ジャネット、撃沈する
男性が思わず恋してしまうような『いい女』とは、いったいなんなのか?
これは世の多くの女性達の永遠のテーマである。
なぜなら、『いい女』と思う定義は人それぞれで違う。
仕事もこなして家事もしっかりできるスーパーウーマンタイプをいい女だと思う人もいれば、優雅に微笑む貴婦人タイプをいい女だと思う人もいる。
むっちりボディのセクシータイプを好きだと思う人もいれば、小さな守りたくなるような小動物系タイプを好きだと思う人もいる。
いつもニコニコ笑顔の女性に惹かれる人もいれば、つんと澄ました女性の意外な弱い一面に惚れる男もいる。
とにかく、万人受けする『いい女』など、存在しないことはジャネットにもわかる。それならば、好きな人のタイプを目指したいと思うのは至極真っ当な乙女心。
「アラン様、いったいどんな方がお好みなのかしら?」
ジャネットは小さくため息をついた。
『覚悟して下さいませ』と宣言して少しはアランがジャネットのことを女性として意識してくれているかと思えば、そんなことは全くなし。アマンディーヌはいつものようにレッスンするし、アランとして会えば普段通りに接してくれる。
そう、本当に普段通りなのだ!
「なんとか、女性として見てもらわないと……」
ジャネットは必死に考えた。そして、恋愛スキルが壊滅的にないなりに必死に考えに考えた結果、新たな作戦に出ることにした。題して、『女子力アピールで好きにさせちゃうぞ大作戦』である。
貴族女性に重要な女子力と言えば、第一にマナーであることは言うまでもない。そして、次点に来るぐらい重要なのが、刺繍のスキルである。
ジャネットは実は刺繍の腕には少々自信があった。小さいときからチクチクと小さなものから大きなものまで色々と刺繍した。素敵な刺繍をプレゼントして愛を告白してやろうじゃないか!
「──という作戦ですわ」
「まあ、素敵! アランお兄様もきっとメロメロですわ!」
話した相手が悪かった。相談する方も恋愛経験ゼロなら、相談に乗る方も恋愛経験ゼロなのだ。普通だったらそんなふざけた作戦はやめておけと止めて貰えそうなものだが、ノリノリのシルティ王女は止めるどころかジャネットと一緒に自分も刺繍すると言い出した。
「ジャネット様、何を刺繍されますか?」
シルティ王女は早速刺繍道具を持ち出して、準備を始めた。机の上には色とりどりの刺繍糸が並べられた。王室で使う刺繍糸はどれも最高級品だ。
「そうですわね……。天馬を」
「天馬? 随分と難しいものを刺繍されますのね。凄いわ!」
「ええ、まぁ。意外と得意なのです」
ジャネットは得意気に胸を張る。
天馬とは、背に羽を持った馬のような姿をした、伝説の生き物である。好きな人に女子力の高さを見せつけるために刺すのだから、これくらいはやりたい。
「わたくしは無難にお花にするわ」
シルティ王女は赤い刺繍糸を針に通して微笑む。二人が早速作業に取りかかろうとしたときに、侍女が来客を知らせに来た。
「アマンディーヌ様がお越しです」
「アマンディーヌ様? お通しして」
すぐにシルティ王女が指示する。アマンディーヌはシルティ王女の護衛を兼ねているので、レッスンがない日でも当番の日は来る。アランの格好で護衛任務に来ることもまれにあるが、十中八九はアマンディーヌの格好で来る。
「あら、刺繍?」
部屋に入るなり、アマンディーヌはテーブルに広げられた刺繍道具に気付いて興味深げに眺めた。
「わたしもやっていいかしら?」
「アマンディーヌ様も刺繍を?」
ジャネットは思わず聞き返した。貴族男性が刺繍を嗜むと言うのは、聞いたことがない。アマンディーヌは少しばつが悪そうな表情になる。
「ええ。ダメかしら? 昔、こっそりやってたのよ」
「いえ、どうぞ。わたくしの道具を使って頂いて構いませんわ」
趣味嗜好に貴賤なし。男性であろうと刺繍が好きなら断る理由もない。
ジャネットが椅子を勧めると、アマンディーヌは空いていたジャネットの隣に腰を下ろした。ジャネットはアマンディーヌの前に刺繍道具を差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
髪結いやお化粧などの乙女チックな趣味を親に封印されたとは以前に聞いていたが、その中に刺繍も入っていたとは知らなかった。アマンディーヌは目を輝かせて生地と糸を選んでいる。
「何を刺繍されるのですか?」
「どうしようかしら。久しぶりだし、簡単にお花かしらね。バラにするわ」
「ああ、バラ。いいですわね!」
完全に会話が女子なのにも気付かず、ジャネットはうんうんと頷く。相手はただの女装野郎ではなく、女子力無限大おネエであることを完全に失念していた。
チクチク、チクチク、チクチク……
女子三人(ただし、一人はおネエ)が黙々と刺繍をする。誰一人声を発することなく真剣に刺す。とにかく刺す。
どれくらい時間が経ったのだろう、ジャネットは最後の一刺しをしてハサミで糸を切った。
「出来たわ!」
出来上がりを確認するように宙にかざすと、グレーと白の糸で作り上げられた天馬はまるで飛んでいるように見えた。つまり、なかなかよい仕上がりである。
「あら、ジャネット嬢。上手ね」
「! ありがとうございます!」
ジャネットはぱぁっと表情を明るくした。思惑通り、女子力の高さをアピール出来たのではないだろうか?
「わたしも出来たわ。ほら」
アマンディーヌがジャネットに布地を差し出す。それを見たジャネットはピタリと動きを止めた。
咲き乱れるのはバラ。赤とピンクのバラが何輪も、それは見事に咲いている。葉の葉脈まで色を変えた刺繍糸で見事に再現され、枝は花が引き立つように左右に広がっている。布地の一面に施されたまるで本物のような見事な刺繍。ベテラン針子が刺したと言っても誰も疑わないだろう。
「……凄く上手ですのね」
「そう? ありがとう。久しぶりにやったからイマイチだけど」
「イマイチ? これが?」
ジャネットは自分の天馬をチラリと見た。それなりに躍動感あるなかなかの仕上がりである。ただし、素人の刺繍としては、だ。
これでは、困る。計画が崩れてしまう。
女子力の高さをアピールするはずが、逆に相手の女子力を見せつけられた。しかし、修正ルートを考えていなかった。仕方がない。ジャネットは当初の計画通りに行動することにした。
「アマンディーヌ様、どうぞ」
「あら、わたしにくれるの? ありがとう。じゃあ、これはジャネット嬢にあげるわ」
素人作品のお返しにプロ級の作品を渡された。思いがけず、好きな人からお手製のプレゼントを貰ってしまった。ちょっと嬉しい。
「アマンディーヌ様、好きです」
「わたしもジャネット嬢は好きよ。しごきがいがあるもの。思わず苛めたくなっちゃう」
「……」
にっこりと微笑まれてそう返された。
しごきがいがあるってなんだ?
苛めたくなる? ねえ、もしかしてSなの? ドSなの??
とにかく……
「シルティさまー。通じないー!!」
「ジャ、ジャネット様! 大丈夫ですわ。きっと次こそは!」
自分の作戦が見事に撃沈したらしいということだけはわかった。




