ジャネット、初デートに挑む
好きな人と初めての二人きりのお出かけ。しかも、行き先は人気のロペラ座の大人気公演。座席は王室及び関係者のみが使うことが許されるロイヤルボックスシート!
「うふふふふ……」
もう朝から表情筋が緩みっぱなしである。
嬉しい。嬉しすぎる!
実は昨日の夜は嬉しすぎて殆ど眠れなかった。うとうとしたと思ってもすぐに意識が覚醒し、外を見てまだ夜明け前だと確認して再び布団にはいりこむ。一晩に何度もそれを繰り返し、やっと眠りに落ちたのは夜も白み始めたころだった。
ロペラ座の開演は夕方四時。一時間前の三時にアランが迎えに来てくれるはずである。
ジャネットは一時間もかけて、念入りにお化粧した。お化粧がこんなに楽しいと感じたのは初めてだ。
少しでも綺麗に見せたい。
少しでも魅力的に見せたい。
髪の毛を自分で結い上げるのは苦手だけど、これも頑張った。仕上がりに納得いかずにやり直すこと四回。ほつれ毛などもなくうまく纏まっていると思う。
最後にお出掛け用のワンピースに身を包んで鏡の前でくるりと一回転した。ふわりと裾のスカラップ模様が軽やかに揺れる。じっと自分の姿を上から下まで念入りに確認すると、なんとなく首もとが寂しい気がした。
ジャネットは部屋の隅に置いた宝石箱を開けると、うーんと悩んだ。
ジャネットは殆ど着飾ることをしない人間だったので、アクセサリーを殆ど持っていない。この歳になれば婚約者や恋人から沢山のアクセサリーを贈られるものだが、ジャネットにはそれも一つもなかった。
そんなジャネットだが、父であるピカデリー侯爵は可愛い一人娘のためにと、成人してから毎年一つ、誕生日にアクセサリーを贈ってくれた。だから、十六歳のデビュタントから数えて、十七、十八と、全部で三つのアクセサリーを持っている。白真珠のネックレスとイヤリングのセット、ルビーのネックレスとイヤリングのセット、そして、デビュタントの際に贈られたダイヤのネックレスとイヤリングのセットだ。
「夜だし、ダイヤかしら」
夜の装いということで、アクセサリーは少し輝きが多いものがいいだろう。ジャネットはダイヤのネックレスとイヤリングをつけて、鏡の前でいつも練習する淑女の笑みを浮かべる。口角がくいっと上がり、いつもの自分より魅惑的に見える気がした。
しばらくすると、トントンと部屋のドアをノックする音がした。ジャネットの胸は早鐘を打つ。
「は、はいっ! どうぞ」
緊張で声が上擦る。ドキドキしながらドアの方を見つめていると、カチャンと音がして可愛らしいお顔が隙間から覗いた。
「シルティ様!」
「まあ、ジャネット様! お綺麗ですわ!! とっても素敵!」
シルティ王女はジャネットの姿を確認するなり、両手を口元に当てて満面の笑みを浮かべる。ジャネットは慌ててシルティ王女に駆け寄った。
「わたくし、おかしくないですか?」
「おかしいなんてとんでもない! ジャネット様は、とてもお綺麗です!!」
「アラン様もそう思ってくださればいいのだけど……」
ジャネットは自信なさ気に眉尻を下げる。
正直、ジャネットは目を見張るような美人ではない。化粧をして綺麗になったとは言え、絶世の美女にはなり得ない。それでも、自分のできる限りはしたつもりだった。
「アランお兄様はいつ頃?」
「三時頃にはいらっしゃるはずです」
「そう、楽しみね! ジャネット様は本当にお綺麗ですから、きっとアランお兄様もびっくりするわ」
シルティ王女はアランの驚く様を想像したのか、くすくすと笑った。
シルティ王女が様子を見に来てくれて、正直助かった。がちがちに緊張していた心がすーっと解れていくのを感じる。シルティ王女が部屋を立ち去ってから三十分後、再びドアがノックされた時、ジャネットは随分とリラックスして対応することができた。
「はいっ」
笑顔でドアを開けたジャネットは、目の前の人を見てハッと息をのんだ。
見上げる程高い背丈、しっかりと筋肉が付きながらもしなやかな体つき、吸い込まれそうな新緑の瞳。短めの黒髪はサラリと後ろに撫で付けてある。そして、いつもの特注ドレスでも近衛騎士の制服でもなく、黒の装飾少なめのフロックコートを着ており、襟元は少し着崩していた。
──か、かっこいいわ!
アランの騎士服でない正装姿を見るのはこれで二回目だが、明確に好きと自覚した状態でこの姿を見るのは今日が初めてである。殺人的かっこよさである。ジャネットは咄嗟に鼻を覆ってさりげなく指で拭う。よかった、鼻血は出ていない。
「……もしかして、アマンディーヌで来た方がよかったかな?」
硬直したまま見上げるジャネットの様子に、アランは首を傾げて見せた。ジャネットは慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「いいえ! アラン様でお願いします!」
「そう? ならよかった。もう行ける?」
「行けます」
「では、お手をどうぞ」
アランが口の端を持ち上げ、腕を差し出すように肘を折る。ジャネットはそこにそっと手を添えた。布越しに触れる腕はしっかりと筋肉が付いており、ほっそりとした父親やダグラスの腕とは全く違う。それに、いつもアマンディーヌがつけているフローラルな香りとは違う、男性的な香りがすんと鼻を掠める。触れた場所から布越しに熱が広がる気がして、急激に気恥ずかしさが込み上げる。
前回、へーベル公爵家の舞踏会でエスコートしてもらったときはどうだっただろうか。あの時は元婚約者のダグラスにぎゃふんと言わせるという別の理由で緊張していたので、ちっとも覚えていない。
「ドレスやアクセサリーは自分で選んだのか?」
「はい。アクセサリーは殆ど持っていないので一番合いそうなものを選んだのですが、おかしいですか?」
「いや、いいと思うよ」
新緑の瞳が柔らかく細まるのを見て、ジャネットの胸はドキンと跳ねる。『綺麗だ』とは言われなくても、もうこの胸は、先程から高鳴りっぱなしだ。アマンディーヌの時には軽く冗談など交わせるのに、アランの姿だと緊張してしまってどうにもうまくいかない。
「髪も自分で?」
「はい。崩れていますか?」
「今日は大丈夫。──なにか髪飾りを添えれば、より華やかになってよかったかもしれない」
「確かにそうですわね。でも、ちょうどいい髪飾りがないので、今度新調します」
ジャネットは空いている手で自分の髪にそっと触れた。普段はふわふわとして扱いにくい髪は、二つにわけて纏めて結い上げた。後ろ側が良く見えないので気にならなかったが、言われてみれば髪飾りがあった方が華やかだったかもしれない。
馬車に乗り込んでからジャネットはすぐに手持ちの小さな鞄からいつも持ち歩いているメモ帳を取り出し、さらさらとメモをした。
『トータルコーディネートをするときは、髪飾りも忘れずに』
更に、足りないものは揃えようと思って自分が持っている髪飾りを一つ一つ思い出しては、並べて書き出してゆく。夢中で作業していると、ふっと笑うような気配がしてジャネットは顔を上げた。
「どうかされましたか?」
「いや? どうもしない。馬車の中で文字を書くと目が悪くなるぞ」
「あら! それは大変だわ」
ジャネットは慌ててメモ帳をしまった。ただでさえ地味なのに、これに瓶底メガネなどが加わった暁にはクイーン・オブ・ジミ女の代名詞になってしまう。その様子を眺めながらアランが口元を覆って肩を揺らしていたことには気が付かなかった。
ふと外に視線を移せば、いつのまにか馬車は王宮を抜けて窓の外には城下の町並みが広がっていた。




