ジャネット、途方に暮れる
ジャネットがシルティ王女の部屋へと戻った時、シルティ王女一行はまさに誕生日パーティーへと出発しようとする直前だった。
「あ、ジャネット様ー! こちらよ。間に合ってよかった!」
「シルティ様! 遅くなり申し訳ありません」
ジャネットは息を切らしてシルティ王女に駆け寄ると、その姿を上から下まで眺めた。
シルティ王女の可愛らしい雰囲気によく合うピンク色の豪華なドレスは、膨らみを抑え気味にして金糸の刺繍を施すことで女性らしいSラインを作り出している。メイクは少しだけアイライナーがしっかり入っており、涼しげな美少女風だ。足元には昨日見たクリスタルのハイヒールがキラキラと煌めいており、普段よりも大人びた印象を受けた。
「シルティ様、とても素敵ですわ。まさにルロワンヌの誇る美姫にございます」
そこまで言うと、ジャネットは一段声を落としてシルティ王女に顔を近付けた。
「髪やメイクはアラン様が?」
シルティ王女はにっこりと微笑んで頷く。
「ええ、そうなの。素敵でしょう?」
「はい。本当に」
ジャネットも釣られて微笑んだ。金の髪は緩く巻き上げられて、靴と合わせたクリスタルの髪飾りが添えられている。アマンディーヌらしい、トータルのバランスを考えたコーディネートだ。
「ところで、ジャネット様は──」
シルティ王女がなにか言いたげにジャネットを見つめるので、ジャネットはシルティ王女の言わんとすることをすぐに理解した。
「これは、シュタイザ王国のフラン様にしていただきました」
「あら、そうなのね。さっき手紙が来てたからどうしたのかと思ってたの。ジャネット様、とても素敵ですわ! いつもお綺麗ですけれど、今夜はだいぶ雰囲気が違うわ」
シルティ王女はジャネットの顔をまじまじと見つめると、にこりと笑う。思った通り、フランはシルティ王女も知るほどのシュタイザ王国では有名な美容アドバイザーらしい。ジャネットはなんとなく気恥ずかしくて、はにかんだ。
「詐欺レベルの化粧ですわ」
「詐欺? そんなことないですわ。ジャネット様は──」
「ジャネット嬢、遅いぞ!」
シルティ王女が何かを言い掛けたところで、背後から咎めるような呼び声がした。
「アランお兄様、大丈夫ですわ。ジャネット様はもう準備を終えられてますからすぐに行けます」
ジャネットと向き合っていたシルティ王女がジャネットの後方に向かってにこりと微笑んでそう告げる。
「──終わってる?」
訝しげな声にジャネットが振り返ると、アランは困惑したような表情を浮かべていた。もしかしたら、ジャネットの化粧もしてくれるつもりだったのかもしれない。ジャネットと目が合うと、新緑の瞳が僅かに見開いた。
──少しは綺麗だと思ってくれるかしら?
ジャネットはアランを見つめ返したが、こちらを凝視するアランの表情から感情は読み取れない。
「はい、終わってますわ。すぐに出られますから、大丈夫です」
ジャネットはアマンディーヌとさんざん練習した、美しい微笑みとお辞儀でアランにペコリと頭を下げた。
***
シュタイザ王国の舞踏会用大広間は、ルロワンヌ王国のそれよりもさらに豪華絢爛だった。
天井と壁には一面に見事なフレスコ画が描かれ、柱には彫刻が彫られている。至るところに金箔が貼られてキラキラと煌めき、天井からクリスタル製のシャンデリアがいくつもぶら下がり、七色の光を放っている。
シュタイザ王国お抱えの楽団によって奏でられる音楽は極上のメロディー。
惜しげもなく飾られた装花は見上げるほどの豪華さ。優雅な時の流れに華やぎを添えている。
この国の若き王太子の誕生日を祝うため、会場内では笑顔が溢れていた。
そんな豪華な空間で、ジャネットはチラリと隣を見て、すぐにパッと視線を逸らした。
──なんだか機嫌が悪いわ……
隣にいる人の只ならぬ冷気に、早くも逃げ出したい。冗談抜きに、この広い会場内でここだけ五度位は気温が低いと思う。今さっきダンスを終えたばかりで体が火照っているはずなのに、ジャネットは寒さを感じてぶるりと身体を震わせた。
「なんか、寒いですわね」
「そんな肌を露出した格好してるからだろ」
「はい、ごめんなさい……」
むっつりとしたアランの刺のある口調に、ジャネットは思わず謝ってしまった。
ジャネットの着ているドレスは確かに胸元が大きく開いているが、同じくらい開いているご令嬢は沢山いるし、もっと開いている人もいる。アマンディーヌであるアランであれば『いいと思う』と言って笑ってくれると思ったのに、実際は真逆だった。
ジャネットは途方に暮れた。
なぜか、アランは非常に不機嫌なのだ。最初はなんだか不機嫌かな? くらいの変化しか感じなかった。しかし、時間の経過とともにどんどん不機嫌具合が増して、今は明らかに不機嫌そうにしている。
先ほどから、ジャネットは三曲ほど男性からダンスに誘われて踊ってきた。どれも自分としては会心の出来栄えだったにも関わらず、戻ってくる度にアランの周りの空気が冷えている気がする。
「あの……、わたくしのダンス、どこかおかしかったですか?」
「別におかしくない」
「そうでございますか」
ジャネットはホッと胸を撫で下ろす。しかし、同時に腑に落ちない気持ちが自分の中でどんどんと広がった。
アランはこれから愛する隣国の王女との僅かな逢瀬があるというのに、なぜこんなにも不機嫌なのだろうかとこっちが泣きたくなる。フランはとても綺麗にジャネットを着飾らせてくれたが、これではとても目的は果たせそうにない。
俯きそうになるジャネットの横で、アランは近くにいた給仕人に声を掛けると、何かを話していた。
──早く、フランソワーズ王女殿下が現れないかしら……
ジャネットはチクリと痛む胸に手をあてて、そんなことを思った。こんなに機嫌が悪いのは、フランソワーズ王女がなかなか会場に現れないからに違いない。
「早くフランソワーズ王女殿下がいらっしゃるといいですね」
「そうだな。殿下には、言いたいことが沢山ある」
不機嫌ながらもそう言ったアランの返事に、ジャネットは「やっぱり……」と視線を俯かせた。どうやら、自分は最後の最後まで氷の貴公子の気持ちを傾かせることは出来なかったようだ。
その時、会場の端で一際大きな歓声が上がった。本日の主役のクレイン王子が立ち上がったのだ。会場のあちらこちらで悲鳴ともとれるような黄色い声がした。
「クレイン王子もダンスかしら……」
ジャネットは少し背伸びをしてそちらの方向を見た。チラリと見えたクレイン王子は煌めく金の髪を靡かせ、スラッとした見た目の優しそうな男性だった。なるほど、シルティ王女が心を奪われるのも頷けるような美丈夫だ。
クレイン王子は一段高い位置にある椅子の前でゆっくりと会場を見回した。紺色地に金色の刺繍が施された豪奢なフロックコートに身を包み、ゆっくりと会場を歩く。
クレイン王子が一歩歩くたびに人々の壁がぱっくりと割れる。きっと、皆クレイン王子がダンスに参加するかを固唾を飲んで見守っているのだろう。
「次、ブランルだな。その次がカドリール」
アランがダンスカードを確認して呟いた。
ブランルとは、複数の人間が輪になって踊る比較的砕けたダンスだ。つまり、沢山のご令嬢がクレイン王子と一緒に踊れる。
一方、その次のカドリールは四人が一組で正方形になって踊るダンスだ。どちらのダンスも、アマンディーヌの指導で最近練習した。カドリールは四人が一組なので、クレイン王子と踊れる女性は二人となる。もしクレイン王子が立て続けに踊るのならば、カドリールに選ばれた二人はこの婚約者選びでかなりの優位に立つことは間違いないだろう。
あっという間にクレイン王子の回りに人垣が出来上がった。皆、クレイン王子とダンスがしたいのだろう。シルティ王女はそんな中でもかなり良いポジションに陣取りクレイン王子と歓談しているのが見えた。
──よかった……
ジャネットはその様子を見て、心底ホッとした。シルティ王女はジャネットが心配するまでもなく、きちんと自分の存在をアピールできているようだ。
クレイン王子とシルティ王女、それにエリック殿下やどこかの王女、ご令嬢、ジャネットの知らない男性達が次々と輪になるのが見えた。




