とある知らせ②
シルティ王女は現在十六歳。ジャネットの住むルロワンヌ王国ではもちろんのこと、多くの国々で成人とされる年齢だ。そのため、シルティ王女は王族の一人として責務を果たすべく、最近多くの公務に参加し始めていた。
そして、シルティ王女は我が国で唯一の王女だ。言わずと知れた最大のミッションは、国のために有益な政略結婚をすることである。いづれは有力貴族に嫁ぐか、諸外国の王室に嫁ぐことになる。そんな中でもシュタイザ王国は友好国であり王太子の年齢も近く、政略結婚するにはとても条件のよい相手であることは明らかだった。
「殿下。アマンディーヌとの特訓の成果を見せるときです」
アランの落ち着いた語り口調がこれが冗談ではないことをしめしており、シルティ王女はコクんと唾を飲み込んだ。
「そのパーティーはいつ?」
「三ヶ月後です」
「三ヶ月後……」
シルティ王女は自分に言い聞かせるように小さく復唱した。
アランによると、近々開催されるこのパーティーには、王太子の誕生日を祝うという名目で、近隣諸国の多くの王室関係者が招待されているようだ。招待状には明記されていないが、王太子の二十歳という年齢、そしてこのように大規模に諸外国を招待している状況から、実質これがシュタイザ王国の未来の王妃選びを兼ねていることは明らかだという。そのため、殆どの近隣諸国が王女、もしくは王室と縁のある公爵家の年頃の娘を参加させるとみられている。
ルロワンヌ王国にとって、今回の誕生日パーティーへの参加において、シルティ王女以上の適任者はいない。
「レイモンド殿下は別の外遊が被っておりますので、シルティ殿下にはエリック殿下が同伴します。護衛の騎士団長は、僭越ながらわたしが務めさせていただきます」
「アランお兄様が? それは心強いわ。ところで、シュタイザ王国の王太子と言えば、クレイン様かしら?」
「そうです。一度我が国にいらしてますが、覚えてらっしゃいますか?」
「もちろんよ! 二年程前だったかしら? お兄様達と一緒に案内したわよね。懐かしいわ。たしか、アランお兄様も一緒に過ごしたわよね?」
「はい。ご一緒させて頂きました」
二人はそこから昔話に花を咲かせ始めた。
話している内容から推測するに、二年程前に、なにかの用事でシュタイザ王国の王太子と王女がルロワンヌ王国を訪ねてきたことがあり、その際にシルティ王女は兄二人と一緒におもてなしをしたようだ。その時、アランも一緒だったらしい。
ジャネットはその際のことをなにも知らない。会話についていけずにぼんやりと二人の様子を眺めていると、アランが不意にこちらを向いた。
「外遊の際だが、ジャネット嬢もシルティ殿下のお付きとして同行してくれ。最近いつも一緒だから、出来るだけ普段と変わらぬ状態にした方が緊張が少ないと思うんだ」
「! はいっ、わかりましたわ」
ジャネットはコクコクと首を振って頷く。
「まあ、ジャネット様も? 嬉しいわ!」
シルティ王女は嬉しそうに両手を顔の前で合わせた。王女殿下の初外遊のお供に指名される。これはとても名誉なことだ。
ジャネットとしては、自分などがそんな大イベントに同行させて貰っていいのかと思わなくもないが、それでシルティ王女の緊張が解れるならお安いご用だと思った。
「シルティ殿下とエリック殿下に同行すると言うことは、ルロワンヌ王国の顔となる。しっかり今まで学んだことを頭にいれて、シルティ王女を頼む」
「はい、わかっております。お任せ下さいませ」
ジャネットはドンと自分の胸を右手で叩く。人間、頼られると俄然やる気が出てくると言うものだ。
そういえば、先日のアマンディーヌが宿題にした本は諸外国の食事のマナーに関する本だった。国によって食事のマナーというものは少しずつ違っており、例えばシュタイザ王国ではお手拭きのタオルの他に、手を清める小さなボールが置いてあると書かれていた。そういうこともしっかりと頭に入れておかないと、シルティ王女に恥をかかせてしまうかもしれない。
***
「アマンディーヌ様! わたくし、ばっちり課題をこなしてきましたわ!」
その日、紅茶の蒸らし時間とお湯の温度の違いによる味の差について勉強し終えたジャネットは、胸を張って声高々に宣言した。シルティ王女の外遊のお付きになると決まってから、ジャネットのやる気はさらにぐんぐんと急上昇している。思わず顔が引き攣りそうな課題の山もなんのその。あっという間にやっちゃうんだから。
「あら、もう終ったの?」
「はいっ! 見てくださいませ」
ジャネットはがさごそと手持ちのノートを取り出した。ノートにはシュタイザ王国の食文化について事細かに纏められている。特筆すべき点は、国家の二方向が海に囲まれているため、肉食文化のルロワンヌ王国と比べてはるかに魚貝料理が多いことだ。魚のほかに、貝や甲殻類も料理に使用するという。それに伴い、食器の形状が少し違っていることなどもしっかりと調べた。
「すごいわね。この短期間で」
「本当だわ、ジャネット様すごい!」
ノートの中身を確認したアマンディーヌは感心したように呟く。横から覗き込んだシルティ王女もその出来栄えに感嘆の声を漏らした。アマンディーヌがパラパラとめくるこのノートは、ページ数にして十枚以上の力作である。
「そうでしょう、そうでしょう! わたくし、やればできる子ですのよ」
「ええ、知っているわ。期待通りね。ジャネット嬢は打てば響くもの」
「え?」
アマンディーヌがにこっと笑う。調子に乗るなと言われるかと思いきや、褒められた。ジャネットは思わぬ反応にほんのりと頬を染める。
「で? 今日は何を聞きたいの?」
ノートをテーブルに置いたアマンディーヌが首を傾げる。ジャネットはうーんと考え込んだ。
【課題を一つこなしたら、アランの好みを一つ教えてもらう】
これは以前、ジャネットとアマンディーヌが交わした約束だ。ところがだ。ジャネットは、前回までに色々と質問し、ことごとく期待ハズレの回答が返って来ている。例えば、こんな感じだ。
質問:「どんなタイプの女性がお好みですか?」
回答:「特に決まったタイプはないわね」
質問:「かわいい系女子とかっこいい系女子はどちらがお好きですか」
回答:「本人の雰囲気にあっていればどちらでもいいわ」
質問:「料理上手な子は好きですか」
回答:「屋敷に料理人がいるでしょ? どっちでも問題ないわ」
ケンカ売ってるのか? と思わず聞きたくなる。今日こそは明確な回答を得てやろうと、ジャネットは考えに考えた質問をした。
「美味しいお菓子が一つあります。アラン様はそれを食べたいと思っています。目の前の女性もそれを食べたいと思っていました。全部ゆずってくれる子と、半分こにしてくれる子はどちらがお好きですか?」
「レディーファーストだから女性に譲るに決まってるでしょ。『ありがとう』とお礼を言ってくれれば、それで十分よ」
なんと! 遂に明確な回答を得ることに成功した!
ジャネットはすぐにお茶のレッスンのお供にしていた菓子皿を見た。調度よくクッキーが一つ残っている。なんというナイスなタイミング!
「アマンディーヌ様、クッキー食べたい?」
「残ってるなら貰うわよ」
「あっ!」
目の前で、アマンディーヌがクッキーをひょいとつまみ上げて、口の中に放り込む。クッキーはアマンディーヌの口の中に消え、もぐもぐと咀嚼されてゴックンと飲み込まれてしまった。
「なんで!」
「なに? もしかして食べたかったの? じゃあ、明日用意しておくわよ」
アマンディーヌがフッと笑う。ジャネットはその表情を見て確信した。
このやろう、わざとだな? わざとやりやがったな!?
「意地悪!」
「はいはい、意地悪ですよ。ちゃんと明日用意してあげるからこれで我慢しなさい」
口に何かをほうり込まれて、あまーい味が広がった。たくさん用意されていた砂糖菓子だ。
──今、あーんされたわ!
「あら、きゃんきゃん煩かったのに大人しくなった。ジャネット嬢は砂糖菓子で大人しくなるのね」
急に黙り込んで大人しくなったジャネットをからかうように、アマンディーヌが笑う。すぐにキッと睨みつけてやったが、赤くなった頬は隠せそうになかった。




