レッスン1 痩せてりゃいいってもんじゃない
舞踏会の翌日、ジャネットは王宮に呼び出されていた。煌びやかな廊下を抜けた先にある、一度も足を踏み入れたことがない王宮の奥深く。通された部屋は可愛らしくピンク系の色に纏められており、目の前の白いタイル貼りのテーブルには色とりどりのスイーツが並べられている。
「ジャネット様。お口に合わないかしら?」
目の前の少女──シルティ王女が心配そうにジャネットをのぞき込む。ジャネットはホホッと笑って首を振った。
「いえ。とても美味しいですわ」
「じゃあ、もっと食べて。料理人が腕を奮ったのよ。わたくしはこれが一番好き」
シルティ王女はマカロンを指さして、ふわりと笑った。白い肌についたピンク色のぷるんとした唇が弧を描く。シルティ王女は現在十六歳。ちょうど少女から大人の女性への変貌を始める時期だ。その笑顔は花がほころぶかのような愛らしさがあった。
「実はわたくし、もうお腹が……」
「アンタ。もっと食べなさいよ。せっかくシルティ王女殿下のお茶会に招待したんだから」
ドスの利いた声が横から響く。ジャネットはビクリと肩を震わせた。恐る恐るそちらを見ると、バッサバッサの長い睫毛の奥の緑眼が睨みを利かせている。
「ええ、ええ。もちろん頂きますわ」
ジャネットはササッと扇を出してオホホと笑った。招待してくれなんて一言もいってませんけど? と心の中で悪態をつきながら。
この日の朝、ジャネットの元に突如、一度も言葉を交わしたことのない王女殿下から、お茶会の招待状が届いた。王女殿下からの直々のご招待など、侯爵令嬢と言えどもそうそうあるものではない。
これは一大事だと慌てて王宮に馳せ参じると、そこには何故か昨日遭遇したオネエのアマンディーヌがいた。まあ確かに彼女は王室のお抱え美容アドバイザーなのだから、王女殿下のところにいても不思議はないのだが。
狼狽えるジャネットに対し、アマンディーヌはジャネットが来たのを見ると満足げに頷いた。
「まず、ジャネット嬢には太って貰うわ」
「太る?」
そこでアマンディーヌに言われた言葉に、ジャネットは眉をひそめた。貴族令嬢の憧れの一つは、折れるように細い腰だ。これを実現させるために絞め殺されそうなほどにコルセットをぎゅうぎゅうに巻いているのだ。太るなど、あり得ない。
「でも、腰が細いことが美しさの条件の一つですわ」
「そうよ。でも、それはちゃんと付くべきところに付いている女性に対して言えることよ。ジャネット嬢は付くべきところにも何も付いてないから、適用対象外だわ。細くても何も魅力を感じない」
ジャネットは遠い目をした。付くべきところ。それはすなわち、昨日鷲づかみにされて揉まれた胸と撫でられた尻のことだろうか。アマンディーヌは閉じた扇を片手で持ちながら、王女殿下の部屋をゆっくりと歩いた。悔しいことに、男とは思えぬとても美しい動きだ。体型は男だけど。
「ジャネット嬢の婚約者のことについて、調べさせて貰ったわ」
「ダグラス様のことを?」
ジャネットは眉をひそめて聞き返した。
「ええ。ダグラス殿は元々手が早いプレイボーイとして有名だけれど、想像以上よ。アンタも中々の手強い男を婚約者に据えたわね。わたしが把握しただけで、現在恋人が四人いるわ。ミレニー夫人、レイル夫人、エリーヌ子爵令嬢、それに、昨日会っていたマリエッタ男爵令嬢。いずれも美女と名高いわ。ミレニー夫人とレイル夫人は婚姻歴もある未亡人だし、きっと手練ね」
「四人!? て、手練!?」
ジャネットは思わぬ情報に思わず両手で口を覆った。
このオネエはいったいどうやって、婚約者であるジャネットですら知らなかった情報を仕入れたのだろうか。しかも、恋人のうち二人は未亡人とは、すなわちそういう関係なのだろう。薄々は気付いていたが、婚約者の下半身のだらしなさに、ジャネットは初めて嫌悪感を感じた。このままでは、冗談抜きに将来のピカデリー候爵家の財産が夫の婚外子を養うのに使い尽くされてしまう。
「で、そんな美女達と夜な夜なめくるめく世界をお楽しみなプレイボーイを骨抜きにしてギャフンと言わせるくらいのいい女になるんだから、覚悟しなさいよ」
アマンディーヌが意味ありげにニヤリと笑う。ジャネットはひくひくと頬を引き攣らせた。
昨日、ジャネットの婚約者のダグラスはあの後暫く会場から姿を消し、ようやくエスコート相手であるジャネットの元に戻ってきたのは二時間後の事だった。相変わらず女物の香水の匂いをぷんぷんとさせながら。
「お待たせしたかな? 悪かったね」
口では謝罪しているが、全く心はこもっていない。決められた所作でジャネットにエスコートの手を差し出すと、顔も見ることなく帰りの馬車に乗り込んだ。
ぐちゃぐちゃになったジャネットの化粧をアマンディーヌが直してくれたので、口紅の色が変わっていたことにも気付かなかった。きっと、ジャネットが顔にピエロの化粧をしていてもこの人は気付かないのではなかろうかと本気で思った。
おそらく、ジャネットが自分に惚れていると高をくくって、ないがしろにしても平気だと思っているのだろう。そんな婚約者を自分にメロメロにさせる? 無理だ。絶対に無理。伝説の魔女が作ると言われる万能ほれ薬でも探し出さない限り、無理に決まっている。
「む、無理だわ」
「あ゛あ゛!? 無理じゃなくて、やるのよ!」
またもやアマンディーヌがドスを利かせてジャネットを睨みつけ、吼えた。本当によく吼えるオネエである。
「とりあえず、劇的ビフォーアフターを演出するために、半年間は婚約者と面会禁止よ。みっちり特訓するために、今日から住み込みでシルティ王女殿下付きの行儀見習いとしてお勤めしてもらうわ」
「え!?」
「安心して。お父上のピカデリー候爵には、話つけといたから」
「ええ!?」
アマンディーヌが胸元からサッと片手に持ってヒラヒラと揺らすのは、『ジャネットを行儀見習いに出すのでよろしく』としたためられた手紙だ。しかも、きっちりと父親の直筆サインまで入っている。本当にこのオネエ、何者だ? とジャネットは恐れおののいた。
「まずは今日の課題よ。出されたお菓子は全部食べて。太るのよ」
「太る?」
「ジャネット様。女性は触り心地が柔らかい方が好まれるらしいですわ。わたくしも近隣の王子様に見初められるように頑張って食べてますの」
シルティ王女がにこにこしながら相槌を打つ。その手にはフランボワーズ味のマカロンが握られている。
ジャネットはチラリとテーブルの上を見た。ソーサーにまだまだてんこ盛りのスイーツが所狭しと置かれている。
「それにしたって、ちょっと多いんじゃ……」
「多くない!」
「そうだわ、アマンディーヌ様。アマンディーヌ様も素敵な男性に見初められるように太らないと。よろしかったら少し、差し上げましょうか?」
愛想笑いを浮かべたまま、ジャネットはソーサーごとアマンディーヌの前に置いてみた。メラメラとアマンディーヌの後ろから怒りの業火が燃えたぎるのを見て、ジャネットはまたもや頬を引き攣らせる。
「てめー、やる気あんのかーー! なんで私が素敵な男性に見初められなきゃなんないのよ!!」
「だって、こんなこと頼んでないですわ!」
「お黙り! この貧弱洗濯板女が! そんなに後ろ向きだからパッとしないのよ!!」
「なっ、なんですってーー!?」
シルティ王女が目をパチクリとさせる。
「ちょっと、お二人ともおやめになって……」
「「黙ってて!」」
「……あ、はい」
シルティ王女がシュンとして引き下がる。この日、二人の怒声は延々と王宮内に響き渡っていたとか。