなかで一本の糸となる。アランが『彼女とは気が合う』と言ったことも納得だ。
──なんで気が付かなかったのかしら? バカみたい……
急激に気持ちが冷えてゆくのを感じた。
本当にバカみたいだと思った。あまりのバカさ加減に、自分で自分に呆れてしまう。
「フランソワーズ殿下。ジャネット嬢にこの化粧はいかがなものかと」
「あら、なぜ? とてもお綺麗でしょう?」
「今日のジャネット嬢には、合いません」
横にいるアランがフランソワーズ王女に苦言を呈しているのがぼんやりと聞こえた。どうやら、綺麗だと思わせるどころか、似合わないと思われていたようだ。ジャネットは目を伏せて、ぐっと唇を噛み締めた。
「もう、いいわ。その話は後よ。それより、例の酷い男はどうなりました?」
フランはアランの話を打ち切ると、頬を紅潮させたまま、少しだけ自分より背の高いジャネットのことを見上げる。パッチリとした淡いグリーンの瞳が魅力的な、目をみはるような美人。
──本当に、綺麗な人だわ。
自分がとても惨めに思えた。
フランソワーズ王女は純粋にジャネットを心配して声をかけ、このようによくしてくれた。見た目だけでなく、性格までも気取ったところがなく好ましい。
──完敗だわ。
ジャネットの心は妙に凪いでいた。
目の前に立つ王女の見た目は元々が地味なジャネットよりはるかに綺麗だし、性格も後ろ向きなジャネットよりきっと素敵。唯一ジャネットが負けることがほぼないと言い切れる身分ですら、この人には敵わない。
フッと渇いた笑いが漏れる。
最初の半年間、地味で後ろ向きな自分を変えたくて頑張った。
この半年間は、アランを振り向かせたくて更に頑張った。
本当に頑張った。
あと半年間、もう一度同じことをしろと言われても、きっともう出来ない。
それくらい、頑張った。
自分の出来うる最高のパフォーマンスを出し切ったのだ。
それでもやっぱり……、──結果はダメだった。
「ジャネット様? 例のクズ男はどうなりましたの?」
フランソワーズ王女がもう一度ジャネットに訊ねる。何も答えないジャネットのことを不思議そうに見上げていた。
「クズ男ってなんの話だ?」
隣にいたアランも怪訝な表情で、ジャネットとフランソワーズ王女を交互に見つめてくる。
「あら、アラン様。ちょうどよかったわ。あなたの部下にとんでもないクズな男がいるわ。騎士道に反する行為は厳にこれを慎むよう、きちんと指導すべきよ」
フランソワーズ王女はちょうどよいとばかりにアランに向かって頬を膨らませる。ジャネットはその様子を、ぼんやりと見つめていた。
この人は、そんな様子すら可愛らしい。
──本当に、バカみたい。こんな不毛な努力、もうやめよう……
ジャネットはとても落ち着いた気持ちでアランとフランソワーズ王女に微笑みかけた。アマンディーヌと練習した、自分が最も魅力的に見える微笑みを浮かべて。
「フラン様。その話はもういいのです。終わりましたから」
「終わった?」
僅かにフランソワーズ王女の眉が寄った。
「ええ、終わりました。──わたくし、お二人のお邪魔でしょうから失礼しますわ」
ジャネットは怪訝な表情を浮かべて困惑する二人に背を向け、一人舞踏会の会場内を移動した。
シュタイザ王国には、シルティ王女のお付きとして来た。決戦は今夜。シルティ王女の戦う姿をしっかりとこの目に焼きつけようと、舞踏会の中央ダンスホールに目を向ける。
ちょうどオーケストラの演奏が止まり、カドリールが終わった。




