ジャネット、ダンス地獄の刑に処される
今夜は豪華な宮廷舞踏会。
豪華絢爛な大広間にはシャンデリアが煌々と煌めき、ムードを盛り上げるのはオーケストラが奏でる特上のメロディ。そんな中、ジャネットはダンスを踊っていた。
(……ジャネット嬢、聞いてる?)
踊っているのは、少し複雑な中級ステップだ。音楽にあわせ、足元だけを素早く、けれど、軽快に動かす。上半身はしっかりとホールドを組んで、真っ直ぐにパートナーの新緑色の瞳を見上げた。目が合うと切れ長の目尻が少し下がり、ジャネットはふわりと微笑み返した。
ダンスホールでは皆の注目の的。
だって、『氷の貴公子』とも言われるあのアラン=ヘーベルが、年頃の貴族令嬢を相手に口元に微笑みを浮かべてダンスを踊っているのだから。
「見て。アラン様が踊ってらっしゃるわ。それも、あんなに楽しそうに」
「まあ、本当だわ。あのお方は誰?」
「羨ましいわ」
「あれはピカデリー侯爵家のジャネット様よ。最近、とてもお綺麗になられて」
扇を手に口々に囁き合うご令嬢の間をすり抜け、ダンスを終えたジャネットとアランは手を取り合ったまま、汗ばんだ体の熱を冷まそうと薄暗いテラスへと向かった。
(……ジャネット嬢。ジャネット嬢?)
「ジャネット、素晴らしいダンスステップだった。正直、こんなに短期間で上達するとは思わなかったよ」
「まぁ、うふふっ。それほどでも。アマンディーヌ様の指導の賜物ですわ」
「いや、ジャネットの努力の賜物だ」
真っ直ぐにこちらを見下ろす瞳の奥に熱が孕む。
「ジャネット。今夜のきみはとても魅力的だ」
「アラン様、いけませんわ。こんなところで……」
「もう、我慢出来ないんだよ」
潤んだ瞳で見上げるジャネットの頬に手が添えられた。ゆっくりと秀麗な顔が近づくのを感じて、ジャネットは静かに目を閉じた──
──パチコーン!!
「い、痛いッ!!」
軽ーい音がしておでこに鋭い痛みが走る。咄嗟に手でそこを押さえたジャネットは、鋭い殺気を感じて涙目のまま恐る恐る顔を上げた。
「アンタ、さっきから人の話を聞いてんの? 随分とニマニマして、完全に心ここにあらずみたいだけど」
ドスの効いた声を発し、眼前にズイっと迫って来たのは宮廷お抱えの美容アドバイザー、アマンディーヌだ。ハッとして周囲を見渡せば、隣にいるシルティ王女もキョトンとした表情でこちらを見つめている。
「人が懇切丁寧に教えてるのに、ヤル気あんの!?」
新緑色の瞳の奥には怒りの炎が燃えている。同じ人物が熱を孕んで眼前に迫るシチュエーションでも、これはちょっと違う。ジャネットの求めているのはこれではない。
しかも、なんだかお怒りのようだ。これは早く言い訳しないと不味いことになる。
ジャネットは慌てて表情を取り繕うと、コホンと咳払いをした。
「ほら、アマンディーヌ様が常々から、『うまく踊れたイメージを頭に描きながらステップを踏め』と仰るでしょう? だから、イメージを膨らませておりました」
「上手く踊れたイメージ?」
アマンディーヌが片眉を器用に上げる。
ジャネットは大真面目な顔をしてコクコクと首を縦に振った。決して嘘は言っていない。ただ、妄想をちょっとばかし膨らませすぎただけである。
ジャネットの壊滅的だったダンスの技術は、努力の甲斐あって、初級ステップであればそこそこ見られるくらいまでに上達した。そこで、今度は一歩上の中級ステップの練習をしている。
魅力的な女性として舞踏会会場で視線を独り占めするために、ダンスステップは欠かせない技術だ。さきほど先週習ったステップの動きのおさらいをアマンディーヌより説明され、今はダンス講師の先生が踊る見本を見ていたところだった。
ジャネットは優雅に見本を踊って見せるダンス講師達の様子を眺めながら、それを自分に置き換えてイメージを膨らませていたわけである。ただ、ちょっとばかし上手く踊れたあとのアンナコトやコンナコトまで妄想を膨らませすぎたことは否定できない。しかし、言うと大惨事になることは目に見えているので、決して口には出さない。
「本当かしら? 嘘くさいけど?」
「本当ですわ」
「ふうん?」
アマンディーヌは探るように目を細めた。
「わかったわ。じゃあ、まずはジャネット嬢から踊ってみて」
アマンディーヌは大広間を手のひらで指し示した。広間の中央には、ついさっきまでシルティ王女とジャネットに見本を見せるために踊っていた、ダンスの講師がいる。
アマンディーヌがジャネットに前に出るように促したのを見て、ダンスの女講師は一歩後ろに下がり、男講師は片手を差し出した。鼻の下のチョビヒゲがチャーミングな中年の先生である。
「もちろんですわ。見ていて下さいませ」
ジャネットはつんと顔を上げる。
先ほどの妄想では、ジャネットのダンスは完璧だった。あのアラン=ヘーベル(妄想だけど)も虜にするくらい。よって、あの通りに踊れば完璧なダンスが踊れること間違いない。
「はーい。いくわよ。音楽」
アマンディーヌの掛け声で、たった三人のこぢんまりとした音楽隊が演奏を始める。上品な音楽が奏でられると、とたんに本当の舞踏会かのような空気が流れる。そんな中、ジャネットは目の前の男講師に片手をとられ、もう片手を腰に回された状態で向き合った。
軽やかに、美しく。
まるで、宙を舞う蝶のように!
まるで、そよ風に揺れる花のように!!
──か、完璧だわ!
ジャネットは心の内でガッツポーズをした。きっと、この姿を見ているアマンディーヌ、もとい、アランも惚れ惚れしているに違いない。
「ちょっとー! ストップ! ストーップ!!」
大きな声を上げたアマンディーヌがパンパンと手を叩いた。調子よく踊っていたジャネットははたと動きを止める。
「アンタ、なにやってんのよ!」
「先ほど習ったステップですが?」
「全然違うじゃない! それじゃあタコ躍りに元通りだわ」
「タコ躍り……」
ジャネットは納得いかない表情で小さく呟いた。かつてのジャネットはダンスが下手すぎて、ワルツの初級ステップを踏んでいるにも関わらず、タコの創作ダンスをしていると勘違いされるほどだった。完璧なステップのはずがそれに逆戻りだなんて、結構、いや、かなり傷つく。
ジャネットはむぅと口を尖らせた。
完璧な筈なのにおかしい。
いったい、何がいけないのか。
首を傾げて考えること数十秒。
そして、気づいてしまった。
何があのイメージと違っていたかに!
「分かりましたわ! これはアマンディーヌ様が原因ですわ」
「わたしが? それは、どういうことかしら?」
アマンディーヌはジャネットを見つめたまま、眉をひそめた。
「はいっ! アマンディーヌ様がちょっとアラン様を探して来てくだされば、わたくしのダンスも完璧ですわよ?」
「?? ごめんなさい。ちょっと意味が分からないわ」
アマンディーヌは訝しげに眉を寄せ、頬に手をあてた。
「だから、アラン様がダンスのお相手でしたら、わたくしは蝶のように軽やかに踊れるのです。さっきイメージしたから間違いありませんわ。ほらっ、恋は不可能も可能にするって言うでしょう?」
ふふんっとジャネットは胸を張り、得意気に笑う。
「──一つ聞いてもいいかしら? いったいどんなイメージを?」
「やだー、アマンディーヌ様ったら。わたしにそれを聞いちゃいます?」
ジャネットは頬を赤らめて両手で頬を包んだ。眼前に迫るアランの顔が浮かび、キャーっと小さく悲鳴をあげる。
「きっと、このダンスでわたくしは舞踏会の注目の的になっちゃいますわ」
「……このままだと、それは間違いないわね」
「でしょう? さあさあ、早くアラン様を──」
目を輝かせて横を向くと、なぜかアマンディーヌがふるふると震えている。
「あら? アマンディーヌ様、どうされたの?」
「アンタ、このままだとシュタイザ王国でも注目の的になっちゃうのよ」
アマンディーヌが低い声でそういった。
「シュタイザ王国で? まぁ、それは素敵!」
ジャネットは両手を胸の前で組んだ。遠い異国の地で優雅にダンスを踊り、最後に憧れの人から愛の告白。なんて素敵なシチュエーション! これぞ、完璧なる乙女の夢を具現化した状況である。
「アマンディーヌ様、楽しみですわね!」
「テメェ、つべこべ言ってないで真面目にやりやがれー!!」
久しぶりにおネエがキレた。それも、まれに見る大激怒である。
結果、ジャネットはダンスレッスン毎日三時間追加の刑に処されたのだった。




