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【書籍化】ひょんなことからオネエと共闘した180日間【コミカライズ】  作者: 三沢ケイ
第一幕 婚約者は浮気性? 地味女が目覚める魔法のレッスン
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レッスン2 美しい姿は姿勢のよさから

 ジャネットは顔が地味であろうが体が貧弱であろうが、生粋の侯爵令嬢だ。今までは小鳥のさえずりで目を覚まし、合図をすれば侍女が水の入った盥とタオルを持って現れた。着替えも侍女の手を借り、化粧も髪の毛のセットも侍女、朝食も侍女が頃合いを見計らって部屋まで運んできてくれた。

 それが生まれてから十八年間も続く、ジャネットの日常なのだ。


 そんなわけで、その日もジャネットは心地よい眠りの中でまどろんでいた。ふわりと風がふき、おろし立てのシーツの匂いに混じり、少しだけ香るフローラルな香り。ジャネットはその香りに引き寄せられるように無意識に手を伸ばした。温かい……誰かの手……


「ちょっと。起きなさい」


 その手が頬を優しく撫でる。気持ちいい。


「うぅん。……もうちょっと」

「ダメよ。起きて」


 撫でていた手がジャネットの頬を軽く叩く。でも、痛くは無い優しい叩き方だ。


「もう少しだけ……」

「起きろって言ってるのよ、この洗濯板女がー!」


 突然、怒声が響きスコーンと音がする。同時に、眉間の辺りにビシッと鋭い痛みが走った。


「い、痛いっ!」

「いつまでもダラダラ寝てるからよ。さっさと起きなさい!」


 ベッドの前で仁王立ちして阿修羅像の如くこちらを見下ろしているのはアマンディーヌだ。今日も完璧に施した化粧で文句なしの美しさ。体型は明らかに男だけど。

 どうやら、ジャネットは寝ぼけているうちにアマンディーヌにデコピンを食らったらしい。


「な、何をなさるの! レディの部屋に朝から押し入るなんて!」

「アンタが初日から姿を現さないってシルティ王女殿下が心配してるから見に来たのよ。文句言うならちゃんと起きなさい!」


 アマンディーヌに叱咤され、さすがのジャネットも一気に目が覚めた。

 よくよく部屋を見渡せば、ピカデリー侯爵家の淡いブルーに統一されたジャネットの部屋とは明らかに違う光景が広がっている。昨日の記憶が蘇り、ジャネットはサーッと血の気が引くのを感じた。ジャネットは今日から行儀見習いでシルティ王女殿下付きになったのだ。


 王女殿下付き侍女の朝は早い。シルティ王女が起きる前に身支度を完璧に整え、王女殿下が朝気持ち良く起きられるように準備しなければならないのだから。行儀見習いも似たようなもののはずだ。それが、ジャネットは初日からどうやら、いや、間違いなく寝坊したらしい。


「まあ、大変だわ! アマンディーヌ様、もっと早く起こして下さいませ」

「はぁ!? 何言ってるのよ。わたしはアンタの三倍ぐらい準備に時間がかかるんだからね。なんでわたしがアンタのこと起こさないといけないのよ」


 呆れたように見下ろすアマンディーヌをジャネットは見上げた。完璧に塗られた化粧は一切の隙が無く、髭の剃り残しなどはもちろんない。艶やかな長い金髪は天に向かって見事に盛られており、その一部だけが結われずにほつれて落ちているのがかえって色っぽく見える。そして体にはぴったりと合った豪華なドレス。残念ながら、ここはノーコメントとしておく。

 確かにこれを準備するのは一時間やそこらでは済まなそうである。ジャネットはコホンと咳払いをして、アマンディーヌに向き直った。


「これは失礼しましたわ。準備してすぐに参ります」


 自分自身が侍女のようなものなのだから、ジャネットの世話をする侍女は当然ながらいない。ジャネットはすぐに着替えようとその寝間着に手をかけた。


「ちょっ、待ちなさい! わたしがいるのになに脱ごうとしているの!」


 焦ったようにアマンディーヌが叫ぶ。ジャネットは訝し気にアマンディーヌを見つめた。


「だって、アマンディーヌ様の心は乙女でしょう?」


 ジャネットにとって、同性の人前で脱ぐことなどなんの抵抗もない。着替えや風呂ではいつも侍女たちの前で素っ裸になっているのだから。目の前のアマンディーヌについても生物学的には男だが、心が乙女なら問題ないと思ったのだ。


「それはそうなのだけど、これはまずいわ」


 なぜか狼狽えたように慌てて出て行ったアマンディーヌを眺めながら、ジャネットは首を傾げたのだった。



***



 この日、準備を終えてシルティ王女の元を訪れたジャネットは、初めて自らの任務内容を聞いて目を丸くした。


「シルティ様と一緒に教育を受ける……ですか?」

「そうよ。殿下は日々辛い教育を受けて、とても大変な思いをされているのよ。この辛さを乗り越える同士を求めていらっしゃるの!」


 アマンディーヌが手に持っていた扇をパシンと閉じた。椅子に座ってらっしゃるシルティ王女はうんうんと首を縦に振っている。


「と言うことで、ジャネット嬢にはシルティ王女殿下と一緒に毎日数時間、教育を受けていただくわ。いいわね?」

「はい。承知致しましたわ」

「ふふっ。よろしくね、ジャネット様」


 シルティ王女が嬉しそうににっこりと笑う。

 行儀見習いと言うからには侍女のまねごとかと思いきや、ジャネットについてはそうではないようだ。シルティ王女がいつか他国の王族に嫁いでも恥ずかしくない教育を受ける上での、同士ということらしい。

 と言っても、全てを一緒に受けるわけではなく、どれを受けさせるかはアマンディーヌが采配するようだが。そして残りの時間は他の侍女と共に働くことになる。


「では、早速始めるけれど、まずはこれを」


 アマンディーヌから布の袋に入れられた小さな袋が手渡された。シルティ王女も同じ布の袋を受け取っている。


「これはなんですの? おもちゃかしら?」

「これはこうするのよ」


 眉を潜めるジャネットに、シルティ王女はその袋を頭に載せて見せた。シルティ王女の頭の上にちょこんと小さな布袋が乗った、何ともおかしな格好だ。アマンディーヌがゴホンと咳払いする。


「いいこと? 美しい立ち姿、座り姿は姿勢のよさがものをいうのよ。常に頭のてっぺんを糸で吊されていると意識して行動するの。手始めがこの布袋よ」


 アマンディーヌはジャネットが持っている布袋を手から取り、それをジャネットの頭の上に置いた。


「これからは基本的にこの布袋を頭に載せて行動して貰うわ。勿論、俯かなければならないときは除くけれど、背筋が伸びた美しい姿勢をとっていれば、これは落ちないはずなの。普段から俯いて背筋が丸まっていると、出るところも出ないわ」


 そう言いながらアマンディーヌの視線がチラリと自分の胸元に移った気がしたのは気のせいだろうか。うん、気のせいだと思おう。

 ジャネットは確かに、地味な見た目と婚約者にないがしろにされている劣等感から俯いていることが多い。背筋も知らずと丸まっているかもしれない。これは、それを治すいい機会なのではないかと思えた。


「分かりましたわ」


 ジャネットはコクリと頷く。その拍子に布袋がポトリと落ち、ジャネットは慌ててそれを頭に載せ直した。


「あ、そうそう。落とした回数分はペナルティーとして、後で腹筋をして貰うから」


 アマンディーヌが思い出したように付け加える。


「え゛?」


 聞き返した拍子にまた布袋が落ちる。

 そんな重要な情報を後出しするなんて、酷すぎる。舞踏会で必死になってダンスカードの予約を全部埋めて達成感に浸っているところで、本命の麗しの王子様がサプライズ登場するようなものだ。そりゃないよ、オネエさん。


 布袋が床に転がったのを見たシルティ王女が「あらっ」っと呟いた。自分のものは落とさないように器用に屈んでそれを拾い、またジャネットの頭にそっと載せた。そして、ジャネットの両手を白く美しい手で包み込むように握りしめた。


「ジャネット様。このペナルティーがなかなかキツいのです。でも、ジャネット様という同士が出来て、わたくしも頑張れそうですわ!」

「え゛え゛!?」


 そこでジャネットは閃いた。これは三秒ルールの適用案件に違いない。


「これ、もしかして三秒ルールですわね!? 三秒以内なら落としても食べていいっていうじゃない?」

「あ゛あ゛!?」


 オネエの眼光が鋭く光る。


「まあ、世の中にはそんな決まりがあるの? わたくし、これまで知らずに捨てていましたわ」

「んなわけないでしょう? アンタ、喧嘩売ってるの?」

「いえ、オホホ。滅相もない。シルティ様、ほんの冗談ですわ」

「あら、冗談だったのね」


 シルティ王女は納得したようにふわりと笑う。王女殿下が落ちたものを拾い食い。そんなことを教えたら諸外国の笑いものになること間違いない。しかもそれを教えたのが自分とバレたら? ない、この策は残念ながら却下だ。最悪の場合、ピカデリー侯爵家の存続に関わる。


 ジャネットは更に名案を閃いた。落とした回数なんて誰もチェックしてないんだから、誤魔化せばよくない?


「アンタ、不正は許さないわよ」


 アマンディーヌがギラリとジャネットをにらみ据える。


「あら、いやだ。そんなことをするわけがありませんわ。オホホホホ」

「そうよね。わたしとしたことが、失礼なことを言って悪かったわ」


 ジャネットとアマンディーヌがオーッホッホと声高々に笑う。なんだこのオネエ、エスパーか? とジャネットは頬を引き攣らせた。

 その時、動揺からジャネットの布袋が再び落ちた。落ちた布袋を拾ったアマンディーヌはそれをジャネットの頭に載せながら、頬に手を当てる。


「この調子だと今日のジャネット嬢のペナルティーは百回は超すわね……」

「い、いやぁーー!」


 叫んだ拍子にまた布袋がポトリと落ちた。





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