ジャネット、デコピンの刑に処される
ジャネットは眉根を寄せて、身を乗り出した。初恋は実らない? それは聞き捨てならない。こっちは初恋を拗らせてウン年──正確に数えるともうすぐ十年!──になる。『実らないものだ』といわれて『はい、そうですか』と納得するには拗らせ期間が長すぎる。
「ええ、一般的にはよくそう言うわよね」
マチルダはジャネットの様子に圧倒されながらも、コクコクと頷いた。
「そんな……、嘘だわ! 初恋が叶った人もいるはずよ」
「えーっと、確かおしどり夫婦として有名なノーラ子爵夫妻は幼なじみからの大恋愛だったとか……」
「そうでしょう! いるでしょう!? いるはずよ!」
ジャネットは勢いづいてうんうんと頷いた。そうでないと困る。何のために自分は今この涙ぐましい努力を続けることを決意したのか。全ては初恋の相手──アラン=ヘーベルを落とすためである。
今のところ、落とすどころか一ミリたりとも傾いてすらいないが。あの男、土台が超合金で出来ているのではないかと思うほどだ。
ほっとしたところで使用人が新しく用意した紅茶を運んできた。
「ありがとう」
ジャネットはお礼を言ってそれを受けとると、ゆっくりと口に含んだ。流石は伯爵家の使用人、紅茶のいれかたもよく教育されている。上品な味わいが口一杯に広がった。
そんなジャネットの様子を眉をひそめて眺めていたマチルダは、すぐにハッとした様子で口元を手でおさえた。
「もしかして! ごめんなさい、わたくしったら、あなたの気持ちも考えずに……。ジャネットったら、まだダグラス様にそんなに未練が……」
「え゛?」
「まあ、そうなの? なんてお痛わしい……」
周りのご令嬢達もそれを聞いて、ざわめきだした。
「ちがーう!」
「まあ、ジャネット。隠さなくてもいいのよ? わたくし達は味方よ?」
「隠してない! 未練もない!」
「本当に?」
「本当よ! わたくしはアラン様が好きなのよー!」
声を大にしてアランへの愛を叫ぶジャネットをポカンと見上げていた友人達は、更にざわめきだした。
「アラン様? あのヘーベル公爵家のアラン様?」
「素敵よね。実はわたくしもアラン様ファンなの!」
「え゛?」
友人の一人が両手を前に組んで、うっとりとした表情をみせる。ジャネットは思わぬライバルの出現に表情をひきつらせた。それを聞いた別の友人も身を乗り出す。
「実はわたくしもなの」
「あら、あなたはもう婚約しているでしょう?」
「婚約者がいてもアラン様は別格よ。滅多に舞踏会にいらっしゃらないから。一度でいいからダンスに誘っていただきたいわ」
「わかるわ!」
友人達が勝手にわいわいと盛り上がり始めた。なんと、こんなにライバルがいるとは想定外だ。まあ、本気でアランを狙っていると言うよりは、憧れの気持ちが強そうではあるが。
そうこうするうちに、友人の一人がパッと目を輝かせてこちらを見た。
「そういえば、アラン様ってシルティ殿下付きよね。もしかして、ジャネットはたまに見かけたりするの!?」
「ええ、まぁ……」
見かけるどころか、ほぼ毎日会ってしごかれている。しかも、結構鬼畜である。それを聞いた友人達は「きゃあ!」っと歓声を上げた。
「そう言えば、ジャネットは前回のヘーベル公爵家の舞踏会でエスコートされていたわよね? そのご縁だったのね。そうだわ! ねぇ、ジャネット。次にアラン様が舞踏会に参加する日がわかったら教えて!」
「え゛え゛!?」
「だって、滅多に社交に姿を現さないでしょう? ミステリアスよね」
「うーん、そうかしら……」
彼女達は気づいていないだけだ。
アランは舞踏会にはほぼ必ず参加してる。おネエの姿で。
「参加されるときも寡黙でしょう? クールで素敵だわ。あのグリーンの瞳で見つめられたら脳天が痺れそう!」
「──ク、クールじゃないと思うわ……」
それは、間違っておネエ臭を出さないように話しかけないだけだ。間違いない。しかし、ジャネットの訂正は華麗にスルーされて話は進む。
「ねぇねぇ、今度アラン様を囲む会をしたいから、頼んでおいてよ」
「ええ? きっと断られるわ」
断られるどころか、余計な墓穴を掘りそうな気がする。レッスンが厳しくなるとか、課題が増えるとか。
「ジャネット! お願い!! ジャネットだって、アラン様の好みのタイプを聞きたいでしょ?」
「アラン様の好みのタイプ?」
「わたくし達が聞き出してあげる! 任せて!」
アランの好みのタイプ。それぞ、ジャネットが最も知りたいことだ。
「──本当に? わかった。わたくし、頼んでみるわ!」
未婚貴族令嬢の横のネットワークは恐ろしい。使えるチャンスはのがさない。ことアラン=ヘーベルは婚約者がすでにいるご令嬢からも別格の絶大な人気を誇っているのだ。公爵家出身の上に憧れの近衛騎士で美形。クールだとか、寡黙だとか、だいぶ勘違いもありそうだが。
翌日、アマンディーヌと顔を合わせたジャネットは、早速昨日のことを切り出した。
「と言うわけで、アマンディーヌ様。わたくしの友人とアラン様を囲む会をいたしましょう」
「アンタ何言ってんの? 寝言は寝てから言いなさいよ」
素っ気なく紅茶を飲むアマンディーヌを見て、ジャネットはむぅっと口を尖らせる。
「じゃあ、アラン様の好みのタイプを教えて下さい」
「自分で考えなさい」
「意地悪! どんなタイプでも落とせるように指南するっていったのに!」
「……」
ふいっと目が逸らされてしまった。このやろう、あの発言をなかったことにするつもりだな?
「あら? さては、わたくしがいい女になりすぎちゃって、夢中になるのが怖いんですわね?」
ジャネットはふふんと笑ってそう言い放ってから、「きゃっ!」と頬を赤らめた。相手がアランの姿をしていたら絶対に言えないが、アマンディーヌだと言えてしまうこの不思議。アマンディーヌはティーカップをかたんとソーサーに置くと、器用に片眉を上げる。
「アンタね。そういうことは、いい女になって夢中にさせてから言いなさいよ」
「! ほんっと意地悪!」
「うるさい!」
「痛っ!」
ピシッとおでこに痛みが走る。
おネエから提案却下された上にデコピンの刑に処された。しかも、なにごともなかったかのように紅茶を飲んでいるではないか。
「うぅ! シルティさまー。あの人意地悪ですわ!」
「ジャネット様。どうか落ち着いて……」
シルティ王女が泣きべそをかくジャネットを必死に宥める。
結果、今日も好みを聞き出すことはおろか一ミリたりともアラン=ヘーベルを傾かせることは出来なかった。




