ジャネット、他人の恋に奔走する
布袋を落とさないように背筋をしっかりと伸ばして。まっすぐに前を見て、顎を引いて、口元は少し微笑みを浮かべて──
ジャネットは広い大広間の中を颯爽と一周する。最後まで歩ききってから立ち止まり、にっこりと微笑んで礼をする。それに合わせて、パンッと手を叩く音が大広間に響いた。
「オッケーよ。とてもよくできているわ。敢えて言うなら、まわりにゲストがいることを想像して自然な視線の動きを。わかった?」
「わかりました。気を付けます」
ジャネットが頷くと、アマンディーヌは小さく頷いてシルティ王女に向き直った。
「では、次はシルティ殿下」
「はい」
シルティ王女が緊張の面持ちで足を踏み出す。すると、数歩踏み出したところで、すぐに足元がもつれてその拍子に頭の布袋がコロンと落ちた。
「ストーップ! シルティ殿下。もう少し顎をあげて下さいませ!」
「ご、ごめんなさいっ」
シルティ王女は慌てた様子で布袋を拾い上げた。
ジャネットはむうっと眉を寄せた。このような初歩的なミスは普段のシルティ王女ならまずしない。いそいそと頭に布袋を乗せて歩き始めたシルティ王女は、数メートル進んだところですぐにつまづいて体をよろめかせる。
「シルティ様、大丈夫かしら?」
「うーん、だいぶ緊張しているわね」
心配げに見つめるジャネットの横で、アマンディーヌも頬に手をあてて眉を寄せる。
初の外国での公務への出発は一ヶ月後に迫っていた。
シルティ王女が緊張するのも無理はない。しっかりものの王女とは言っても、まだ弱冠十六歳の少女だ。初めての外交が大国の王太子殿下のパートナー探し。しかも、議会の貴族達がシルティ王女がシュタイザ王国で王太子の心を射止めてくることを望んでいることは明らかだ。さらには、多くの国々の王族と顔を合わせることになり、諸外国との橋渡しの大舞台になる。
あの小さな体で、シルティ王女はプレッシャーに押し潰されないように必死に戦っているのだ。
「あと一ヶ月……」
ジャネットは小さな声で呟く。シュタイザ王国の王太子の誕生パーティーへ向かうのは一ヶ月後に迫っている。その大役を代わってあげることはできないが、なんとか緊張を解すことは出来ないだろうか。
「アマンディーヌ様。リラックス効果があるハーブティーはカモミールでしたかしら?」
「そうね、あとはラベンダーやレモンバームなんかも効果的ね」
後でお部屋に戻ったら、甘いものでも用意して美味しいハーブティーをいれて差し上げよう。ジャネットは表情を強張らせるシルティ王女を見てそう思った。
***
「ああ、もうっ! わたくしったら駄目ね」
部屋に戻るや否や、シルティ王女はがっくりと肩を落として項垂れた。頭に乗った布袋はコロコロと転がり落ち、ティーカップにぶつかって止まった。ジャネットはその布袋をそっと端によけると、ティーポットからハーブティーを注ぐ。独特の優しい香りが湯気に乗って広がってゆく。
「シルティ様はとても頑張ってらっしゃいますわ」
「でも、今日はだめだめだったわ」
「あと一ヶ月もあるのだから、今からイメージトレーニングしておけば大丈夫ですわ」
「イメージトレーニング……」
シルティ王女が黙り込んだので不思議に思ったジャネットはふとシルティ王女に目を向けてぎょっとした。大きな瞳は潤み、頬はピンク色に紅潮している。
「あのー、シルティ様?」
ジャネットの呼び掛けに応えるようにシルティ王女は両手で顔を覆った。そして、いやいやと言うように首を左右に振った。
「イメージなんて無理よ! だって、クレイン様ってとても素敵なのよ!」
「素敵?」
「かっこいいのはもちろん、とてもお優しいの! 前にルロワンヌ王国にいらした時は、一番年下だったわたくしをなにかと気遣って下さって。馬乗りで置いてきぼりにならないようにゆっくりあわせてくれたり、今思えば子供っぽい話題に笑って付き合って下さったり──」
「はぁ」
「それにね、とっても優しい目をしているの! 綺麗な緑色で、まるで吸い込まれそうなのよ」
うっとりと夢見心地に語るシルティ王女を見て、ジャネットは衝撃を受けると共に確信した。
シルティ王女は隣国の王太子に恋している!
そもそも、綺麗な緑色の瞳の人ならすぐ近くにいるはずである。アマンディーヌ及びアランの瞳の色だ。それなのに、毎日見るアマンディーヌの瞳には何も感じず、クレイン殿下の瞳には吸い込まれそう……。これはもう、間違いない。
これは一大事である。シルティ王女はルロワンヌ王国で唯一の王女という立場上、自由恋愛はほぼ不可能だ。国の利益になるいずこかに政略結婚で嫁ぐしかない。シルティ王女自身もそれをわかっているはずだ。
だがしかし! ジャネットは気付いてしまった。このうら若き王女も一人の乙女なのである。恋をすることもあれば、想う人がいても何ら不思議はないのだ。そして決意した。これは自分が一肌脱ぐしかないと!
「シルティ様はクレイン殿下をお慕いしているのですね?」
「お慕いしているというか……。あんな方が将来の旦那様だったら素敵だとは思うわ」
「それが、お慕いしているということですわ!」
ジャネットはしっかりとシルティ王女の手を握る。ジャネットの恋愛スキルは限りなくゼロである。しかし、応援する気持ちに嘘偽りはない。自身の恋愛スキルはとりあえず置いておいて、シルティ王女を応援したいと思ったのだ。
「わたくしに任せてくださいませ! 必ずやクレイン殿下の心をシルティ様に向けるべく、全力でサポートさせて頂きますわ!」
ジャネットはバシンと胸を叩くと力強く拳を握ってみせた。
そして一時間後、ジャネットはアマンディーヌに相談していた。やっぱり、なんだかんだ言ってもアマンディーヌが一番頼りになる。
「──というわけで、シルティ様のサポートをしたいわけです。クレイン殿下のお好みにシルティ様を仕上げる方法を教えて下さいませ」
大真面目な顔で訴えるジャネットを、アマンディーヌは呆れたように見返した。
「本気で言っているの? シルティ殿下はあのままでいいわ」
「あのまま?」
「だって、考えてもみて。一時的に興味を惹かせたいのではなくて、結婚する相手、ましてや想いを寄せている相手なのよ? 無理に取り繕ってもシルティ殿下自身、後が辛くなるだけだわ」
──無理に取り繕っても後が辛くなるだけ?
ジャネットは首をかしげた。
そして、自分自身に当てはめて考えてみた。もし、アランがきゃぴきゃぴしたパーティーピーポー系が好きだとしたら? もちろん、ジャネットは一時的にそれを演じることは出来る。けれど、一生はきっと無理だ。きっと、仮面を被り続けることが段々と辛くなる。
同様に、シルティ王女もクレイン殿下に合わせて一生猫を被り続けることは難しいのかもしれない。本気で好きであれば、尚更だ。
「では、どうすればいいのでしょう?」
「シルティ殿下はあのままで十分魅力的よ。その魅力をもっと輝かせるために今頑張っているのでしょう? 本来の自分の魅力をわかって受け入れてくれるのが、一番幸せなんだから」
「──確かに、そうですわね」
シルティ王女は同性のジャネットから見ても、とても魅力的な女の子だ。明るく、天真爛漫。けれど、自分の役割をしっかりと認識しており、やるべきことはしっかりやる。決して弱音は吐かず、頑張り屋で、優しい性格。おまけに美人さんだ。
「じゃあ、わたくし、シルティ様をサポートすべくこれまで以上に頑張りますわ!」
「そうね。多分、シルティ殿下をリラックスさせるのは一番ジャネット嬢が適任なのよ。頼んだわよ」
「任せて下さいませ」
ジャネットはぱぁっと表情を明るくし、頷いた。リラックスさせる以外にも、シュタイザ王国の文化やご婦人の流行などを調べておくことなど、ジャネットにも手助け出来ることはいくつかある。
ジャネットは、これまで以上にやる気をみなぎらせたのだった。




