ジャネット、異国の地で失恋する
シュタイザ王国は芸術と音楽を愛する国。
それ故、庭園も素晴らしかった。完全に左右対称に整備されており、中央に大きな噴水、左右にも小さな噴水がいくつもある。上から見ると円形を描くように芝生が貼られ、完全に同じ高さに揃えられた植栽が幾何学模様を描いていた。花も色ごとに形を描くように植え付けられていた。
「素晴らしいですわね」
「そうだな。話には聞いていたし、絵も何回も見たけれど、実物は初めてだ」
アランは庭園の様子を興味深げに見渡す。庭園にはところどころに白い彫刻が置かれていた。きっと、シュタイザ王国お抱えの美術家が作成した逸品なのだろう。一通り散策したジャネットとアランは、ベンチに腰掛けた。
クレイン王子の誕生日パーティに合わせて多くの来賓が集まっているため、庭園は様々な衣装に身を包んだご令嬢で溢れていた。多くのご令嬢は美しく着飾っている。
「あの方の衣裳、面白いですわね」
ジャネットはふと目に入ったご令嬢が着ているドレスに目を奪われた。袖の部分が、風船のように膨らんでいる。その膨らみは上腕部分で終わり、肘から下はぴったりとしているのだ。初めて見たし、とても面白い。
「あれはジゴ袖だな」
「ジゴ袖?」
「うん、そう。肩から大きく膨らませて袖に向かって細くなるのが特徴なんだ。シュタイザ王国では流行っているらしい」
「へえ。よくご存じですね?」
「友人に教えてもらった。ルロワンヌ王国の流行はシュタイザ王国から来ることも多いから、そのうち流行るかもな」
美容アドバイザーなんてものを名乗っていると、随分と流行に詳しい友人がいるものなのだな、とジャネットは感心した。先日の歌劇の際は次の流行は濃い色の布にレースを重ねると聞いたが、さらに次はあの大きく膨らんだ袖なのかもしれない。ジャネットは早速手持ちの鞄からメモ帳とペンを取り出し、そのご令嬢が着ているドレスをスケッチして説明書きを記入していく。その後も初めてみるものが沢山あって夢中でメモを取っていると、横でクスっと笑う気配がした。
「メモ帳とペン、役に立っただろ?」
「え?」
ふと隣を見るとアランと目が合い、視線で手元のメモ帳とペンを指された。柔らかく微笑まれてトクンと胸がなった。
「そろそろ殿下達がお戻りになる。遅れないように俺たちも戻ろう」
「そうですわね」
ジャネットは赤くなった頬を見られないように、慌てて立ち上がって歩き始めた。
ジャネットとアランが部屋に戻ってから少しもしないうちに、シルティ王女は部屋に戻ってきた。
「おかえりなさいませ。皆様にご挨拶は出来ましたか?」
「ええ。久しぶりにお会いしたのだけど、皆様お変わりなくお過ごしだったわ。クレイン様、わたくしのこと覚えて下さっていたのよ。『しばらく見ない間に素敵なレディになられましたね』って言って下さったの! うふふっ」
シルティ王女はほんのりと頬を染めて嬉しそうにはにかんだ。嬉しそうなシルティ王女を見たら、ジャネットもなんだか自分のことのように嬉しくなった。
「よかったですわね」
「ええ、ありがとう! それに、フランソワーズ様もいらしたの」
シルティ王女とはそこまで言うと、くるりと振り返ってジャネットとアランを見つめた。
「フランソワーズ様って、相変わらずとってもお綺麗なのよ」
「そうなのですね」
ジャネットはにこりと微笑んだ。事前に勉強してきた知識から、フランソワーズ様というのがこの国の王女の名であることはすぐに分かった。以前、クレイン王子と一緒にルロワンヌ王国を訪れたという王女がその人なのだろう。
「クレイン様も素敵だったわ」
小さな声でそう付け加えたシルティ王女は、ほんのりと頬を染める。
「お二人と滞在中に個別にお茶をしましょうって約束したの。ねえ、アランお兄様も同席してくださいね」
「俺もですか? 許可を頂けるなら、喜んで」
──アラン様も?
ジャネットは訝しく思ったが、そう言えばクレイン王子一行が来た際にアランも会ったことがあると言っていたことを思い出した。その時に知り合ったので誘われたのだろう。
「フランソワーズ様、アラン様が来ることを事前に聞いていたみたいで、会えるのを凄く楽しみにしていたわ」
「そうですか。俺も彼女とは話したいことが沢山あります」
アランはにこりと微笑んだ。
ジャネットは急激に胸の内にモヤモヤしたものが広がるのを感じた。
今までアランが親しい女性と言えばシルティ王女しか知らなかった。けれど、どうやらそのフランソワーズ王女なる人とはそれなりに親しいようだ。表面上は平静を装っているが、どことなく嬉しそうにしているのが感じられる。
その時、ジャネットは以前シルティ王女がアランが親しくしていた女性が外国にいると漏らしたことを思い出した。
「もしかして、以前にシルティ様が仰っていた『アラン様が親しい女性』というのはフランソワーズ王女殿下のことですか?」
「あら、よく覚えていらっしゃいましたね。そうなんです! わたくし、今日まで知らなかったのですが、アランお兄様とフランソワーズ様ったら、お会いしていない間もずっとお手紙のやり取りをしていたそうで」
ねえ、っとシルティ王女がアランを見上げると、アランは秘密がばれてしまったといった様子の少し困ったような表情をして、シルティ王女を見返す。ジャネットは俄かには信じがたい気持ちで眉をひそめた。
未婚の男女の定期的な手紙のやり取り……それは俗にいう、愛し合う者同士の恋文の交換と言うやつではなかろうか?
【一国の王女と隣国の公爵家次男で現役近衛騎士との許されざる恋】
そんな恋愛小説のようなシチュエーションがジャネットの脳裏に浮かんだ。
「……そうなのですか?」
「ああ、フランソワーズ殿下とは気が合うと言うか──」
アランが少し照れたようにはにかむ。
「フランソワーズ様はアランお兄様にとって特別な人ですものね」
シルティ王女もそう言って、屈託なく笑う。
「そうだわ。よろしかったらジャネット様もご一緒なさらない? フランソワーズ様は絶対にジャネット様のことを気に入ると思いますわ」
アランの照れたようにはにかむ顔が脳裏にこびりつき、『特別な人』というくだりが妙に鮮やかに耳に響いた。女性の話でこんな表情をするアランを、今まで一度も見たことがなかった。
ジャネットは崩れ落ちそうになる足元にグッと力を入れた。
全く知らなかった。アランは隣国の王女と許されない恋仲だったのだ! まあ、こんなことがおおっぴらに出来るはずもないから、ジャネットが知らなかったのも無理はないのだが。デートに誘われたと浮きたっていた気持ちが急激に冷え込むのを感じた。きっと、お勉強がてら連れ出しただけなのだ。それなのに、一人浮かれてなんと馬鹿なのだろうと自分に呆れてしまう。
ジャネットは首をふるふると横に振った。
「いいえ。外国の王族の方達とお茶など、わたくしには恐れ多くて」
「そう? でも、クレイン様もフランソワーズ様も、とっても気さくな方なのよ? いつもお一人でフラフラしてるし。それに、ジャネット様が居てくださったらわたくし、とても心強いのだけど……」
正直、勘弁して欲しいと思った。今、仲睦まじい二人の様子などを見せつけられたらきっと泣いてしまう。というか、既に泣きそうだ。
「残念ですけれど、ご遠慮いたしますわ。──申し訳ありません。あの……わたくし、少し疲れたので部屋で休んでいます」
シルティ王女はがっかりとしたような表情を浮かべる。一方のアランはジャネットを見つめて眉をひそめた。
「ジャネット嬢、少し顔色が悪くないか? 体調が悪いのか? 部屋まで送って行こう」
「あら、部屋まで一分もかかりませんわ。わたくしは大丈夫です」
普段なら大喜びするような申し出も今はただ辛いだけだ。胸がズキリと痛む。ジャネットは笑顔でお断りすると、一人でその場を後にした。




