レッスン13 成功体験で自信をつける②
ジャネットはその騎士を見上げた。蜂蜜色の少し癖のある髪と翡翠のような瞳が印象的な青年だ。
「でも、お邪魔じゃないかしら?」
「少しなら大丈夫ですよ。わたしは近衛騎士隊のフランツ=バウワーです」
青年はニコリと笑う。人当たりがよく、優しそうな人だ。バウワーと聞き、ジャネットの頭にはすぐにバウワー子爵家が浮かんだ。可も不可もない。中堅の子爵家だ。
「ではお願いします。申し遅れましたがわたくしはジャネット=ピカデリーです。よろしくお願いしますわ」
ジャネットはアマンディーヌ仕込みの美しいお辞儀をして見せた。
「ジャネット=ピカデリー? もしかして、ピカデリー侯爵家の?」
「そうです」
青年が少し驚いたように目をみはる。ジャネットはその様子に、怪訝に思って少し首をかしげた。
「どうかなさいました?」
「いえ。ダグラスから聞いていたのとだいぶ印象が違いますから」
「まぁ、フランツ様はダグラス様と知合いですの?」
「小さい時からの、腐れ縁ですね」
そんな会話をしていると、アランがシルティ王女を連れて戻ってきた。ダグラスが周りの人にどんな風に自分のことを話していたのか気にはなったが、ジャネットはシルティ王女が戻ってきたので会話をやめた。シルティ王女の髪形はすっきりとしたひとまとめに整えられている。
アランは会話していたジャネットとフランツの顔を見比べる。
「フランツがいるならちょうどいい。今日からジャネット嬢も投げ技の実技練習をしたい」
「私が実技?」
ジャネットは聞き返した。アランの言葉を聞き、シルティ王女が目を輝かせて一歩前に出る。
「まあ、実技! 上手くできるとすごく気持ちいいのです! この快感、ジャネット様にも味わっていただきたいわ」
シルティ王女は満面に笑みを浮かべて楽し気に笑った。
ジャネットはこれまで、ひたすら基本の動きのおさらいをしてきた。ジャネットがここで習うのはあくまでも護身術であり、攻撃技はない。相手が掴みかかってきた時などに相手の力をうまく利用して、撃退するのだ。例えばこれまでずっとやってきた基本動作の一つに、体を捌きながら相手の後方に回り込む動作があった。これはだいぶ上手く出来るようになった。
その後はそれらの基本動作の応用の動きを習ってきた。その一つが後ろに回り込んだ後に相手の肩口をつかみ、懐に引き付けながら片手で相手の顎を上げ、背中の方へ投げ倒すという投げ技の動作だ。今日は初めてその実技を練習するという。
アランはシルティ王女に準備体操するように伝えると、首をコキコキと左右に鳴らしながらジャネットのすぐ前に来た。
「俺が実演するから、見ていてくれ。フランツ、相手を」
「わかった」
アランが合図すると、フランツが正面からアランに掴みかかるまねをした。アランはそれをひょいと腕で払いながら横によけ後ろに回ると、次の瞬間にはフランツは仰向けに床に転がっていた。
「あら? 早すぎてよくわからなかったわ」
ジャネットは目をパチクリとさせる。本当に一瞬の出来事で、何が起こったのかさっぱりわからなかった。気付いたときにはフランツが床に転がっていた。
「やることはいつもの基本動作と同じだ。ゆっくりやれば上手く出来るようになるだろう。フランツ、今日は俺がジャネット嬢を見てやるからシルティ王女殿下の相手を頼めるか?」
「もちろん」
すぐに立ち上がって服に付いた砂を払っていたフランツがアランに向かって頷く。
その日、ジャネットはアラン相手に何度も何度も何度も先ほどアランが見せてくれたのと同じ動作を練習した。ジャネットは初心者である上に相手は男性の近衛騎士。しかも背の高さも全然違う。すぐに上手くできるはずもなく、かなり緩慢な動作で相手してくれているにも関わらず、ジャネットは払い除けるのがやっと。それでも、何十回目の練習で初めてアランを後ろによろけさせることに成功した。
「よい動きだ。今、俺は咄嗟に倒れないように抵抗してしまったので、もう一度やろう。次は抵抗しない」
構えるように促されてジャネットはアランに目を凝らす。二メーターほど離れた場所から、アランが真剣な表情でこちらを見つめている。体が近づくと同時に片手で体を払いのけ、肩口を掴む。もう片手で顎に腕を入れて力一杯ぐいっと押し倒すと、アランの体がガクンと後ろに傾いた。
「きゃあ! 大丈夫ですか!?」
ドシンと豪快に後ろに倒れたアランを見て、ジャネットは自分がやったにも関わらず大きな悲鳴をあげた。受け身をとっていたアランはすぐに何事もなかったように立ち上がり、にやっと笑った。
「気持ちよかっただろう?」
「は?」
アランは立ち上がりながら、騎士服についた砂をパンパンと払い落とす。濃紺のズボンは砂のせいで少し白っぽくなってしまった。
「技が決まると気持ちいいだろう? 護身術は練習してきた成果が分かりやすいから自信に繋がる。お見事だ」
ジャネット今の技は投げたと言うよりは押し倒したといった方が正しいような出来だった。それなのに、アランはしきりに誉めて、爽やかにジャネットに笑いかけた。
「ジャネット嬢はいつもとてもよくやっている。それは確実にジャネット嬢の身になっている。もっと自信をもつといい。自信をもつと、人は自然と前を向く」
「──もしかして、アラン様はそれを言いたくて今日、わたくしに投げ技を?」
ジャネットに足りないのは自信をもつこと。ジャネットもそれは感じていた。ただ、頑張っているとは思うが、それが成果として出ているのか、どうしても不安になる。元々の後ろ向きな性格も相まって、すぐに悪い方向に向きがちだ。
アランはジャネットの顔を見つめると、惚けたように首をかしげた。
「いや? 俺はそろそろジャネット嬢にも実技が出来る頃だと思っただけだ」
ジャネットはフフっと小さく笑った。今はその優しさに甘えて、そういうことにしておこう。
「どうもありがとうございます、アラン様」
その小さな呟きはきちんと聞こえたようで、アランが少しだけ口の端を持ち上げるのをジャネットは見逃さなかった。