ジャネット、新たな変人に出会う
部屋に戻ったジャネットは、まずは自分の荷物の整理をしてすごした。
トランクから畳んだドレスを取り出すと、手で丁寧に皺を伸ばしてクローゼットにかけてゆく。身に着けるものは皺にならないようきちんと手入れをするようにと、アマンディーヌはよく言っていた。そんなきめ細やかなことの積み重ねが、揺るぎない美しさを作るのだと。
潰れてしまったレースの飾りは手で起こしてふんわりとさせる。何かに集中して作業していると、嫌なことを忘れられる。ジャネットは淡々と作業を続けた。そのせいで、思った以上に作業は捗ってしまった。
全ての荷物を片付け終えると、トランクの一番下に仕舞われていたノートに気付いた。中を開いてみると、中にはびっしりとシュタイザ王国について調べたことが書いてあった。シルティ王女に今回の外遊に合わせ、ジャネットが事前に自分なりに調べてまとめたものだ。衣装の作りもルロワンヌ王国とは少し違うし、食事も違うことが書かれている。
「……しっかりしないとね」
ジャネットは自分自身の頬をピシャリと叩いた。ジャネットが今回の外遊に同伴した目的はシルティ王女の恋の応援であって、その他の何物でもない。こんな私的なことに落ち込んでる場合ではなく、しっかりしなければと思った。
夕食の晩餐会では、事前にリサーチしたとおり沢山の魚介類の料理が出てきた。ルロワンヌ王国でも魚介類は食べるが、それほど頻度は高くない。ジャネットはシルティ王女が迷っていそうなときは耳元で作法を囁き、サポートする。
会場には多くの給仕人に混じり、明らかに給仕人ではない人間が皆の様子を眺めていた。きっと、未来の王太子妃として相応しいか礼儀作法やその態度、会話などをチェックしているのだろう。
シルティ王女の目の前に座っていたのは、シュタイザ王国の公爵令嬢だった。ジャネットと同じ十八歳だと自己紹介したそのご令嬢は、この国では有力な王太子妃候補なのだろう。艶やかな髪を縦ロールで巻いていて、きつい雰囲気の美人だ。
「やっぱり、あの絵は素晴らしいわよね。あの青色を出すのは何だったかしら──」
シルティ王女のことをライバル視しているのか、わざとこちらが分からないであろう質問を度々投げかけてくる。
ジャネットはチラリとシルティ王女を見た。絵の具の青色を出すのに最近使われ始めたのは、シュタイザ王国のレザン地方で取れる鉱石を粉末状に砕いて混ぜ込む手法だ。レザンブルーと呼ばれる鮮やかな色が出るとされていることを、ライラック男爵の授業で習った。
「たしか、鉱石を砕くのではありませんでしたか?」
シルティ王女はそう言うと、目の前のご令嬢ににこりと微笑む。それ以上は出てこなかったけれど、座学が苦手なシルティ王女なりに相当頑張って覚えたのだろう。
「レザン地方で採れると聞きました。こちらではよく使われているのでしょうか?」
「え? ええ、そうよ」
ジャネットも助け舟を出すと、まさか詳しくこちらが答えられるとは思っていなかったそのご令嬢は意表を突かれたような顔をして、気まずげに顔を背けた。そんな様子も室内を歩き回る例の人間達がチェックしていた。
ジャネットは、このご令嬢はシルティ王女の相手にはならないと判断した。
そんな感じで初日を過ごし、今日は二日目だ。
今夜は件の誕生日パーティが開催される。昼間の時間を縫ってシルティ王女達はクレイン王子やフランソワ-ズ王女とのお茶会をしているので、暇を持てあましたジャネットはまず図書館に行った。そして、シュタイザ王国のことを調べたノートに載っていない情報を色々と加筆した。もしもシルティ王女がシュタイザ王国の王太子妃になれたら、きっと役に立つと思ったのだ。
「まだ時間があるわね。散歩でも行こうかしら」
一通りの作業を終えたジャネットは、一人で庭園に散歩に向かった。そうして向かった庭園で、ジャネットは一人でベンチに腰掛けた。
クレイン王子の誕生日パーティに合わせて多くの来賓が集まっているため、庭園は今日も様々な衣装に身を包んだご令嬢で溢れていた。多くのご令嬢は美しく着飾っており、ツンと澄ました顔で散歩を楽しんでいるように見える。しかし、正確には散歩を装って周辺国の送り込んだライバル達の程度の品定めをしているのだろう。その様子を眺めながら、ジャネットは色々な国のご令嬢の格好や化粧の仕方を観察してメモしていった。
作業をしながら、ふと昨日アランと庭園を訪れたことを思い出した。ここにいるのは高貴な身分の方だろうから、きっと母国の最先端の流行を取り入れたお洒落をしているのだろう。こんなに多くの国の着飾った王女やご令嬢を間近で見れる機会など、きっともうない。皆、とても綺麗だ。
『ジャネット嬢。綺麗になりたかったら、美人を見習いなさい』
以前、アマンディーヌにそんなことを言われたことを思い出した。あの頃に比べて、自分は少しは綺麗になれただろうか?
──でも、綺麗になったところでアラン様にはお好きな方がいらっしゃるみたいだし……。
そんなことが脳裏に過り、ジャネットは慌てて頭を振る。
──今はシルティ王女のサポートよ! 決戦は今夜なんだから。
ジャネットはそう自分に言い聞かせた。
そうやって、泣きそうになる自分を叱咤した。
どれくらい経っただろう。ふと目の前に影が差してジャネットは顔を上げた。目の前に、見知らぬご令嬢が佇んでジャネットを興味深げに眺めている。
「? わたくしに何か?」
ジャネットは目の前のご令嬢を見つめ返した。
上品な衣装に身を包んだこのご令嬢の隙がなく化粧が施された顔は、人形のように整っている。煌めく金の髪を美しく結い上げ、その髪にはレースとクリスタルがふんだんにあしらわれた大きめの髪飾りが飾られていた。
ほっそりとした腰から大きく膨らんだドレスは何重にも裾が重ねられており、見ただけでその豪華さに息を飲むほどだ。色は赤みを帯びた濃いピンクだが、目の前の少し勝ち気な雰囲気のご令嬢にはとても似合っていた。胸元はドレスに合わせたであろう、ルビーとダイヤのネックレスが輝いている。
つまり、要約すると、そこにいたのはとんでもなく豪華な衣装を身につけた極上の美女であった。その上、大きく開いた胸元からチラリとのぞくものを見る限り、ジャネットよりも随分と育ちのよいお胸をしていて羨ましい限りである。
ジャネットはそのご令嬢を見て、すぐに只者ではないと判断した。この豪華なドレスと装飾品、そしてこの佇まいは相当な身分の高さを窺わせた。有力貴族、ひょっとしたら来賓のどこぞの王族である可能性も否定できない。すぐ立ち上がると練習に練習を重ねた美しい笑みを浮かべ、優雅にお辞儀をする。
ご令嬢は淡いグリーンの瞳でジャネットを眺めていたが、訝し気に眉をひそめた。
「なぜ泣きそうな顔をしていたの?」
「え?」
「さっき、泣きそうな顔をしていたわ」
そう言われ、ジャネットは自分の頬を指で触れた。涙は出ていない。慌てて表情を取り繕い、にこりと微笑んで見せる。
「お見苦しいところをお見せしました。つまらないことです」
「つまらないこと?」
ご令嬢は少し首を傾げて見せたが、すぐにジャネットの顔をまじまじと見つめた。
「あなたはシルティ王女のお供の方よね? 昨日見かけたわ」
昨日は晩餐会があり、ジャネットも参加した。来賓の王女や貴族令嬢達が多数いたから、きっとこのご令嬢はその中にいたのだろう。
「わたくしはシルティ殿下のお付きの者を務めさせていただいております、ルロワンヌ王国ピカデリー侯爵家のジャネット=ピカデリーでございます」
「そう。さっきのお辞儀、とても美しかったわ。角度も理想的」
「ありがとうございます」
なんだろう、このデジャブ。
いつぞやの誰かさんと同じことを言っている。
ジャネットは微笑みを崩さぬように、無言でにっこりとご令嬢を見つめ返した。
「その笑顔もいいわ。完璧に左右対称で、柔らかくて素敵ね。ドレスも似合うものをしっかりと選んでいるし。──化粧がもう一工夫いけるかしら」
ご令嬢がくいっとジャネットの顎に手をかけて顔を上げさせた。
ジャネットは確信した。このご令嬢、見た目は美しいが相当な変わり者である。多分変人だ。しかし、相手はどこぞやの高位貴族。シルティ王女に迷惑がかかるかもしれないから、無下にするわけにはいかない。
「ところで、何故泣きそうな顔をしていたの?」
「……」
「よかったら話してくださらない?」
普段だったら絶対に初対面のご令嬢にこんなことを話したりしない。きっと、精神的に参っていたんだと思う。異国のご令嬢だったら話したところでなんの影響もないかな、などと安易に考えてしまった。
「実は──」
ジャネットはつい、話してしまった。
ずっと好きだと伝えている男性にアタックし続けていたけれど、実は相手には最初から想い人がいたらしいこと。
その男性は今回シルティ王女に同伴する騎士であること。
相手もこの誕生日パーティに参加する異国の女性なこと。
そして、今夜はその二人の逢瀬を見せつけられるかもしれないと。
それを静かに聞いていたご令嬢の表情がみるみる険しくなる。
「酷い話ね。あなた、悔しくないの?」
「え?」
「だからっ、そんな扱いをされて悔しくないの? 想い人が居れば最初からあなたの想いを断ればいいのに、酷い話だわ!」
「あの……」
ジャネットは継ぐ言葉が出てこなかった。
確かに、このご令嬢の言うとおり、なぜ最初に一言『好きな人がいるから気持ちには応えられない』と言ってくれなかったのかと、恨めしくは思う。
「酷いわよ! そんなの許せないから、見返してやるのよ! わたくしに任せなさい!!」
「……へ?」
拳を握ってご令嬢は声高々に宣言した。想像だにしない展開に、ジャネットは呆気に取られてポカンと口を開けたのだった。




